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放たれた言葉と獲得した能力を元に戻せない もどかしさについて

     ( 約1,500字  )

「話した言葉は拾いこみができないから、
気をつけて喋らないといけないのよ」

母が、子どもの頃から、私に口を酸っぱくして
言ってきた言葉だ。

母は、滅多に手紙を書かない。

言葉を残した紙が、まるで一人歩きしてしまう恐ろしいものだと言わんばかりに、感情を何かに記すことをしなかった。

「あなたは言葉で失敗することがあるから」
とも、言われた。

多分、表現することに躊躇しない私の性格を
知っているからだ。

誰かの気持ちの限度をこえて伝わると、それに気がつくことで、ひとを傷つける。

人間は、知らなくてもいいこと、知らないでいたら軽やかな気持ちでいられることがある。

それを私は伝えてしまうことがある。

親子揃っての面談で、学校の先生から言われた。

「とても感受性の強いお子さまです。気持ちが優しいだけでは生きるのが大変ですから、外に表現できるひとにしてあげてください」

私は両手をぐーにして膝を見つめて、
先生と母親のやり取りを聞いていた。

どうやら私は黙っていた方が好かれるような気がして、学生時代はあまり人と話さない努力をしていた。

帰りのバス通学では、小説を読みながら家路についた。家が田舎だから、1時間以上、バスに揺られて帰った。

「バスの中で本を読むと、目が悪くなる」
と再三、言われたが、他にすることが無いので、バスの中の読書はやめようがなかった。

他人と話して、遊びを楽しむようになったのは、短大生になってからだった。

田舎暮らしは、高校三年まで続いた。
まわりにレストランも、喫茶店も、小洒落た衣類を売る店もなく、3食のご飯は、調理する必要があった。

ピザやパン、ケーキも家で作った。
近くには既製品が乏しかったから。

菓子パンやお菓子を売る商店はあったが、子どもが歩くには往復1時間くらいかかった。

だから、畑で採れる野菜や山の幸(山菜や椎茸、栗など)は、すべてご馳走になった。
ヨモギが採れる春には、ヨモギ餅。
フキノトウや、タケノコの煮物。
柏餅は、カシワの葉を採ってきてアンコの入ったお餅を包んだ。

イチゴのケーキやアップルパイを焼いたり、 プリンや桜餅を手作りした。

そういう料理をしないと、口に入らなかった。 
必要に迫られてしていたことだった。

人間が獲得する能力は、無ければ体験できないものがある。

近くに何でも揃ったお店があれば、 
私は料理をする必要はなかった。

話す方法で言葉を表現しなかったから、
書いて残す手段が、私には必要だった。 

昨日、ハンバーグスープを作った。
玉ねぎドレッシングと、残りもののすし飯を使った。酸味のあるスープ。

実家では、誰かが召し上がってくれるので
やり甲斐があるが、一人ではあまり張り合いがない。

だから、誰かが食べることを考えて、作る。

そうすると「自分のため」と思い、作るものよりは美味しくなる。

酸っぱい味は、大人になってから美味しさを獲得する味覚といわれる。
子どもの頃の「酸味」や「苦味」は、「傷んだ食品」と味覚を捉えるのだそうで、
本能が体内の危険を知らせている。

一生のうちに、少しずつ、身体の変化があって、私たちは何かに優れた能力を身につけたり、失ったりして、暮らしていく。

二度と来ない1日を積み重ねて、毎日、毎分、選んで、捨てて、出会って、別れて、を繰り返して、いつの間にか、現在の自分に辿りついている。

時間の流れ方は、一人として同じひとはいないけれど、ときどき、分かり合えたり、近づける瞬間がある。

それは偶然でしかなくて、本当に珍しいものだから、大切にしたいと思う。

一人でいることに慣れてしまっても、きっと誰かのお陰で生きていられる。
それさえ覚えていれば、苦しいときがあっても希望の灯は消えない。




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