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何かを埋めるためのスキル

話題のテレビドラマを観ている。
1話から観ていて、これは書かなくてはいけないと思っていたが、薄っぺらい内容になりそうで避けていた。

「silent」

10月からフジテレビで放送されている木曜劇場。高校生時代に付き合っていた彼が、「若年発症型両側性感音難聴」により中途失聴者となってしまう。
8年後に再会して、また一緒の時間を共にするという恋愛ドラマである。

割となんとなく生きていた20代の私は、それでもボランティアとか、障害者福祉とかに興味を持っていた。
「点字を覚えて、目の見えない人の役に立ちたい」と思いたった。
ある日、公共機関から連絡を入れてもらい、視覚障害者福祉の活動をされている方に会いに行った。
点字を覚えて、それを視覚障害の方に読んでもらう本を増やしたい、と自分の思いを話した。

すると、担当者の方が仰った。

「全く視力を失っている人は、(ちび蔵さん)が考えているほど多くないんですよ。
視力が悪くなっていて、視界が狭く困っている人はたくさんいます」

そして、画用紙に大きな文字がマジックで書かれたモノガタリを見せてもらった。
画用紙に大きな文字を書くことが需要があると分かったものの、私は気持ちが冷めるのを認めないわけにはいかなかった。

私のバッグの中には点字機が入っていた。
バッグをぎゅっと押さえて、無知な自分を恥ずかしく思って帰宅した。

自分の中の障害者福祉に対する気持ちが、偽善だということに腹が立って、その出来事は
黒歴史として封印した。 

現在の視覚障害者の実態は知らない。
これは20年くらい前のこと。

話は「silent」に戻るが、

手話は聴覚障害を持つ方には、言葉に代わる『大切な手段』なのだ。
でも耳が聞こえない人にとっての手段が、聞こえる人にとっては(手話)が「スキル」として考えられる。
そこに健常者と障害者との壁がある。

※健常者、という言葉も議論されているが、最適な言葉の規定がないため、手帳非保有者を今回は「健常者」とよぶ。

言葉を話す、気持ちを伝えるための意味が、人によって違うわけではない。

声で伝えるのか、
手で伝えるのか。

それだけ。

気持ちを埋める作業は、健常の身体を持っていても、下手な人は下手のまま、生涯を終える。
星野富弘さんの画集を持っているが、彼の文章も絵画も、本当に素晴らしい。
中途障がい者として、血の滲むようなご苦労をされたと想像するが、私たちには想像することしか出来ない。

出来なくても、したらいい。

想像力を働かすことでしか、健常者は、そのスタートラインには立てない。

でも、思いやりを持つことは、誰にとっても
忘れてはいけないスキルだ。
スキルはおかしいだろうか。
持ち合わせていないことを、恥ずかしいと思う教育があれば人類は幸せを感じる人が増えるはず。

戦争などで、障がい者を作らない世の中になるはず。

星野富弘さんの作品



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