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牛の「いのち」から考える

みなさん、こんにちは。牛ラボマガジンです。牛ラボマガジンでは「牛」を中心としながらも、食や社会、それに環境など、様々な領域を横断して、たくさんのことを考えていきたいと思っています。

今回は、普段は見えない/見ていないけれど、私たちの命や生活がその上に成り立っているというものについて考えてみたいと思います。

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私たちは毎日、あらゆる食材の「いのち」をいただいて生きています。日本語特有とも言われる食事の前の「いただきます」という挨拶は、食事の作り手のみならず、食材のいのち、そのいのちを育んでくれた人、環境、自然、天や地や宇宙、神様への感謝のことばであり、こうして食事の機会が与えられたことへの有り難さを確認する意味を持つものであると言えます。

人類はその昔、狩猟採集生活から農耕牧畜型の定住生活へと暮らしの様式を変え、「食べる」ために「育てる」ことを始め、社会を発達させ、今日まで繁栄してきました。
鶏や豚や牛などの家畜は人間に食されるために産み育てられ、屠畜・解体されて食卓に並び、楽しい食事の時間を構成し、私たちが明日生きるためのエネルギーへと還元されています。
食事のたびにそのことに思いを馳せるのは少々難しいことですが、それでもみなさんも一度は考えたことがあると思います。
そしてそのことに思いを馳せるかどうかに関わらず、このような「食」のシステムは毎日滞りなく作動し、私たちの生活は回っています。

私たちにとっての「いのち」

さて、そんな便利な社会にあって、私たちにとって「いのち」とは何なのかを、「被ばく牛」という存在から考えてみたいと思います。
ノンフィクション作家の眞並恭介の著作に、『牛と土 福島、3.11その後。』という作品があります。東日本大震災で被災地となった福島。当時の政府は原発から半径20キロ以内を警戒区域に指定し、住民の立ち入りを禁止し、区域内に生存するすべての家畜を安楽死させるよう指示しました。この作品には、牛の殺処分や餓死、野生化の様子、畜産農家や獣医師の苦悩と「いのち」の意味の模索が描かれています。

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原発事故で周辺地域住民の避難が指示される中、畜産農家たちは、これまで家族同然に大切に育ててきた家畜たちを残して泣く泣く避難するしかありませんでした。
すぐに帰れると思って着のみ着のまま避難した人、家畜たちに自力で草を食べて生き延びて欲しいと放牧場に放って避難した人、自分の家畜が近所に迷惑をかけないように畜舎に閉じ込めて避難した人、遠く離れた避難所から餌を与えに通い、自らの資金の続く限り生き物を生かし続けようとした人…。
そして、避難所から餌を与えに警戒区域内に通いで立ち入っていた農家の方が見たものは、想像を絶する悲惨な光景でした。牛が餓死している牛舎、豚が全滅して蛆(うじ)と蝿(はえ)が大量発生している豚舎、犬や猫の死骸…。

家畜に対してのさまざまな選択肢のなか、どのような選択をした人も、それぞれの苦しみ、行き場のない怒り、悲しみがあり、それぞれその人の心の底に沈んでいるのではないかと思います。
記録によってこうした事実を私たちは後から知ることができますが、動物たちが悲惨な死を迎えているその場に立った時の強烈な臭いや、よく見知った風景の変わり果てた姿に直面した時の衝撃はどうしても伝えきれません。

牛を殺す理由

畜産農家の方々は、どこかで家畜を助ける手が差し伸べられることを期待し、国を信じていました。しかし、原発事故現場に出入りする車と牛との接触事故が頻発する中、次に国が指示したのは「安楽死」という名の殺処分でした。
震災当時、警戒区域内には約3,500頭の牛、約30,000頭の豚、約440,000羽の鶏がいたといいます。2011年7月には、餓死した分も含めて豚と鶏の処分がほぼ終了し、続いて牛の処分が始まっていました。
それまで牛を家族同然に愛しみ、ともに暮らしてきた畜産農家、動物が好きで、動物を生かすために医師となったはずにもかかわらず安楽死処分を遂行しなければならなくなった獣医師の動揺と葛藤は計り知れません。

安楽死は、鎮静・麻酔・筋弛緩の三段階で行われます。処分作業が始まって数か月ほどは、人が懐かしいのか牛のほうから人間に寄ってきました。それが震災後2年が過ぎる頃には、人間が近寄ることがまったくできなくなり、吹き矢と麻酔銃が使われるようになりました。年月とともに、牛が「野生化」していたのです。
死亡した牛は深く掘られた穴の底にクレーンで1頭ずつ移され、その上から深さ1メートル以上にもなる大量の土を被せます。覆土が浅いといくら消毒薬を撒いても、野生生物が掘り起こしてしまうからです。

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”安楽死処分は決してやりたい仕事じゃないんですが、そこは復興のため、人が戻って来られるような環境づくりの第一歩なんだということを自分に言い聞かせて、モチベーションを保ったという感じですね”

そう話す獣医師は、死にゆく牛を弔うため、線香を用意して安楽死処分の作業に臨んでいたようです。
ほかにも、菊の花を供えて合掌し黙祷を捧げる防護服の人や、防護服の上から黒い衣を着て卒塔婆(そとば)を立ててお経を唱えて供養している人もいたようです。また、重機を使って死んだ牛を運んで埋める作業をする建設会社の社員のなかには僧籍を持つ人もいたとのことです。このように、多くの人が、復興のため、罪の意識を受け止めながら、動物を供養していました。

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私たちの命を支えている命

放射能に汚染されて経済価値のなくなった牛は、畜産農家にとって家族のように大切な存在でも、国によって「殺処分」が命じられました。「いずれは食べられる運命だった牛」と「殺処分される運命だった牛」、どちらも結局は死ぬ牛です。しかし、その2つの「死」は本当に同じ意味の「死」なのでしょうか。少なくとも、牛の命を目の前にする畜産農家や獣医師の深い苦悩や悲しみからは、その2つの「死」の決定的な違いが伝わってきます。

では、彼らの「命」があるからこそ今日の食卓が成り立っている私たちにとってはどうでしょうか。そうした命の上に成り立つ私たちの今日の「生」は、命によって、互いの命を生かし合うようなあり方を模索できているでしょうか。

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“牛を見殺しにすることはできない”

“いま生きている牛を無駄に死なせて、これから先、牛飼いを続けていくことはできない”

ある畜産農家はそう言って、国に生きる価値がないとされた牛たちの命を無駄にせず生かすために、被曝した牛たちが生きていく意味、牛を生かしておく理由、被曝した牛と一緒に生きる意味を模索しました。そのなかで、食肉として出荷することはできないけれど、牛たちは草刈り機より丁寧に草を食べ、田んぼや畑が荒地になるのを防ぐことができる。農地を農地のままに保つことができる。そんな発見に至ります。
一方で、「国の指示に従わないとはけしからん、あなたたちが牛を生かし続けたら、安楽死処分に同意した私たちが「ばかを見る」」と、畜産農家同士での言い合いも生じていたようです。
そんなことはつゆ知らず、あの日を境に何も生活の変わらない私は、電気も今日まで不自由なく使い続け、牛乳も牛肉も、美味しくいただいてきました。

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原発事故で出現した放れ牛(野良牛)に対する行政による捕獲・安楽死処分は2014年1月29日が最後とされています。2015年1月20日時点で、安楽死処分は1,747頭、処分に不同意の所有者による飼養継続は550頭、安楽死処分と畜舎内で死亡した牛を合わせた一時埋却処分が3,509頭でした。

私は、牛を育てた経験があるわけでも、大切な存在の安楽死処分の同意を迫られたわけでも、福島の牛飼いの苦悩に耳を傾けたわけでも、殺処分や廃炉の作業の一端でも担ったことがあるわけでもありません。ただ事実を知らずに事故前から首都圏で電気を使い、事故前と変わらず牛の命をいただいて、都市的な生活を享受するばかりの人間です。当事者でもない私がこんな記事を書いていいのだろうかと、今も自問を繰り返しています。そして、そんな限界を感じながら、この文章を書いています。

しかしこれが、(都市的な生活を享受するばかりの)私が「反芻(はんすう)」し続けたいと思う事柄の一つです。(→ 頭の中に「牛」を飼う
目を覆いたくなるようなこの現実を「反芻(はんすう)」することで、せめてもの弔いと償いになるのではないかと、祈るように思っています。食肉になるはずだった牛、私が食べるはずだった牛、餓死してしまった牛、殺処分されてしまった牛、意味を求めて生かし続けられる牛、たくさんの牛の命のあり方を反芻することで、その牛たちの存在した意味を残し続けていく。それが私たちにできることだとも思います。

何かを学び、知識を得て、考えることで、現実がたちまち変わるわけではありませんが、今まで見えなかった/見ていなかった透明の空間に目を凝らすことで、日々の「いただきます」や「有難う」の質が少しずつ変わっていくこと、それが、牛や人、そして、あらゆる「いのち」を大切にできる社会に近づく一歩なのではないかと思っています。

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引用:眞並恭介・著(2015年3月5日)『牛と土 福島、3.11その後。』、集英社
参考:松原保・監督(2016年8月26日)『被ばく牛と生きる』、太秦株式会社

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(執筆:野呂美紗貴、編集:山本文弥)