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途中でメモりたいセリフがたくさんあった劇【ダウ90000】

うわ、いいセリフだなあと思っても、劇が終わる頃には忘れている。そんな経験を何度も何度も繰り返している。

1.また点滅に戻るだけ

ダウ90000の公演「また点滅に戻るだけ」、もうほんっとうによかった。始まりから終わりまでほぼ2時間笑いっぱなし。上がりに上がったハードルを大股で優に超えてきた。同世代だからわかる固有名詞だけでなく、ストーリーとしても、コントとしても、、、なーんてど素人が笑いを語るのはあまりにも野暮なのでやめておくが、本当に面白かった。

演劇や映画は、みている途中で途中で「うわあいい表現!」「いつか使いたい」と思えるセリフがたくさんある。今回のダウ90000の公演は特に多かった。ずーっと撃ち抜かれていた。ぜひ初見で見て爆笑して欲しいので書きはしないが、3分に1回は使いたいセリフがあったと思う。

もし演劇中にマナーを無視して都度メモしていたら、僕の右手の小指の側面は鉛筆の芯で真っ黒になっていたはずだ。

次々に現れる好きなセリフに圧倒され、どんどん前のセリフを忘れていく。そして劇が終わる頃にはカーテンコールの蓮見さんのツッコミしか思い出せない。

僕の脳の記憶力はあまりにも当てにならない。多分ダチョウとかと同じ脳の構造なんだと思う。走り出したは良いもののなんで走っているのかを思い出せなくなる、あのダチョウと。

2.「クセがすごい」と何が違うんだか

そもそも人の創作物のセリフを日常生活で使うのはあまりにも痛いのではないか、という意見も存分にわかる。新宿の居酒屋で「クセがすごい」と大声を出すおもんな大学生と根本は同じだ。バレてないだけで。

でも、何を言われようとダウ90000で出てきたセリフを日常生活で使っていきたい。バレなきゃいいのだ。ダウ90000のセリフは使いながら、千鳥の真似をする人間にはなりたくない。我ながらあまりにも都合が良すぎる。けどまあそんなもんだ、ダチョウだし。

きっとダチョウも「飛べない」んじゃなく「羽で飛ぶ鳥をバカにしている」から、走力に全振りしたんだろう。結局羽を使っていることなど気にも留めずに。

だめだ、どう考えても例えの才能がなさすぎる。

noteを書くときだけでも、たった3歳上の脚本家蓮見翔の脳の「例え」をつかさどる部分をレンタルさせてほしい。レンタルモバイルバッテリーみたいにコンビニで借りられたら、なおいい。


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