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「旅館のあのスペース」と呼ぶのをもうやめよう

名前を知らないゆえに名前を使わないことと、名前を知っているけど使わないことの間には大きな差がある。と、思っている。

1.「広縁」を言う機会がない

「旅館のあのスペース」といえば誰もがわかってくれるはずだ。窓際の、あのスペース。大浴場から帰ってきた後に冷えたカルピスを片手に友達と語らいながら夕食の時間を待つあのスペース。川のせせらぎなどが聞こえるあのスペース。

正式名称は「広縁」と言うらしい。読み方は「ひろえん」、単純に「広い縁側」なんだとか。

ついこのあいだまで「広縁」の名前を知らなかった。好きな空間ランキングかなり上位のスペースなのに、正式名称すら知らない。こんな失礼なことがあっていいのだろうか。名前も知らない存在を「好き」と言い張るなんてストーカーと同じじゃないか。僕がやっていたことは「広縁のストーカー」だ。

ただ、知ったからと言って実際に使う機会はまあない。「広縁」よりも「旅館のあのスペース」と言った方が伝わるのだから。仮に言ってみたとしても、「広縁、ああ、あの旅館のスペースのことね!そうそう広縁っていうのよあそこ」と、ダラダラと喋って知識をひけらかす存在になってしまう。

知っているという事実そのものが重要なのだ。使わなくたっていい。「冥王星が太陽系から外れた」みたいな知識と同じようなものである。

2.いつでもカウンター体制は万全

「広縁」の知識が生きる唯一の機会は相手から広縁カードを切ってきた時。「あーおれ広縁すきだなあ…」と言われたら、相手に説明する隙を与えずに「広縁!!いいですよね!!でも広縁に置いてあるのと全く同じ椅子を実家においても満足度はさほど高くなさそうでうよね」とか適当なあるあるを言えばいい。

広縁で生まれた絆はなによりも硬い。そいつはきっとその後の人生における大事な大事な存在になるだろう。

ただ、そんな機会は本当に訪れない。

「広縁」が浸透していなさすぎて、何かの拍子に「広縁じゃないんだから」なんて例えツッコミのつもりで言い放ったとしても微塵の笑いも起こせないだろう。

3.広縁、もっと頑張れよ

これだけ人気があるのに知名度が皆無なのは広縁側の自己プロデュースの問題だと思う。城本クリニックの0120-107-929という電話番号をメロディ付きで歌える人はたくさんいるが、広縁の名前を知っている人はいない。ほとんどの人は城本クリニックよりも広縁にいる時間の方が長いのに。

「国際ふりかけ協議会」がある時代だ。広縁の浸透と周知に取り込む「日本広縁アソシエーション」がいてもいい。というかいるべきだ。CMでも駅内広告でも、あらゆる手段を使って国民の脳裏に広縁の名を轟かせなければいけない。

いや、でもその謙虚さが広縁の長所だとしたら。人気はあるのに、でしゃばらない。「あいつ普段何してるか詳しくはわからないし下の名前も知らないけどいてくれると嬉しいよね」、陰でそういうことを言われてる広縁。

充分な人気があるのにいまだに色んなところで「掘り炬燵あり!!!」なんていう主張をしてるあいつよりもよっぽど好感が持てる。

決めた、人生の目標を「広縁」にしよう。広縁は身を張って人生の教訓を説いてくれていたらしい。

あー、旅館行きたい。


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