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20代の目標は「人生の伏線張り」

22歳を迎えて1ヶ月が経ち、残す20代は7年と11ヶ月になった。この7年11ヶ月がもつ意味はたぶんいま僕が思っている以上に大きいのだと思う。

個人的には20代の間に「人生の伏線」できるだけ張っておきたい。

伏線(ふくせん)とは、物語や作劇上の技術のひとつで、進行上の将来に起こる(知らされる)重要な内容について、因果関係(線)を伏せて事前に示唆しておく手法である[1]。読者や聴衆の失望を回避するため、あるいは感興を引き起こすために用いられる[2][3]。時には登場人物によるはっきりした予言といった形をとることもある[4]
wikipedia「伏線」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E7%B7%9A

つまり人生を1つのお芝居として捉えてその序盤である20代でその後の方向性をほのめかし、50.60代など後半で回収することを意味する。そうすれば人生を終えた時に、「いい話だったな」と振り返ることができる気がする。長めの演劇を見た後の気分を、最期の病院のベッドで味わいたいのだ。

伏線という単語を使いたかっただけで、ものすごく簡単に言ってしまえば「極めずとも色々なことをやっておく」というただそれだけである。

例えば、「何かを学び始めるのに遅すぎることはない」という言説がある。ただ、遅"すぎる"ことはないということは、ある程度遅くはあることを示唆する。演劇「人生」のクライマックスに差し掛かろうとする50.60代で新たに学ぶことはきっと難しいし、ストーリーとしても展開が唐突だ。20代のうちに少しでも触れておけば50.60代では「学び直し」になるし、伏線も回収できる。

noteだってこの一環だ。大学生のうちのふとした考えを残しておけば、いずれ振り返って「これが伏線だったのか!!」と思える。今考えていることと全く逆の人生を歩んだとて問題ない。伏線を張るだけ張って、全部逆に回収していく物語もなかなか面白い。

どう回収するのかは正直知ったこっちゃない。去年購入した一眼レフの知識が40年後に思わぬ形で人助けに繋がるかもしれないし、昨日ふと赴いた近所のバッティングセンターがいずれ感動の再会の引き金になるかもしれない。

今できることはとりあえず伏線になりそうなことをひたすらやるだけ。「色々な経験をしなさいね」という大人のアドバイスに嫌気が差した方、脚本家気分で日々過ごしてみませんか?

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