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お笑いの評価軸は「面白い」か「面白くない」かだけでいいと思うんだ

長編のコントも、4分の漫才も、あるあるも、なんでも面白い。たいていYoutubeでネタを見るのだが、コメント欄を除くと「誰も傷ついていなくて良い!!」というコメントを良く見かける。

1.人を傷つけない風潮に盾突きたいわけじゃない

決して「誰も傷つけない笑い」に異を唱えたいわけではない。偏見で塗り固められたネタも好きだけど、誰一人として不快にさせずに笑いを取るのも素晴らしいことだと思う。

ただ、「こいつは誰も傷つけていないか?どうだ?」という目でお笑いを見るのはもったいない気がする。

プラスの評価をするときもマイナスの評価をするときも、軸は「面白かった」か「面白くなかった」の2つだけでいいのではないか、とそう思う。

なので、「自分のことをバカにされているようで面白くなかった」や「モラル的にどうなのという考えがよぎって笑えなかった」という感想はよくわかる。結果「面白くなかった」に帰着しているからだ。笑いのツボや置かれた境遇によって感じ方は異なるだろうし、そういう人もいるだろう、と納得がいく。

「誰も傷つけてなくて良かった!」という感想は、面白いか面白くないかを一切明言していない。「誰も傷つけていない」を面白さを補強する加点ポイントとして見るのはいいが、お笑いというコンテンツを見る上での主軸にしてしまうとお笑いを楽しめないと思う。

2.我々素人が土足で踏み込むべき領域じゃない

様々なオブラートを凝らした上で巧妙に人を傷つけて笑いを取るか、誰も傷つけないという制約のもとで笑いを取るか、それは笑いのプロである芸人が決めることだ。

出されたケーキに対してパティシエの製法を咎めるのが野暮なように、我々は「美味しい」か「美味しくない」かだけを決めればいい。そして、会計時に「ここのスポンジはミキサーの回転数が良くて…」とパティシエに伝える人よりも、笑顔で「美味しい!」と言っている人の方がケーキそのものを楽しめているのではないか。

そのあと「美味しくない」という意見が多ければパティシエがレシピを改めるだけのこと。間違ってもレシピ変更の提案を素人がプロにしてはいけない。お笑いのド素人として、そう思う。

こんな記事を書いている時点で僕が「美味しい!」と叫んでいる素直な人間でなく、パティシエの製法を分かった気になって語っている痛い人間だということは重々承知だ。ただ、素人は素人として楽しもうよ、と、それだけが言いたかった。

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