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愛しさと愛と嫌い

 夜の散歩に無理やり引きずり出した時点で、結末は決まっていたような気がする。

 散歩行こう、と言った私に、えー嫌や、歩きたくない、と駄々をこねた(ように私には思えた)彼を強引に夜の中に連れ出した。

 始めは二人で散歩に行けることに浮き足立って、うきうきで飛び跳ねるように歩いていた。
 けど、目的地のコンビニまで三分のニほど歩いた交番の前で、彼の言葉に私がかっとなってしまった。苛立った私の「だから」、諦めたような彼の沈黙。

 結局コンビニに着いて、アイスを選んでいる辺りでなんとなく仲直りはしたけれど。
 諍いのあと、コンビニまでの居心地の悪さはしっかりと覚えてしまっている。

 原因は些細なことでそんなに怒らなくてもよかったんじゃないと自分でも思うし、なんでじゃあ怒ったかって私の具合があまり良くなかったからで。

 最近、こういうことが増えた。こういうことって、どうでもいい喧嘩とかどちらかの不機嫌とか、ぎゅーしてって言った時の彼の腰の重さとか、ご飯作ってって言われた時の私の不満気とか。

 やだなぁと思うけど、でも付き合って三年目で、同棲も二年目だとこんなもんなんじゃないの、とも思う。

 愛の日々より生活することに必死で、生活というよりただ生きることに必死で。
 お金がなくても愛があるわと思っていた夢の生活は、毎日の切り詰めに険悪な話し合いが増えていって。

 姉や友達に彼のことを相談していると、あれ私これほんとに彼のこと愛してるの、と思うことも、正直ある。

 でもそれでも、お金がなくて色々とギリギリで生きているこの毎日を、一緒に戦っていけるのは彼しかいない。それは確かだ。

 結果論でしか愛を確認できなくても、でもそれも愛なのだ。
 それが愛なら、未来なんて考えず、ミシェールとポーレットみたいに二人でくっついて生きていくしかないのだ。

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