パンケーキから見えるもの。
パンケーキに目がない。泡のようにとけるスフレパンケーキ、カラフルなハワイアンと色々あるが、日曜の朝、甘い香りと共にひっくり返すまであと10つと浮かんでは消える気泡を数えていたホットケーキに勝るものはない。
ベイモンとよばれるミャンマーの米粉パンケーキは、黒ゴマとココナッツが入っていて食感もよく、もちもちとして食べ応えがある。焙煎の薫りにひかれて入ったカフェで炭火焼のフライパンをみかけ、メイプル、ナッツ、タマゴ入りをそれぞれ人数分にカットしてもらった。
「報告があります。」
スタッフのほっぺにはココナッツがついている。
立春も近い2月、事務所の中にはそこはかとなく緊張感が漂っている。明日はみんな無事に来られるだろうか。あるいは、来ないのだろうか。ふたを開けてみたら何もない、静かな一日だった。あえていうなら、東北大震災や阪神淡路の記念日のように、カフェの店員も少し伏し目がちな気がした。
朝礼でエッセンシャルワーカーという言葉について話す。それ以前に、
「公共インフラ」という概念にきょとんとした目をしている。皆さんが眠っている間も、生活に欠かせないインフラを支えている方たちがいます。私たちの分野もその一つです。今日一日、無事に過ごしましょう。なんとなく伝わったのか分からないまま持ち場へとついた。安全のため渡した帰りのタクシー代の方が反応がよかったくらいだ。ともかく無事に終わって何より。
かつて、ミャンマーの知人に教えてもらったことがある。ミャンマーをどう見るか、それには同じ質問を立場の違う3人に訊いてみるとよい。ある人はそれをよいプロジェクトといい、ある人は環境破壊という。環境改善という人もいる。その人の立つ位置によって見方が全く違ってくる。そして、そのどれも正しい。
円錐形のように、上からみれば尖っており、下から見れば丸、ヨコからみれば三角にみえるのだ。受け手はそれらを多角的に判断し、「円錐形」だなと理解すればよい。
「ミャンマーをイデオロギーで語られるの、アレ本当に困ります。」
ミャンマーに住む日本人から時折、聞かれる声だ。
会議で大きい声の人が全体の総意を表すわけではないように、多くの人が目の前の生活に黙々と取り組んでいる中、両方の極端な声ばかりが日本で流れているようだ。それにより為替が変わり、投資が変わる。外からイデオロギーで論じることで、ミャンマーに生まれ、ミャンマーで一生を終える市井の人々の生活をより困窮させていることには思いが至っていないようだ。また国外のミャンマー人の声が全てを表しているわけでもない。それもまた、円錐形をどこからかみた一つの景色にすぎない。
ミャンマーでは今、それぞれの分野において職人としてプロフェッショナルな力を発揮している人たちがいる。その中には 70代 の日本人も多い。ミャンマーの公共インフラを文字通り、身を粉にして支えている方たちだ。様々なノイズにもみくちゃにされながら、それでも手を抜かず、黙々と職務を果たしている多国籍のサムライたちの姿には頭が下がる。所詮、私たちにとって国は一時の借り物にすぎない。次世代のためにも安全なインフラはいつの世にも必要だろう。
ある人はそれをホースといい、ある人はそれを壁のようだという。またある人は灰色で動くものだという。ゾウのように全体像で(ダジャレではないです)ミャンマーを温かい目で見守っていただけたらと願う。
パンケーキをつつんでもらっていた時に、流れていた曲。
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