第15話「学院生活」
「妖精はあらゆるものに宿り、魔法の力で喚起することができます。喚起された妖精は自在に使役することが可能。その力は妖精によりよりけりですが、より古いもの、魔力の集まる由緒正しい場所に宿る妖精の方が、強力かつ多彩で、精霊にクラスアップしやすいと言われています」
妖精学の教授、ケイロンが教科書を片手に教室の机の間を回りながら講義する。その間も黒板ではチョークがひとりでに踊っており魔法文字を書き込み続けていた。
チョークに魔法をかけて自動で動くようにしているのだ。
リンは手を忙しなく動かし、ノートに黒板の文字を写し続ける。
「最も一般的な妖精魔法は炎や水、空気を操ること。妖精は温度を変化させたり、重さのないものを動かしたりするのが得意ですからね。逆に妖精が苦手なのは重いものを動かすことです。例えば鉄など金属に宿る妖精は非常に静かで、喚起しにくいものです。そのため魔導師は重いものを動かすのには杖を使った力学魔法を、金属の加工には魔法陣を使った冶金魔法をそれぞれ用います。精霊と妖精との違いですが、……おっと」
ケイロン先生がページをめくろうとしたところで授業の終わりを知らせる鐘がなった。
「今日の授業はここまでですね。今回は第一回目の授業なので特に課題もテストもありませんでしたが、次の授業からは課題とテストがあるので準備をしっかりしてきてくださいね。課題とテストを一つでも落とすと単位は取れませんよ。課題は後ほど皆さんの学院の書に連絡を入れておきます。では」
ケイロンは上品に一礼するとヒュッと音を立てて姿を消す。先ほどまで彼のいた場所には魔法陣が浮かんでやがて消えた。生徒達は板書を写す作業から解放され、一斉に片付けを始める。片付けの終わった生徒達は順次、教室から離れて次の授業がある教室へ向かっていった。
リンも板書を写し終えてホッと一息ついた。
「案外普通の授業だったな」
隣に座っているテオが話しかけてきた。
「うん」
リンとテオは学院で初めての授業を受けていた。授業は、教授が喋り、黒板に書かれた文字を生徒が写すというだけのオーソドックスなものだった。
いったいどんな厳しい魔法の修行が始まるのかと不安に思っていたリンはとりあえずホッとする。
リンは教室を出る前に一応時間割をチェックすることにした。
「出でよ、学院の書」
リンが呪文を唱えると分厚い本が出現してリンの手元に収まる。これが学院生になったものが使える新しい魔法だった。学院の書には時間割、科目要項、学院の地図など学院生活を送るのに欠かせない情報が全て詰まっていた。授業の時間変更や教員からの連絡事項などは随時リアルタイムに更新されていく。リンは本日の時間割が掲載されているページをめくる。
「次は『機巧魔導初歩』か。この授業は58階の第2番教室だね」
「よし、行くか」
リンとテオは道筋を確認してから教室を出て行き、58階にたどり着くエレベーターに乗り込んだ。
「『機巧魔導初歩』ってどんな授業だっけ?」テオがリンに聞いてきた。
「あれだよ。出席すれば給料が出る授業」
「あ〜、あったなそんなやつ」テオは今思い出したように手を叩く。
「あのいろいろ胡散臭い謳い文句があったやつか」
「そう。それだよ」
「じゃあ気をつけなきゃな」
学院の選択科目は一回目についてはチュートリアルということになっている。そこで授業の様子を見てから選択するかどうか決めることができるのだ。キャンセルする場合、二回目の授業までに申し出なければならない。リンとテオはとりあえず説明を聞いてから授業を選択するかどうか決めるつもりだった。
とはいえリンはなんだかんだ言ってこの授業、『機巧魔導初歩』を楽しみにしていた。魔導師の高等技術を使った仕事、そしてそれによって発生する給与……。
リンは今まで収入にこだわりはなく、必要な分だけもらえればそれで十分という考えだった。
彼がその考えを変えてより多くの収入を得たいと思ったのは学院都市アルフルドの街並みを見てからだった。
学院から一歩外に出た時、飛び込んできた景色は別世界だった。
その繁華街は赤い屋根と幾つもの高層建築物が連なり、街行く人々の格好もレンリルに比べてはるかに華やか。人々の移動手段はもっぱら馬車である。
この街で暮らせるようになれれば……、彼がそう考えるまでに大した時間はかからなかった。
50階以上に出入りできるようになったとはいえ、リンは未だにドブネズミの巣に住んでいる。現在のリンの収入ではアルフルドの物価にはとてもじゃないが耐えられない。
『機巧魔導初歩』の授業はアルフルドでの華やかな生活を実現させてくれるかもしれない。
何せこの授業では頑張れば頑張るほどお金が稼げるのだから。
リンは期待に胸を膨らませて『機巧魔導初歩』の教室のドアをくぐった。
『機巧魔導初歩』が行われる教室は百人以上の人間が収容できる大教室だった。広々とした空間に所狭しと机が並べられているが、それにもかかわらずほとんどの席が埋まっていた。
「もう二人で座れる場所はないね」
「仕方ない。一人ずつ座ろう」
リンとテオは別れて空いている席を探した。
リンは机の間をうろついているうちに教室にいる生徒が皆ローブに金色の留め金をしている平民階級であることに気づいた。それもかなり貧しそうに見える。
リンは空いている席がないかどうかキョロキョロしながら教室の奥の方へと歩いていく。
すると一つ空席を見つけた。ただ隣に妙に小汚い生徒がいた。
学院生の証である紅のローブを着ているが、いたるところが煤まみれでローブの内側に着ている衣服にも汚れや破けた跡が見える。もう何年も同じ服を着ているようだ。
リンは少し怖かったが声をかけてみることにした。
「あの。ここ空いてますか?」
「おう。空いてるぜ。座れよ」帰ってきたのは意外にも朗らかな声だった。
「はい。ありがとうございます」
リンは素直に彼の申し出に従った。
座った後でもう一度彼の方を見た。
黒い髪は伸びきって肩まで垂れ下がっている。口元には無精ひげがボーボーに生えていた。
それがまたダンディに見えなくもないが、問題は彼がどう見てもおっさんなことだった。
「あの……」
「ん?なんだ」
「僕は初等クラスの魔導師なんですが、もしかして教室間違ってます?ここって高等クラスの教室だったりとか……」
「いや、初等クラスであってるぜ」
リンは首をひねった。その割に彼は妙に年老いて見える。
(いやいや人を見た目で判断しちゃダメだよ。ちょっとヒゲが生えるのが早いだけで案外僕と同じくらいの歳かもしれない)
リンは探りを入れてみることにした。
「なんか初等クラスの割には年長っぽい人がいっぱいいる気がしませんか?」
「留年して何年も初等クラスから抜け出せない奴らがいるんだよ。ま、かくいう俺もその一人だがな」
「は、はあ」
リンは何と答えていいかわからず言葉を詰まらせてしまった。
「お前は見ない顔だな。この授業は初めてか?」
「ええ、そうなんですよ。あ、僕は学院1年目のリンって言います」
「俺の名はシャーディフ。もうかれこれ学院に二十年以上在籍している」
「にっ、20年!?20年も初等クラスにいるんですか?」
「まあな。いわゆる古参ってヤツだ」
「いや……古参って……」
「お前も気をつけろよ。この学院は下手すりゃ底なし沼だ。ぼんやり授業を受けているとすぐに俺みたいになっちまうぜ」
(レンリルと同じじゃないか……)
リンはレンリルにいたあの低価格の商品を買うことに異常なこだわりを見せるおじさんを思い出した。見渡してみるとこの教室にいる人間は誰も彼も人生の敗者のように落魄していた。リンは早くもこの授業に不安を覚え始めた。
機巧魔導初歩の授業一回目は科目要項に書いてあることをほとんどそのまま説明されただけだった。実際の作業を通して機巧魔法の実践的なスキルを学ぶことができること。授業での成果は労働とみなされて給与が発生すること。
説明を聞き終わったリンとテオは教室を出てレンリル行きのエレベーターに向かった。今日の授業はこれで終わりなので、二人はアルバイトまでの時間をレンリルの食堂で潰すことにした。
「なんだよ、科目要項に書いてあることそのまま喋っただけじゃん。これなら一回目は出る必要無かったな」
「ねえテオ。さっきの授業どう思う?」
「うーん。なんかおっさんが多かったな」
「だよね。隣に座った人と話したんだけれどさ。何回も留年している人がいっぱいいるみたいなんだ。やっぱりあの授業怪しくない?」
「うーん。それは実際の作業とやらをしてみないとなんとも……。っと、学院の書が更新されたみたいだ」
テオの手の甲に刻まれた紋様が光り輝いている。学院の書を通して何か新しい情報が配信された証だ。
「出でよ。学院の書。おっ、妖精魔法の課題が出てる」
「ホント?なんて書いてある?」
「えーっと、『妖精喚起の基礎呪文50個の暗記。来週テストに出ます。妖精と精霊の違いについてのレポート1万文字。妖精が宿れる水質の限界点についてレポート5千文字。妖精と炎の温度・色についてレポート5千文字。』はぁっ!?これ来週までに全部やんの?」
テオが素っ頓狂な声を上げる。リンも目を疑った。まさか全部の授業で毎週こんなにたくさん課題が出るのだろうか。
「ヤバイな。相当時間を切り詰めてやらないと。こうしちゃいられない。図書室行くぞ」
「ねえテオ。あの子……」
身を翻して図書室につながるエレベーターに行こうとするテオをリンは引き止めた。テオの行こうとした方向に見知った人物がいるのを見つけてしまったからだ。
リンの指差す先には入学式の前にすれ違った少女、ユヴェンの姿があった。
彼女は今からこの階の教室で授業を受けるようだ。
「げっ」
テオはユヴェンの姿を認めるなり苦々しい顔をして呻いた。
彼女は付き添いの師匠を伴って、悠々と廊下を歩いている。その優雅な立ち居振る舞いは貴族の令嬢そのものだった。
「おい、あんまりあいつと目を合わせんな。気づいてないふりしてやり過ごすぞ」
テオは顔を伏せてリンに耳打ちした。彼女に会いたくないようだった。
「うん」
リンも今は彼女に会いたくなかった。彼女に自分の出で立ちを知られれば嫌な思いをする気がしたからだ。
彼はいまだに自分の身分を知って露骨に態度を変えてくる輩に対して、どう振る舞うべきなのか答えを出せないままでいた。
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