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第4話「猛獣との戦い」

前回、第3話「奇妙な面接」

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 リンは叫び声を上げて逃げそうになるのを必死にこらえた。以前猟師から猛獣に背を向ければ襲い掛かられるという話を聞いていたからだ。

 リンはライオンを刺激しないようにゆっくりと後退りした。ライオンは緩慢な動きで起き上がりながら、リンを睨みつける。目は血走り、口元にはヨダレが垂れている。何日も餌を与えられていないのは明らかだった。グルルと唸り声を上げる。

(冗談じゃない……)

 リンは混乱しながらも今自分が置かれた状況について必死に頭を巡らせる。

(一体どういうつもりなんだあいつらは。こんなの試験じゃなくてただの悪趣味な処刑じゃないか)

 リンはこれまでの経緯について思い巡らせてみた。ひょっとして彼ら、ユインや試験官の連中は自分を魔導師にするつもりなんてないんじゃないか。初めからおかしな話ではあった。しがない奴隷に過ぎない自分にいきなり見ず知らずの旅人が話しかけてきて魔導師にならないかという話が持ちかけられるなんて。初めから罠にはめて塔で飼っているライオンの餌にしたいだけだったんじゃないだろうか。あるいは塔の連中は引っ掛けた可哀想な子供が猛獣によって無残に食い殺されるのを見る趣味があるのかもしれない。

(とにかく逃げなくちゃ……)

 リンはまだ死にたくはなかった。もはや試験どころではない。生命の危機だった。今はとにかくライオンから逃れなければ。

 飢えたライオンはリンのことを睨みつけながらもなかなか襲ってこない。その気になればいつでもリンの喉元に爪を立て八つ裂きにできるはずだ。にもかかわらずライオンは一向に襲ってくる気配がない。リンから視線を外さないようにしつつも、体はリンに対して横向きにし、一定の距離を保ちながらゆっくりと足を運んでいる。明らかにリンを獲物と見なしているにもかかわらず、妙に慎重だった。体を横に向けて円を描くようにリンの周囲をゆっくりと回っている様は、隙を見て襲いかかろうとしているようにも見えるし、あるいはいざとなれば逃げようと準備しているようにも見える。

 よく見ると猛獣はかなり衰弱していた。顔はやつれ、手足と胴体は痩せ細っている。リンに襲いかかる体力がないのかもしれない。あるいはリンのことを魔導師と思って恐れているのかもしれない。リンはハッとして先程嵌めた指輪を見た。指輪に嵌められた宝石は先程よりも強い輝きを発していた。リンは試みに指輪の光をライオンの方に向けて見る。ライオンはビクッと体を痙攣させて、後退りする。やはりライオンはこの指輪を恐れている。どうやら彼も悪辣な魔導師達によって相当ひどい目にあわされてきたようだ。

リンの中で希望が湧いてきた。ライオンがこの指輪を恐れているなら上手くすれば生き延びれるかもしれない。この指輪の使い方は分からないからライオンを倒すことはできないけれど、このままハッタリをきかせてライオンを牽制しながら入り口まで辿り着く。そして入り口を出て外から鍵をかければこの猛獣から逃げおおせることができるかもしれない。

 ここから逃げればおそらく試験は失格になるだろう。けれども今はそれどころではない。とにかく生き延びることを考えなければ。

 リンはライオンに睨みを利かせながらジリジリと入り口まで後退していった。ライオンが近づき過ぎれば指輪の光を向け牽制する。ライオンは指輪の光を避け、リンから距離を取る。

 こうして一進一退を繰り返したリンとライオンだが、段々ライオンが大胆に近づいてくるようになってきた。いつまでも魔法をかけてこないリンを訝しんでいるようだった。

 リンが一歩下がったタイミングで一歩二歩三歩と詰め寄ってきた。飛びかかればその鋭い爪が届きそうな距離である。

(来るな。来ないでくれ)

 リンは心の中で必死に念じた。

 さらにもう一歩ライオンが近づいて来る。

「近寄るな!」

 リンが叫んだ。ライオンはビクッとして後ろに飛び下がる。自分でも驚くような冷たい声だった。

 ライオンが再び距離をとったのを見て安堵のため息をつく。背中にはじっとり汗が滲んでいた。

(後少し。後少しだ)

 リンはライオンに体を向けつつ、視線だけ背後にやる。

 入り口の扉はもうすぐそこだった。リンは振り返って駆け出したいのを必死にこらえながらライオンとのにらめっこを続けた。



 ライオンが召喚されてから、どれほどの時間が経っただろうか。

 リンは猛獣とにらめっこしながら虚勢を張り続けていた。しかしそれもついに終わりが近づいていた。リンは入り口の扉に手が届く場所まで辿り着いたのだ。

(やった)

 リンは生還を確信した。取り敢えずこの扉をくぐれば通路に出られる。そこからエレベーターまではほんの少しだ。入り口の扉に鍵がかからなくてもエレベーターに乗り込めばライオンの爪と牙からは逃れられるはず。

 リンは後手に扉の取っ手を取る。取っ手を回して少し押せば通路に出られるはずだった。リンはゆっくりとライオンに気づかれないように扉の取っ手を回す。しかし取っ手はピクリとも動かなかった。

「そんな……」

 リンは絶望にうちひしがれた。半狂乱に陥る。

「誰か!誰か助けて」

 リンはライオンに背を向けて扉を叩き、叫んだ。もはや緊張の糸は切れ、形振り構わず助けを求める。しかしリンの助けに応じる者はいなかった。

 ライオンはリンのそんな様子を見てニヤリと笑った。リンに自分を抑えつける力がないことは明らかだ。舌なめずりをする。久しぶりの食事だった。少しばかり痩せているのが残念だがそれでも食事であることに変わりはない。これは自尊心の問題なのだ。

 捕らえられて以来、魔法使いによって弄ばれ続け百獣の王としてのプライドは粉々に砕かれていた。しかし今、目の前の獲物を前にして再び自分が強者であった頃のことを思い出す。また獲物の肉を爪で裂き、牙で貪ることができるのだ。

 ライオンは唸り声を上げた。リンがビクッとしてこちらを振り返る。その目にはハッキリと恐怖の色が浮き出ていた。今や立場は逆転したのだ。ライオンは牙を剥き勢いよくリンに向かって飛びかかる。

 その時、指輪が一際強く輝いた。指輪から発せられた光はリンの前で一筋に集まって剣となり、ライオンの頭部を貫く。

 ライオンはリンに爪が届くか届かないかというところで床に崩れ落ちた。みるみるうちにライオンの周りには赤い血溜まりが広がっていく。

 リンは目の前の光景を呆然としながら見守るしかなかった。急に体の力が抜ける。リンは床に手をついた。

(なんだ……これ。体に力が入らない)

 さらにリンは頭痛に襲われる。目眩がして意識が朦朧としてきた。

「驚いたな。ライジスの剣とは」

 いつの間にか傍に試験官が立っていた。

 リンと床に横たわっているライオンを見下ろしている。

 リンとライオンは試験官達に囲まれていた。

「ルセンドの指輪を使ったとはいえ、初めてでこれほどの威力はなかなか出せまい」

「資質は十分ですね」

「奴隷にしては大したものだ」

「ユイン氏は思わぬ拾い物をしましたな」

 試験官達は笑っているようだった。

 リンは何か喋ろうとしたができなかった。どうにも体に力が入らない。

「その指輪はルセンドの指輪と言ってね。持ち主に危害を加えようとする者を殺傷してしまうのだ。魔導師の資質さえあれば装備しているだけで発動する」

(発動しなかったらどうするつもりだったんだ)

 リンは抗議しようとしたがやはり上手く声を出せなかった。全身から力が抜けて唇さえうまく動かせなかった。

「疲れただろう?大丈夫かね?」

「ショックバック現象だ。急激に魔力を消耗した際に陥る。1日もすれば回復するよ。医務室の手配を!」

「おめでとうリン君。試験は合格だ。君には塔内に居住する権利が与えられる」

「塔にようこそ。我々は君を歓迎するよ」

 試験官達は以前と打って変わって親しげな態度だった。しかし口元はニヤニヤと意地悪そうに歪んでいた。彼らはリンがうずくまっているのが愉快でたまらないようだった。

 リンの頭の中では今日一日にあったことが走馬灯のように駆け巡っていた。雑多な人とモノが行き交う大通り、石像の前で祈る少女、塔の中の迷路、猛獣との戦い……。

(どうやら僕は……、とんでもない所に来てしまったみたいだ。)

 やがて瞼を開けることもできなくなり、リンの意識は暗闇の中に落ちてゆく。


                    次回、第5話「ルームメイト」

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