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第96話「勝者の精神」

前回、第95話「新しい師匠」

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 演習場でエミルの声が響き渡る。

「違う。何度言ったらわかるんだ」

「くっ」

 リンは悔しそうに呻きながら立ち上がる。

 体のいたるところには擦り傷ができて、肩で息をし、足もふらついている。

 杖を頼りにかろうじて立つことができている状態だった。

 演習場の脇には魔法の靴が何足も転がっている。

 衝撃に強いはずの魔法の靴だが、いずれも履き潰されて底が擦り切れていた。

 それだけリンが過酷な訓練を受けている証拠だった。

 実際、リンは特訓を始めてから加速魔法で何キロ走ったか分からなかった。

 それでもエミルは容赦しない。

 リンは打ち込みの甘さを咎められていた。

「リン。お前また打ち込む瞬間にためらっただろ。そういう迷いが戦闘では命取りだって何度言ったらわかる」

「はい。すみません」

「敵を追い詰める瞬間、情けをかけてしまうのはお前の悪い癖だなそんなことではスピルナはおろかどんな奴にも決して勝てない」

「くっ」

「リン、お前には勝者の精神が足りない」

「勝者の……精神?」

「そう。勝者の精神だ。リン、勝者になるために必要なものは何だと思う?」

「それは、強くなって、実際の試合でも力を発揮できるように……」

「違う。勝者になるために必要なもの。それは敵にトドメを刺すことだ」

「敵に……トドメを……」

「敵にトドメを刺せない限り、どれだけ強かろうが、善戦しようが意味はない。優れた武器と力、知略の持ち主が一本の短剣を持った子供にあっさり負けることもある。それを可能にするのはただ一つ。確実に敵の心臓を貫ぬく算段と意思だ」

 エミルはリンの心臓に向かって杖を向ける。

 リンは彼女からの攻撃に備えて、回避の姿勢をとる。

 もうこれくらいは反射でできるよう体に叩き込まれていた。

「常に敵にトドメを刺すイメージを持て!自分が勝者になる姿以外想像するな!それが勝者の精神だ!」

(敵に……ナウゼにトドメを刺す)

「勝ちたいなら甘さは捨てろ。さあ、もう一度だ。いくぞ」

 リンは意識が朦朧とし、筋肉と魔力の器官が悲鳴をあげる中で気合いを入れ直す。

 彼はもう何時間も魔力の回復も休憩もとっておらず精神力だけで戦っていた。

 過酷な戦闘で心が折れそうになる状況に備えて鍛えておくためだった。

 エミルがリンに向かって杖を振り下ろす。

 リンは魔力を振り絞って加速し、エミルの側面に回り込み、反撃する。

 完璧に側面をついたかに見えたが、彼女はいとも簡単に薙ぎはらってリンを吹っ飛ばした。



 この日以来、リンは布団に入ってから意識が落ちるまでの間、毎夜のように考えた。

(どうすれば競技でナウゼにトドメをさせるんだろう)

 彼は持ち得る限りの想像力を振り絞り、ナウゼにトドメを刺している自分の姿をイメージしようとした。



 ある日、リンがいつものように師匠にしごかれてヘトヘトになりながら帰路に着いていると、チーリンがピクリと顎を反応させ、立ち止まる。

「どうしたの?」

「アトレア様が帰ってきたようです」

「えっ?」



 夜の月明かりに照らされたグィンガルドの大通りをアトレアは歩いていた。

 塔は真夜中でも工場が動いて絶えず製品を出荷している。

 夜、港から船は出ないため流石に日中ほどの賑わいはないが、明日の出航に備えて港近くの倉庫に運ばれている製品はまだチラホラと見られた。

 往来を篝火と月明かりだけを頼りに馬車が行き来する様はどこか幻想的ですらあった。

 混み合って中々人々が進めない中をアトレアはいつも通り何も障害がないかのように悠々と歩いていく。

 そして彼女はいつも寄る場所にたどり着いた。

 大魔導士ガエリアスの像のある場所に。

「アトレア!」

 アトレアは自分を呼び止める声を聞く。

 振り返るとそこにはリンがいた。

「リン。わざわざ迎えに来てくれたの?」

 チーリンがリンから離れアトレアの足元にかしずく。

 彼は主のもとに戻ってこれた居心地の良さから、すっかりリラックスした様子になり地面に寝そべった。

「ふふ。チーリンもお疲れ様」

 アトレアはチーリンの頭をひと撫でする。

 二人は石像に祈りを捧げた後、椅子に座って話をした。

 椅子はリンが魔法の帽子に入れてきたものだ。

「アトレア。チーリンをありがとう。おかげでメデューサの迷宮を抜け出すことができたよ」

「どういたしまして。それはそうとリン。なんだか傷が多いわね。魔力をすごく消耗してるようだし」

「うん。今まで特訓だったんだ。魔導競技に出るための」

「魔導競技? あなた軍人さんになるの?」

 リンは不思議そうにするアトレアに事情を説明した。

 ザイーニのことや、ナウゼのことを。

「そう、そんなことが。どうして急に競技に出るのかと思ったらそういうこと」

「うん。まだ上手く言えないけれど、今、ナウゼと戦わなくちゃいけないような気がして」

 アトレアはいつも通りリンの話を黙って聞いてくれた。

 リンはこれならもしかしたらと思って提案しようと思っていたことを提案してみた。

「その、よかったら試合観に来る? 魔導競技なら上階の高位魔導師でも観に来るし、君の師匠もアルフルドまで来るのを許してくれるんじゃないかな」

 アトレアは悲しそうに首を振った。

 リンは残念に思いながらも不思議だった。

 彼女ほどの力の持ち主でも自由に行動できないなんて。

 あるいは力を持っているから自由がないのかな、とも思った。

 リンは話題を変えることにした。

「君は出張の方はどうだった?」

「上々の成果よ。使命は果たせたし、ファルサラスも満足して帰って行ったわ」

「そっか。あの。アトレア。よかったらこれ。チーリンのお礼に」

 リンは髪飾りをプレゼントした。

 アルフルドで売っている最新流行のものだ。

 塔内でも指折りの工匠が作ったもので、ユヴェンも欲しがっていの一番に購入していた。

 アトレアが出張に行ってから販売されたもののため彼女は持っていないはずだった。

「私に? ありがとう」

 アトレアは素直に受け取るものの受け取った後で悲しそうな顔をする。

「気持ちは嬉しいけれど私の欲しい物はこれじゃないかな」

「そっか。そうだよね。なんとなくそんな気はしたよ」

(うーん、違ったか)

 ユヴェンはこういうものに関しては絶妙なセンスを持っていたので、彼女が欲しがる物ならアトレアももしやと思ったのだが当てが外れたようだった。

「でもそれじゃ君にも欲しいものがあるってことだよね」

 リンはめげずに聞いた。

「ええ、とても珍しいアイテムよ。お金では買えないもの。どうにか作りたいのだけれど。中々うまくいかないわね」

(やっぱり魔導具か)

「ちなみにそのアイテムって……どんなものか聞いてもいい?」

「『星屑のレンズ』っていうアイテムよ。『アレカンドラの灯台』を建設するのに必要なの」

「『アレカンドラの灯台』?」

「ええ、古代の魔導士が建設したと言われる灯台よ。今はもう無くなってしまって、世界のどこに建てられたものかもわからないけれど。アレカンドラの灯台から発せられる光は地平線の向こうまで星屑の道をつくり夜空を照らしたというわ。まるで天の川のように。灯台のおかげで船は夜の暗闇でも迷わずに航行することができたの。現世に再現することができれば、その灯りで飛行船を夜でも運行できるようになる」

「夜? 飛行船って夜は飛べないんだ」

「そうよ。地上の風景を見ながら方向と現在位置を確かめるのだけれど、夜間はそれが見えない。星の位置だけでは不正確だわ。 雲が出れば星も見えないし、雨季の多い地域は飛ぶだけでも困難。だからどうしても夜間は海上に停泊して錨を下さなければいけないの。それが飛行船の航路と塔の勢力圏を制限している。けれども夜も運行できるようになれば航続距離も活動範囲も飛躍的に向上されるはず。師匠も灯台を建設することができれば評議会に認められて『天空の住人』への道が開かれるって」

「へ、へえ。そうなんだ」

(なんだかすごい壮大な計画だな)

 リンは彼女が自分では到底届かない場所にいるような気がして、気後れしてきた。

「灯台の光源は文献によると巨大なレンズの中に『星の精霊』を宿したものとあるわ。建物の基礎になる材料の調達は目処がついたし、塔の中の土地と空間も確保できた。後は膨大な魔力に耐えうるレンズと『星の精霊』さえあればどうにかなるのだけれど……。精霊が見つからないの。世界の至る所を歩き回って、その土地土地の精霊に話しかけて聞いてみたのだけれども」

 アトレアは憂鬱な表情になる。

 出張疲れか少しばかり沈んだ気分になっているようだった。

「リン。あなたは一体何がしたいの?」

 アトレアは唐突に聞いた。

「えっ? な、何がしたいって?」

「塔の頂上を目指しているんでしょう? それなりの目的があると思うんだけれど」

「僕は……まだ分からないよ。今はとにかく魔導競技の特訓を頑張ることでいっぱいいっぱいだし」

「そっか。そうよね」

 アトレアはそれだけ言うと海の方に目を向けて黙り込む。

 彼女はリンがそこにいるのも忘れてどこか遠くを見ているようだった。

 リンは急に寂しくなってきた。

 もう二度と彼女には会えないんじゃないか。そんな気がするのだ。

「アトレア」

 リンが呼びかけるとアトレアは不思議そうな目でこちらを見てくる。

「さっきの灯台の話だけれど、要はその『星の精霊』さえ見つければ、その灯台を完成させられるんだよね」

「ええ、そうね」

「じゃあきっと僕がそれを見つけるよ」

「あなたが?」

「うん。王族にも知り合いがいるし、きっと何らかの手がかりがつかめると思うんだ」

「……」

「そろそろ行かなくちゃ。次はいつここに来るの?」

「そんなの分からないわ。これでも忙しい身なの」

「もしまたここに来たら会おう。チーリンで僕を呼んで。きっと君のためにいい情報を持ってくるから」

「ええ、分かったわ」

 リンはそれだけ言うと行ってしまう。

「本当に……世間知らずなんだから」

 アトレアは苦笑いせずにはいられなかった。

「王族だからって、500階層の魔導士でも手に入れられない物をおいそれと手に入れられるわけないじゃない。お金では買えないものなんだから」

 しかしアトレアはあり得ないと分かっていながらもわずかな可能性に期待している自分がいることにも気づいた。

「期待せずに待ってるわ。リン」

 アトレアはリンの走り去った方を見て一言そう呟くとチーリンの背中に乗ってその場から立ち去った。

 アトレアの元に戻り、本来の力を発揮できるようになったチーリンは空にフワリと浮かび上がると塔の上階に向かって悠々と飛んで行く。

 リンはアトレアに約束したものの、次の日にはそのことは一旦脇に置いて魔導競技の特訓に意識を切り替えた。

 来る日も来る日も競技の特訓に明け暮れて、いよいよ競技前日になる。

 リンの出場する競技『杖落とし』はトーナメント形式で行われるが、トーナメントの組み合わせは、はるか古の時代から競技場に宿り魔導士達の戦いを見守ってきた精霊達によって決められる。

 人智の及ばぬ世界で決められる完全に公平な抽選の結果、リンの一回戦の相手はナウゼに決まった。



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