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第72話「絶対零度の剣」

前回、第71話「塔に正邪善悪の境目なし」

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 ロレアの杖がテオの頭に振り下ろされんとしたその時、斜め上から鉄球が飛んでくる。

 鉄球はロレアの杖を弾き飛ばし、ズンと鈍い音を立てて地面にめり込んだ。

「ぐっ」

 ロレアが杖を弾き飛ばされた衝撃に顔をしかめ、痺れる手を押さえる。

「うう。なんだ」

 テオが呻きながら鉄球の方を見ると鉄球は光の破片になって消えた。

(これは物質生成魔法……)

 リンは鉄球の飛んできた方向、上空に目を向けた。

 そこには鷲の上半身と翼にライオンの下半身を持った魔獣グリフォンがいた。

 グリフォンの上にはイリーウィアとユヴェンが乗っている。

「ユヴェン!? それにイリーウィアさんも……」

「ったく何やってんのよあんたら」

 ユヴェンは顔をしかめてドン引きしていた。

 どうやら鉄球を放ったのは彼女のようだ。

「空の上からここまでの道を見てきたけど酷いもんよ。まるで戦争の後じゃない。なんで通った道々を焼け野原にして回ってんのよあんた達は」

「好きでやってるわけじゃねーよ」

 ロレアが一瞬ひるんだ隙に彼女の束縛から抜け出し、立ち上がったテオが言い返す。

「襲われた結果こうなったんだよ。見りゃ分かんだろアホ!」

 ユヴェンの前では弱みを見せたくないのかすっかりいつもの威勢を取り戻していた。

「だーからなんでそんな風に襲われることになってんのかって聞きたいのよこっちは。つーか誰がアホよバカ」

「ちょっ、二人ともケンカしてる場合じゃ……」

 リンが取りなすように言った。

 先ほど建物に激突したケルベロスが復帰してこちらに近づいてきていた。

 向こうの角からズシンズシンと足音が聞こえてくる。

 すでに建物の陰からケルベロスの頭が覗いている。

「くそっ、イリーウィアが来るなんて……」

 ロレアは悪態を吐くとケルベロスに向かって叫んだ。

「ケルベロス! すべて燃やし尽くせ! この場にいる全員殺してしまうんだ」

「グオオオオオ」

 ロレアの命令に反応したケルベロスが雄叫びを上げながらこちらに向かって突進してくる。

「リン。ケルベロスに光の剣は通用しません」

 イリーウィアがいつも通り地上の喧騒などどこ吹く風と言った様子でさえずるように言った。

「ケルベロスを倒すには絶対零度の剣で心臓を貫かなければいけません」

「いやそんなこと言われたって。そんな魔法使えませんって」

「あら。そうなのですか? 困りましたね。私も今は氷系統のアイテムは何も持ち合わせていませんし……」

「しょうがないわね。リン。これを使いなさい」

 ユヴェンがポケットから取り出した指輪を放り投げて寄越す。

「これは!」

「それはアブゾルの指輪。極寒の地に住む精霊を閉じ込めた魔石がはめ込まれているの。あんたの力なら冷気を凝縮させた、絶対零度の剣を放てるはずよ」

(た、助かった)

 リンは受け取った指輪を急いで嵌める。

 この時ばかりはユヴェンが女神に見えた。

 ケルベロスがリンに向かってまっすぐ突進してくる。

 その灼熱の炎の宿る大口を開けてリンを飲み込もうとする。

 リンは指輪をケルベロスに向けて意識を集中させた。

 かくして指輪は応えてくれる。

 ——ライフリア——

 指輪から絶対零度の剣、ライフリアの剣が放たれる。

 剣はケルベロスの喉元から心臓を一直線に貫いた。

 ケルベロスの心臓を起点に魔法陣の光が放たれたかと思うと知恵の輪が解けるように分解される。

 炎に包まれた体は溶けるように崩れ落ちていく。

 魔獣にかけられた魔法が解除された証だった。

 後に残ったのは地面に横たわる小汚い子犬だけだ。

 子犬は横たわったまま微動だにもしない。

 無理な魔法をかけられたため、衰弱しきって、息絶えてしまったようだ。

 リンは危機が去って力が抜けるのを感じた。

 同時に体を倦怠感が襲う。

 以前体験した魔力が底をつく感覚だった。

 立っていられなくなり地面に膝をついてしまう。

 しかし今回は気が遠くなることはなかった。

「くそっ、使えない駄犬め」

 ロレアは悪態をつくと杖を拾いリンに向けて鉄の矢を放つ。

(せめてリンだけでも殺してやる)

 リンは体を動かそうとしたが自由に動かなかった。

(やばい。体が動かない)

 鉄の矢は膝をついているリンにあたる手前でバシッと音を立てて別の方向から力が加わり、推進力を失って地面に刺さってしまう。

 すぐ横を見るとテオが杖を構えている。

「くそっ。どいつもこいつも邪魔しやがって」

「ここまでだな。お前は僕達に負けたんじゃない。市場に負けたんだ。市場の変化についていけない者はただただ淘汰され滅び行くのみ。観念しろ」

 テオがロレアの方を指差しながら言った。

「ロレアさん。あなたは私腹を肥やしてアルフルドの商人の反感を買いすぎました。あまりにも苛烈な支配と搾取をしすぎたんです。綻びを直そうとしても取り返しがつかないくらいに。もうここまでです。これ以上罪を重ねるのはやめてください」

 リンが宥めるように言った。

「お前らぁ。形勢が逆転した途端、綺麗事言って正義ヅラしやがって。偽善者どもめ。お前らもたいがいクズのくせに。私とお前達の一体どこに罪の差があるっていうんだ。お前達が見逃されて私が裁かれるいわれはない。特にリン。お前は一緒にアルフルドを支配しようとか散々調子のいいこと言って、悪巧みを企んでいただろうが」

「僕が間違っていました。反省して、過去の自分の過ちを悔い改めます。心を入れ替えて誠心誠意汗水垂らして真面目に働きます。神と大地の豊穣への感謝を忘れず、自分の身の程を弁え慎ましく暮らすつもりです。……明日から!」

「この野郎! どこまでも私をコケにしやがって」

 ロレアがなおも杖を構えて攻撃する仕草を取ろうとすると彼女の前に立ちふさがるようにグリフォンが降り立った。

 イリーウィアが冷たい刺すような視線をロレアに向ける。

「ロレアさん。危険な魔獣を街に放つのは重大な犯罪です。あなたは塔と魔導師、そしてアルフルドの法によって裁かれます。無駄な抵抗はやめておとなしく罪に服しなさい。塔を支える三大国の一つ、ウィンガルドを治める王族として、これ以上街の治安を乱し彼らを傷つける行為を見逃すわけにはいきません」

 イリーウィアが静かだが厳しい口調で言った。

「それとも私に対しても魔法を放ちますか。ウィンガルド王室の王位継承権者であるこの私に対して」

「ぐっ、うう」

 ロレアが呻きながら振り上げた杖を下ろす先を決めかねていると、そこにデュークがやってきた。

「そこまでです、ロレア。その杖を振り下ろせばあなたは本当に終わりですよ。彼女に傷一つでもつければウィンガルド王国の誇る魔装騎士団が黙っていません。彼女に忠誠を誓う魔装騎士1000人が殺到し、あなたの喉元に剣を突きつけますよ」

「うっ、うう」

 ロレアはついに戦意を喪失し杖を手放して地面に手をついてうなだれる。

 杖は地面をコロコロと音を立てて転がった。

 それを見るとデュークはこの場にいる当事者および遠目から恐る恐るこちらを見ている野次馬に対して声を張り上げた。

「聞け。この場所にいるすべての者たちよ。この場は魔導師協会の一員である私、デュークが納めさせてもらう。この騒ぎの関係者は全員神妙にしてここから一歩も動いてはならない。全ての罪は魔導師とアルフルドを支配する法によって裁かれる。アルフルドのあまねく住民、いかなる階級の魔導師も、奴隷も、商人も、これ以上治安を乱し不安を掻き立てる行為をしてはならない。アルフルドは平和と安寧を取り戻した。この騒ぎに乗じた火事場泥棒、流言飛語、その他いかなる軽犯罪も起ころうものなら、たちどころに悪は裁かれ、正義が実行される。学院都市は忌まわしき魔獣の災いから解き放たれ、その名にふさわしい研鑽を治める場所としての機能を取り戻す。全ては魔導の発展と塔の利益のために」



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次回、第73話「少年と春風」

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