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第73話 少年と春風

前回、第72話「絶対零度の剣」

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「うっ、イテテ」

 リンはテオに助け起こしてもらいどうにか立ち上がる。

 魔力を失った反動で体の節々に痛みが走った。

「大丈夫か?」

 テオがリンを気遣うように言った。

「うん。なんとか大丈夫。君こそ大分痛めつけられてたんじゃないの」

「っ、そういえばさっきからあの女に踏みつけられた方の手が言うこと聞かねーや」

 テオは思い出したように顔をしかめる。

 今まで危機に対応するのに夢中で痛みに気づかなかったようだ。

 テオがダメージを受けているのは手のひらだけでないようだ。

 足元もおぼつかなくフラフラしている。

 馬車から落ちた時に体のいたるところを打ち付けたみたいだった。

 二人は互いの体をかばうように肩を支え合ってどうにか歩いた。

「リン。大丈夫ですか?」

 グリフォンから降りたイリーウィアが駆け寄ってきて心配そうに声をかける。

 その様子からは先ほどの厳しい雰囲気がすっかり消えていていつものやさしく慈愛に満ちた表情を取り戻している。

「ええ、どうにか。ありがとうございます。イリーウィアさんに来てもらわなければどうなっていたことか。あ、あとユヴェンも」

「何よそのついでみたいな言い方。っていうか、あーっ」

 ユヴェンがリンの指にはめられた指輪を見て素っ頓狂な声を上げる。

「あんた。私の指輪壊れてるじゃないの」

 アブゾルの指輪に嵌め込まれた魔石は元の透き通るような水色からくすんだ色に変色しておりしかもヒビが入っていた。

「げっ、ご、ごめん。夢中で撃ったから手加減できなくて、ついつい何も考えずフルパワーにしちゃったというかなんというか……」

「どうしてくれんのよ。これ高いどころかなかなか手に入らない珍しいものなのよ。あんた極寒の地まで行ってこの指輪を作ってきなさい」

「え、ええー。そんなこと言われても」

「つべこべ言うな。さっさとしろ」

 ユヴェンはリンとテオを杖でポカポカと叩く。

「痛った。ちょっ、ゴメン。ゴメンってば」

 リンが手で頭を覆いながら必死に謝る。

「おいっ。なんで俺まで」

 巻き添えを食らったテオが言った。

 リンとユヴェンが小競り合いしていると向こうの方から諍いするような声が聞こえてきた。

 リンが声の方を見ると、ちょうど魔導師協会の人間がロレアをしょっぴいていくところだった。

「オラッ。ぐずぐずすんな」

「こんな街中で魔獣を放ちやがって」

「うう。私は……、私は悪くない。あいつが、リンがクズなのがいけないんだ。うわぁーん。リンのバカァ」

 うわ言のようにつぶやきを繰り返したり、泣きながら叫んでいる。

 その様子を見てリンは気の毒に思った。

「なんか悪いことしちゃったかな」

「気にすんなよ。自業自得だって」

 テオが答える。

「でもさ。そこまで悪い人じゃないと思うんだよねあの人」

「バカすぎるんだよ」

「テオ。君ってやつは……」

 本当に厳しいね、と言おうとしてリンは言うのをやめることにした。

 リンはロレアの部下達も連行されているのに気づいた。

 部下の一人がリンに対してぺこりと頭を下げる。

 リンとテオを初めてロレアの事務所まで案内した男だ。

「ねぇテオ。彼も罪にかけられるの?」

「ん? あー。あのおっさんか。まああいつは結局のところ奴隷だからな。主人の犯行を手伝ったってことで連帯責任だよ。主人と同程度の罪か、あるいは主人よりも重い罪を科せられるかもな」

「そんな……」

 リンは彼が連れて行かれるのを見て複雑な気分にならずにはいられなかった。

 彼と自分。

 元は同じ奴隷の身分だったはず。

 一体、何が二人の命運に違いをもたらしたというのだろう。

 彼と自分だけではない。

 王侯貴族から平民賎民まで全ての人間は、ほんの少しの差で栄達と没落の命運を分けられる。

 リンは人生の奇妙さと理不尽さに想いを巡らせずにはいられなかった。



 数日後。

 リンはグィンガルドの港に作業員と一緒にいた。

『テオとリンの会社』は例のケルベロス事件後、いよいよ事業を拡大して輸出事業にまで手を広げるようになっていた。

 そのためリンは港での輸出作業にも駆り出されることがあるのだが、何分外国のことは塔内のように上手くは行かず慣れない作業に手こずることも多かった。

 今もちょうど仕事に行き詰まったところだ。

 先ほどから港の船乗りと一緒に発注書を見ながら首を傾げている。

「どうですか。魔導師様。なんて書いてあるか分かります?」

 船乗りが尋ねる。

「いやそんなこと言われても。魔法語かトリアリア語ならともかく、ラドス語は読めないよ」

 リンは困ったように返事する。

「かぁーっ。魔導師様にもわからないとあっちゃ、あっしらにはお手上げですわ。魔導師様ならどんな国の言葉もわかるって聞いて頼りにしていたんですが」

「耳で聞けばどんな言語でも大概意味がわかるけれど。文字はちょっと……。船乗りさんラドス語の発音とかできます?」

「そんなことできりゃあ。わざわざ魔導師様を呼んで頼んだりしやしませんよ」

「だよね。そりゃそうだ」

 リンはため息をついた。

「とにかく読める人を探さないと始まらない。知り合いを当たってみるよ。船乗りさんは出向の準備をしておいて」

「へい。わかりやした。どうにかお願いしやす」

 船乗りは肩を落として作業に戻っていく。

「さて。どうしたもんかな」

 リンは頭をぽりぽりと掻きながらラドス語の発注書とにらめっこする。

 するとちょうど船着場に大型の船が発着した。

 ぞろぞろと乗客が降りていく。

 その中には普通の人もいれば魔導師の証であるローブを着ている人もいる。

 リンはなんともなしに降りてくる人を見ているとそこに見知った顔がいた。

「アトレア!」

「あら? リンじゃない」

 彼女はまた出張から帰ってきたところらしかった。

 相変わらずの白いローブに長い杖。旅装姿で船から降りてくる。

「中等クラスの学院魔導師になったんだね」

 アトレアはリンの出で立ちに目を走らせて言った。

 リンは学院魔導師の赤いローブにトンニエの杖、ルセンドの指輪を身につけていた。

 いずれも中等クラス以上の魔導師に許される装備だった。

 今のリンの虚飾ない等身大の姿だった。

「うん。いろんな人の助けを借りて。どうにかね」

「そう。よかったね」

 リンはアトレアを目の前にしてなんとなく感無量になった。

 彼女はこの街に来て初めてできた知り合いだったが、初めて会った時からまだ2年足らずだというのにずいぶん時間が経ったような気がした。

 あれから自分は少しでも成長しただろうか。

 彼女には自分がどう映っているのだろうか。

 彼女に話したいこと、聞きたいことは山ほどあったがいざ目の前にするとうまく言葉が出てこなかった。

 リンは言葉を探しあぐねて何も言わないままアトレアのことを見つめ続けてしまう。

 アトレアはただただリンからの言葉を待っている。

 二人はしばらく黙ってお互いのことを見つめ合った。

「リンさーん。また問題でーす」

 先ほどとは別の船員がリンのことを呼んでいる。

 無言で見つめあっていた二人はその声に呼び戻されて我に返る。

「ああ、もう次から次へと」

「なんだか大変そうね」

「ごめん。もっとゆっくり話したいんだけれど」

「いいよ。行ってあげなよ。私もあんまりゆっくりしていられないし。また次の機会に話せばいいわ」

「いやっ、でも……」

「リンさん。早く来てください」

 船員はリンの袖を掴むと引っ張っていってしまう。

 アトレアはそれを見ると苦笑して立ち去ろうとする。

「それじゃね。また会うこともあるでしょう」

「待って。アトレア。これだけは言わないとって、ずっと思っていたんだ」

 アトレアが立ち止まってリンの方に振り向く。

「塔の頂上を目指すよ。きっと君のいる場所まで追いつくから」

 リンはそれだけ言うと駆けていく。

 爽やかな春風が通り抜けて少年の背中に追い風となって押していく。

 アトレアはしばらくその様子を見つづけた。

 やがてリンの姿は見えなくなってしまう。

「リン。早く私のいるところまで来てね」

 誰にも聞こえないようなつぶやくような声でそう言うとアトレアは大通りの人混みの中に姿を消していった。



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次回、第74話「200階の魔女」

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