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遠藤周作「切支丹の里」考

東京に戻り、幾つか、私の中での宿題があり、その一つが、遠藤周作のことです。昨年が、生誕100周年だったかな。

島原半島に、赴任していたから、周作先生の「切支丹の里」というエッセイは、私の周りの身近にある地域が、背景にあったので、東京に帰ってからも読んでいました。

この思想を描いた紀行、作品集は、長崎市の十六番館でみた、「踏み絵」が切っ掛けだったようです(後で調べたら「沈黙」を書く切っ掛けになった、聖母マリア、ピエタと書いてあったけど、踏絵だそうで、南山手の十六番館はweb上にはあるけど、見つからない。行ったのは東山手十二番館だった)。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0303/minamiyamate16/index.html

やっぱりどうやら、閉館しているらしい。
https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20031130000203

再び、どこの踏み絵だったのか、読み直してみたら、周作先生の深い思想を感じることが出来ました。

🔻「切支丹の里」より

「踏絵自体のためではなく、そとを囲んでいる木に、黒い足指の痕らしいものがあっ たためであった。足指の痕はおそらく一人の男がつけたのではなく、それを踏んだ沢山の 人の足が残したにちがいなかった」

実際には本には蛍光は引いてません

「ーその足で自分の信ずるものの顔を踏んだ時、とういう心情たったのかということだった。

ー疑問を噛みしめているうちに次第に私には切実なものになりはじめた。それは強者と弱者、―つまりいかなる拷問や死の恐怖をもはねかえして踏絵を決して踏まなかった強い人と、肉体の弱さに負けてそれを踏んでしまった弱虫とを対比することだったからである」

実際に、沢山の信者が踏んだと思われる痕跡、、

私も天草の崎津教会(踏み絵をした場所)で、感じたざわざわした気持ちを思い出して、既に公開はされていませんが、あぁ、一度私も、この踏絵は見てみたい!という思いに駆られました。

これで、また一つの企画に着手が出来そうです。周作先生の思想を汲み取りたい。
感謝。

#遠藤周作

#創作大賞2024

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