Chiakikano_photography

日々の生活や仕事は、クリエイティブな活動と思考にある。21世紀以降から、京都の芸術大学で写真と美術を学び、写真作家活動をしています。 https://www.chiakikano.art/

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日々の生活や仕事は、クリエイティブな活動と思考にある。21世紀以降から、京都の芸術大学で写真と美術を学び、写真作家活動をしています。 https://www.chiakikano.art/

最近の記事

2023年の長崎くんち

昨年、10月に私は長崎に赴任しました。 お休みの日に、自身の制作のために、アポイントを取り、撮影、取材をしました。 その際に、長崎の特別なお祭り、おくんちの存在を知ります。 写真は、最初日(あとび)のスチルですが、この日帰りでの庭先回りを見て、東京から今年は、おくんちに行くことにしました。 台風よ、どうぞ来ませんように。

    • 《聖母十五玄義図》

      『聖母像の到来』 若桑みどり著 聖母サンタマリアについて、大変参考になる文献を見つけました。 私は、昨年12月に生月島で、解散した組のかくれキリシタンの元オヤジ役の方から、最後の対面とお堂で、撮らせていただいた、絹に描かれたお掛け絵の原型が、《聖母十五玄義図》に描かれている一部と同じであることに、関心を持ちました。《聖母十五玄義図》は、日本に所蔵があります。 また、マリア像信仰については、イエズス会によって、世界布教のために、聖母像が、モデルに決定されたようです。これは

      • 遠藤周作「切支丹の里」考

        東京に戻り、幾つか、私の中での宿題があり、その一つが、遠藤周作のことです。昨年が、生誕100周年だったかな。 島原半島に、赴任していたから、周作先生の「切支丹の里」というエッセイは、私の周りの身近にある地域が、背景にあったので、東京に帰ってからも読んでいました。 この思想を描いた紀行、作品集は、長崎市の十六番館でみた、「踏み絵」が切っ掛けだったようです(後で調べたら「沈黙」を書く切っ掛けになった、聖母マリア、ピエタと書いてあったけど、踏絵だそうで、南山手の十六番館はweb

        • 写真展「切支丹、その出会い Hidden Christian Story」開催中

          ミュージアムの広報スタッフの方が、ブログに長崎新聞の掲載内容を載せて下さいました。 https://www.nagasaki-peacemuseum.com/archives/311 【個展のご案内】 「切支丹、その出会い - Hidden Christian Story」 2024年5月21日(火)~6月16日(日) ※5月27日(月)、6月3日(月)、10日(月)は休館 10:00~17:30(最終日は14:00閉館)入場無料 ナガサキピースミュージアム 〒85

          個展のご案内

          「切支丹、その出会い Hidden Christian Story」 2024年5月21日(火)~6月16日(日) ※5月27日(月)、6月3日(月)、10日(月)は休館 10:00~17:30(最終日は14:00閉館)入場無料 ナガサキピースミュージアム 〒850-0921 長崎市松が枝町7-15 TEL 095-818-4247 http://www.nagasakips.com museum@nagasakips.com Statement, 2022年10月、

          聖母マリア像

          カトリックやキリシタンは、イエス様を神聖物としていますが、かくれキリシタンは、マリア様なのです。 母なる神聖物、そして西洋の聖母マリアは、やはり子を抱いている。磔刑にされている姿には、祈らないのだろうか、 ということをお掛け絵や、マリア観音を見ながら考えていた。西洋の宗教絵画に、ついても考えたいなと、長崎にいるときは思っていたのです。 そして調べていたら、聖母マリアが住んでいた家がトルコにはあるらしい。 https://www.hzmeryemanaevi.com/

          雲仙地獄

          長崎での展示に、雲仙の地獄の写真をレイアウトを考えている。いまでは、湯けむりが沸騰する場所で、地獄と呼ばれています。 1669年に、オランダで刊行されたモンタヌス『日本誌』。「雲仙地獄の殉教図」という版画があります。キリスト教弾圧の舞台をイメージされています。 雲仙で、生活をしていた時に、この所蔵先を見つけ、画像を提供してくださることになりました。こちらに、張っている画像は、本の画像ではありません。 並べて、展示をすることで、ここであった出来事をイメージしながら、視覚的

          平戸を歩いた時の撮影紀行

          高台の海が見える公園まで歩いたとき。 こっそり撮影したこの写真は、かくれキリシタンのお墓ではないかと思って撮りました。この写真には写っていないけれど、左に黒猫が静かに座っています。 人の意識や考え方で、写真の見方(とらえ方)は、変わってきますが、一般的な商業的な記録ではなく、記憶が降りてくる。写真をそう考えたほうがよいと思うのです。

          平戸を歩いた時の撮影紀行

          切支丹考察

          平戸島、生月島の取材をしていた時に、籠手田の時代のことを考察している、解散後のカクレキリシタンの方から、案内を受けていた。 唯一、旧切支丹信仰が残っている、平戸ではあるけれど、平戸の信仰については、本当に独自の日本的な信仰で、カトリックとはかけ離れているものがる。一般的には、先祖からの信仰心があるけれど、平戸生月は違う。 しかし、御前様を守る信仰は、守られている。今でも。そのことに深い関心を抱いて、またその信仰とする神様も今でも残されているとうことで取材を進めていた。 自

          作品発表の着手

          つい先日まで、写真活動のために、長崎に滞在していました。いまは、5月の長崎での発表に向けて、展示プランニング中です。 掲載前までは、撮影、リサーチ中でしたが、「失われ行きつつある信仰」について、人文学的にまとめられればと思います。 今後も、企画コンセプトで発表、撮影を継続していきます。写真は、人生と共にある。

          note始めました

          https://www.chiakikano.art/