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Q&Aその① 「あなたのスラムでの活動はミッション(使命)ですか?」

ここのところ数多くの皆さんに様々な質問のメッセージをいただいてありがとうございます。なかなか個別にお答え出来ていなくて気になっていましたが、共通した内容の質問が多いので、noteにときどきQ&Aシリーズを書いていこうと思いつきました。

では、第一弾、行きます。

Q. 「あなたのスラムでの活動はミッション(使命)ですか?」

【解説】
私はケニア在住32年になりますが、ケニアのスラム地区や貧困状況にある農村と長年関わってきて、1999年からはキベラスラムに「マゴソスクール」という学校、ミリティーニ村に「ジュンバ・ラ・ワトト」という子どもの家を作り運営しています。
孤児、貧困児童、浮浪児のための生活の場や学び舎、貧困者の生活改善のための取り組み、障がい児の特別学級、病気の子どものサポート、若者たちの高校・大学の奨学金などを行っています。
貧困者に寄り添う様々な活動をしていますが、そこから私は個人的な収入は得ていないので、自分の生活費は他にいろんな仕事をして作りだしています。


A. 質問にお答えします。

実は私は「ミッション(使命)」という考え方をしたことはありません。そんな風に意識したことがないのです。そんな大袈裟なもんではないと思っています。
逆に、もしも使命感だけでやっていたとしたら、ここまで長くやってこれていないんじゃないでしょうか。

それでは一体、何故そんなことをやっているのか?とよく聞かれるけど、私にとってはその答えはけっこうシンプルです。

まず第一に、彼らのことが好きだから。

第二に、それが私の日常だから。
空気を吸ったり、ご飯を食べたりするのと同レベルで、日々の暮らしの中で日常的になっています。
目の前に困っている人がいたら、手を差し伸べたくなるのは人として当たり前の人情ではないでしょうか。

第三に、私自身が学びを得ているから。

スラムでどんな困難な暮らしの状況があろうとも、生きることをあきらめずに日々を黙々と生き抜く彼らに接し、彼らの生きる現実を知ると、自分自身が子どもの頃から最も知りたかった「人はなぜ生まれ、なぜ生きるのだろう。自分自身はどんな生き方がしたいのだろう」という問いについて考え、数多くの気付きをもらいます。
彼らに接するその折々に、「生きるとはこんなにも尊い」と実感させられる瞬間が多々あります。
私は手助けをしているだけではなく、むしろ私自身が与えられていることは非常に大きいのです。

だから、私がこのような活動を続けていることを「あなたのミッション(使命)なんですね」と言われると、なんだかおこがましいような気がして、それは違うなと思うのです。それよりも、「共に生きている」「与え合っている」と言うほうが、自分にはしっくりくるような気がします。

人生は持ちつ持たれつ、と言いますよね。
そして、人生山あり谷あり。ともよく言われます。
本当にそうだなぁと思うのです。
私自身も、人生は平穏ではなく、様々な困難や苦境がありました。もしも一人ぼっちだったら、とっくの昔に生きることをあきらめていたかもしれません。でも、それでも生きてこれたのは、励ましや手助けをくれた様々な出会いがあったからです。
人生は、その苦難を100%救ってもらえなくても、ほんのひとかけらの救いでもいいから与えられれば、そこで希望を見出してまた前に進んでいくことが出来るのではないかと思います。

その「ほんのひとかけら」を、と思っていろんなことをやっているうちに、その積み重ねでここまで来たという感じなのです。だから、ここから先もそのように続けていきたいと思っています。

人生の状況とは人により様々で、貧しい国や豊かな国があったり、同じ国の中にもとんでもない格差があったりします。
ケニアという国は、同じ国の中に歴然とした違いが混在していて、世界最先端の暮らしも、最貧困の暮らし同時に混在しています。

だからといって、ケニアの貧困層は、富裕層への恨みや妬み、不平不満を持っているかと言うと決してそうではなく、貧しい暮らしの中にも様々な喜びや幸せがあり、それぞれの暮らしの条件の中で精一杯、人としての幸せや良い心を大切にして生きている人々は大勢います。

人生の成功や転落は、富裕層であれ、貧困層であれ、同じように誰にでもあり、全てが良い、全てが悪いということはどこにもありません。

ただ、私が貧困層に長年接してきて思うのは、そのチャンスや条件的に絶対的に不利な状況というものがあり、彼らにとっては、とても小さなきっかけで、とても大きく飛躍することも可能だということです。それを実際に私は長い間、自分の目で見てきました。

特に子どもたちは、学びの機会や、衣食住、安全面などにおいて全てが欠乏した状況にありながら、いったんチャンスを与えられると、まさに「真綿に水が染み入るように」という言葉通り、驚くほど貪欲に吸収し、そのわずかな機会を生かし、信じられない成長を遂げていく子どもたちがいます。それを間近に見るのは、とても楽しい経験であり、驚かされたり感心させられたりします。

このようなプロセスを見て経験していくにあたり、私自身がどれほどの感動や、喜びをもらってきたかというと言葉に尽くせません。

「人間とはこんなにすごいのか」とその底力や可能性をまざまざと実感させられ、私自身も人生において励ましをもらってきました。

人は誰もが影響を与え合い、力を与え合うことが出来ます。それは、貧しき者も、豊かな者も、同じです。それを自分自身が経験して、感銘を受けたからこそ、それを他の人にも伝えたくなりました。だから私は1999年から日本各地で講演をして、彼らの生きる姿を語り続けています。

今はコロナ禍で講演をして回ることが出来ませんが、オンラインでトークショーを行っていますので、興味がある方はぜひ聞きに来てください。

9/30(水)は、私がアフリカに出会い、ケニアに定住してこのような活動をはじめるに至った、背景になるような話をします。
「明治から令和へのファミリーヒストリー」の第二弾です。

第一弾では、明治時代にアメリカに移民した曾祖父、アメリカで生まれ満州に渡った祖父、満州で生まれた両親、終戦後の満州からの引き揚げの話をしました。

第二弾となる9/30は、海を渡った私の曾祖父母、祖父母、両親から私が受けた影響、自分の中の原風景、どんな状況であれ生き抜いていくということへの想い、そして私がアフリカで出会った命の真実について、話したいと思います。お申込み・詳細は、以下のサイトからお願いします。

また、私がこれまで長年付き合ってきたキベラスラムという貧民街、そこで生きる人々の日常にもぜひ触れていただきたいと思います。キベラスラムで両親を失い、兄弟姉妹18人で孤児になり、その長女だったリリアンが、孤児を救済して自分の子どもにして共に生活を始めた頃に言った言葉を最後に添えておきます。

人生は短い。ぼーっとしていたらあっという間に終わってしまうのよ。あなたも私も、いつか必ず人生には終わりの時が来る。でも人間は、人生の終わりの時を自分で決めることは出来ない。それは、神様が決めてくれている。遅かれ早かれ、その瞬間は誰にでも来る。だから、その時まで精一杯生きる。その限られた時間の中で、何をして生きていくかというのは自分自身が決めること。誰もあなたのためにそれを決めてはくれない。だから私は決めたのよ。良い心を持って生きる。親を亡くした子どもたちの母親に私がなる。困った人たちに助けの手を差し伸べる。私はそうやって生きると決めている。自分自身がそう生きると決めたのよ。だからこそには何の迷いもないわ。(リリアンが1998年頃に私に話してくれた言葉。)

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2020年9月1日撮影。リリアンと、リリアンが2年前にレスキューしたサラとルーシー。レスキューしたとき、彼女たちは餓死寸前だった。

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マゴソファミリー

↑マゴソスクールの一日



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