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私の人生観を根底から変えた一大事件③



みんなが固唾を飲んで、私を見つめているのは背後で感じていたし、私の行動一つ一つにみんなが反応している事も感じていた。

その中で一際(ひときわ)その「お母さん」であろうその女性の視線は強く感じていた。

ただ、私が「無理や。どうしよ。」と振り返ってみんなに助けを求めている時は、その女性は視線を外した。

みんなに助けを求めていたとは言え、もちろんみんなの方がパニック。

いや、私も相当なパニック状態であったが、今まで培った度胸と根性で自分を保った。

そして、私を助けてくれようとしている、常連客の女の子も同じように怖い思いを押し殺して側にいてくれた。

どう考えても手は届かなかった。



でも、奇跡は起きた。

『火事場の馬鹿力』

それを発揮したとしか言えない。

下からも上からも物理的に届かない状態だったが、私の腕が伸びたのか、そんな事を考えるしか説明のつかない奇跡が起きた。

その間、何時間もかかっている感覚ではあったが、実際は数分の出来事だった。

私の手が、赤ちゃんの脇の間を捉える事ができた。

そのまま、抱き上げる。

正直、赤ちゃんの表面を見る勇気は相当なものだった。

しかし、私の心配は無用だった。

赤ちゃんを抱き上げて、クルッと私の方に向けると、全身全霊で泣いている赤ちゃんの顔を確認できた。

血液が付着しているものの、皮膚のトラブルは認めなかった。

体温もしっかり感じ取れた。

ビニール袋に収められた胎盤ごと、赤ちゃんをニットのカーディガンでくるんだ。

私は「よかった。助かった。もう大丈夫だ。」
と安堵感を感じると共に、急激に足がガクガクし、手も震えた。

緊張の糸が緩んだ瞬間であった。

赤ちゃんを抱え、トイレ外に出る。

「おー」と歓声が上がったが、特に男性にとっては衝撃的な場面であっただろう。

みんなの困惑が伝わってくる。

ビニール袋がガサッと音を立てる度に、悲鳴に近い声と逃げる姿。

まあ、仕方ないだろう。

私は一応確認のため、赤ちゃんを抱えながら「誰ですか?」と、くるっとみんなの顔を見渡し、最終的に一見客の女性に視線を合わせた。

その瞬間、彼女から発せられた言葉。

「え、わからないです。こんな事あるんですね。」

私の中で、裏切られたような悲しみのような複雑な感情が生まれたが、それと同時に何か諦めのような吹っ切れるようなよくわからない感情も湧いた。

彼女がそう言うなら、そうなのだろう。

事実がどうであれ。

「私です。」と言われれば、その人が十月十日近くお腹の中で育ててきて、産み出した命だから、警察はもちろん待つが、お話して抱っこしてもらうつもりだったと思う。

でも、「私の赤ちゃんじゃない」と言われれば、そこまでだ。


一緒に頑張ってくれた女の子と共に、ソファ席に座り、カーディガンをおくるみにし、一生懸命赤ちゃんを抱きしめた。

血液や用水の匂いは正直感じたが、そんなものは全く気にならなかった。

とにかく、末端から冷えかかっていた赤ちゃんを温めたかった。

安堵感で笑けてきた。

そして、2人で赤ちゃんに話しかける。

手指や足趾など確認し、欠損がないことも確認した。

血色が悪かった足裏も、そのうち血色を取り戻す。


「生命」のすごさに、涙で視界が潤んだ。

性別を確認する余裕も取り戻していた。

「女の子」だった。

私が産まれた日から40年と3日を経て、この世に誕生した生命。

同じ性別であることに、何故か嬉しかった。



ソファ席は例の彼女が座っているカウンター席のちょうど後ろだった。

その間、身体を斜めにし、チラチラっとこちらの様子を見ていたが、もう、私は事実なんてどうでも良くなっていた。

とにかく、この命が助かってよかった。

抑えていた涙が溢れ出ていた。

最初は泣き叫んでいた赤ちゃんも、暖まってきたのか、穏やかな表情になった。

一生懸命目を開けようとして、目があった瞬間、なんとも言えない気持ちになった。


一瞬で、この子の人生を考えたが、そこは私は関与できない。

でも、とてつもない御縁を感じたのは言うまでもない。

ただただ、命の灯火を消さずに済んだことが嬉しかった。

後々この話をすると「苦労するやろうな」「可哀想」という人ももちろんいたが、その子はそんな状況でも「生きる」ことを選択したのだ。

『生命』

看護師時代、NICUにもホスピス(緩和ケア病棟)にもいた私は、ずーっと『生命』と向き合ってきた。

なんか、その集大成みたいなものを感じた。

そして、今日確実にこの場所に導かれたこと、例の彼女もここに導かれたであろうこと。

私が15年以上も前、それまでは興味を持ってもいなかった「NICU」に人事異動で勤務することになり、必死に勉強してそこでの看護を5年続けたこと。

ここのバーに常連として来ていたこと。

常に自分の感覚に従い、一生懸命生きてきたこと。

人の心理に興味を持ち、たくさん精神世界を勉強してきたこと。

すべての伏線がつながった感覚であった。

そして、ずーっと追い求めていた「私らしく生きること」というテーマに手が届きそうな感覚も覚えた。

そんなことを思いながら、赤ちゃんを抱っこし、常連客の女性と、ホッとした安堵感を共有しながら、トランス状態でもあった。


そこに、「どう言うことですか??」と警察官が数人入ってくる。

「この子です。すみません、トイレから先に出しました。」

と言うと、全く状況把握が出来ていなくて困惑しているであろう警察官が、

「お母さん?」

と聞いてくる。

私は警察に電話をする余裕がなかったので、従業員に電話をしてもらったが、若い男性が的確に状況報告をできていなくて当然だ。

「あのー、とりあえず救急車ってきますか?早く処置してもらったほうが・・・」

生命の危機は確実に回避出来ていたと思うが、なんせ処置するものがないので、へその緒からの胎盤がつながったままだったから。

状況が本当に伝わってなかったのであろう。

一人の警察官が、救急車を呼ぶ連絡をしに外に出た。


「どういうこと?お母さん?」

その場に残っていた警察官に説明しようとすると、次々に警察官が入ってきて、矢継ぎ早に皆同じ質問をした。

あまりにも注目されて、こちらは気が抜けていたのを、一度姿勢を正した。

「いや、私はただの常連客です。この赤ちゃんはトイレでみつけました。たまたま来てて、たまたま看護師で赤ちゃんも診れるので、助けました。」

とこんな事を言ったと思う。

こんな事を言われても、「え、じゃあお母さんは?」と更に困惑して当然だ。

「あのー、赤ちゃんお渡ししましょうか?」

私が言うと、警察官は思いっきり首を横に振り、「いや、救急車来るまで抱っこしててください。」と言った。

まあ、そりゃそうなるわな、と心で思い、引き続き、ソファで抱っこをして救急車を待っていた。

それからは怒涛の現場検証。


続きは次回・・・


Anna  Rose



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