見出し画像

2020.03.29 淡々東京ぐらし #2[2020.03.30追記]

書いているうちに日付が変わってしまったけれど、そのままにしておく。

***

元来、出不精なので、この土日も例によって家で巣ごもりをしていた。いや、出不精以外の東京暮らしの人々も、おおかた巣ごもりだったと思う。

ここ数日、東京都のCOVID-19感染者が増え続けているので、都知事から都民に外出自粛要請が出されたのだった。

***

食料品の買い出しくらいなら、必要な外出だから出かけてもいいらしいが、何せ今日は雪が降るという話だった。命を脅かす疫病の存在によって、常に脳のメモリのうち一定の領域が喰われるというのに、さらに天気のことまで考えなくてはならぬ。

しかもこの時期めずらしい雪と来たもんだ。あいにくのお天気の中、そして、お足もとのお悪い中、お買い物に行くのは億劫だ。そうなると真っ先に冷蔵庫の中身チェックである。

えーと、先週の後半に作った、鮭とごぼうと舞茸の炊き込みご飯と、追加で炊いた白ご飯の冷凍はまだある。主菜の鶏とじゃがいもの照り焼きはもうすぐなくなるけど、チーズインハンバーグを作って冷凍しといたのが8個ある。ミニトマト、チーズ、納豆もまだある。パスタは買い置きと、実家から送られてきたのが潤沢にある。ツナ缶とトマト缶のストックもある。

よし、この土日は作り足さなくてOKだ。小松菜と厚揚げの煮浸しは週明けに仕込めばいいや。

(※一部の品目は、テレビ東京系ドラマ「きのう何食べた?」の影響をもろに受けている。U-NEXTでイッキ見した。)

***

ラップやアルミホイルの箱を入れている収納に、2/3本のごぼうが挿さっている。炊き込みご飯を作ったときに余らせたやつだ。

炊飯器にセットした釜の上で、ごぼうのささがきを初めてやった。包丁がごぼうの途中で引っかかって、このまま力を入れたら何もかも吹っ飛ぶのではないかと思ったが、コツを掴んだらリズミカルにできるようになってきた。

なお、かぼちゃを切るときに包丁の刃が途中で引っかかり、押すことも引くこともできなくなったときは、この世の終わりのような気分になる。

「ごぼうのささがき」って、歌舞伎の外郎売の口上の「小米の生噛み」に似てるなと思って、ごぼうのささがきごぼうのささがきと唱えてみた。

似ていなかった。

***

そういえばカーテンを開けてなかったと気づいて、お昼に近づいた頃にようやくカーテンを開けると、冬の富山みたいな風景になっていた。周りの集合住宅の屋根が雪をかぶっている。故郷よ!

故郷、富山県ではまだCOVID-19発症者が出ていない(2020年3月29日時点)ようで、ずいぶん呑気な雰囲気だと聞いている。そればかりか、郷土力士の朝乃山が大関に昇進したので県内は大盛り上がりらしい。地元紙の号外が、駅前やバスや路面電車に貼り出されていたことだろう。

※富山県で1人の感染が確認された。(2020年3月30日追記)

故郷の路面電車が好きなので、東京の都電荒川線に初めて乗ったときは懐かしい気持ちがして仕方なかった。バスとも自家用車やタクシーともつかぬ絶妙な高さに目線を保ちながら、街の道路の真ん中をするすると走り抜けていくあの感じは、路面電車だからこそなせるわざだ。

***

東京は、今までは、「大学生の間しかいられない、東京だからできることをたくさん経験するための都市」だった。大学、美術館・博物館、音楽のライブといった文化資本を使い倒そうと必死だった。

それに、多少なりと、華やかで写真写りのいいものを求めるようになっていた。お金の使い方はあまり賢くなかった。

それが、東京で就職するとなると、東京は「自分の収入の範囲内で、自分の価値観にもとづいて、今と将来の生活のためにお金を使うための町」になった。

だから、「せっかく東京にいるのに○○しなきゃもったいない」という一種の焦りから解放された。

東京が、キラキラしたよそ行きの街から普段使いの町になり、自然と「地元」「行きつけ」と言えるようなものが周りに増えてくる。地味でつまらなくなっていくようにも見える。まあ、わたしの東京への憧れの半分くらいは東京大学への憧れで、でももう卒業したから、憧れだけが日々のエンジンじゃなくてもよくなったのだ。

それはそれでいい感じだと思っている。

***

誰かに待たされているわけでもなく、手持ちぶさたな感じがする。

自分ひとりでは直ちにいかんともしがたい事態によって、暇になってしまったのである。こういうとき、単なる時間の経過に新たな意味を与えてやりたい気がしてくる。

わざわざ大仰な言い方をしてみたが、ようは、ただスマホをいじって、別段見たくもないSNSのタイムラインを更新する10分間を、RHYMESTERの新譜を聴く10分間にしたいし、お菓子が焼けるのを待っている10分間にしたいのである。

でもRHYMESTERの新譜(というか「スチャダラパーからのRHYMESTER」名義の新譜)のリリースは4月1日だし、うちにはお菓子を焼くオーブンもない。RHYMESTERの新譜は待てば手に入るとして、オーブンはいつ買ってもいいし買わなくてもいい。

だけどやっぱりオーブンが欲しい。あーオーブン欲しい。深夜の変な時間帯に、焼き菓子が焼けるのを待ちながら、バターの香りで部屋を満たして変な気持ちになりたい。おこもり生活のお供にオーブンがほしい。バルミューダか、ラッセルホブスか、アラジンか、ブルーノか、タイガーか、象印か、アイリスオーヤマか、わかんないけど、お気に入りのオーブンがほしい。いずれは。

***

東京都からの外出自粛要請はこの土日だけでなく、4月12日まで続くという。

わたしが入社する企業も、4月1日に開かれるはずだった入社式は延期になり、他にも会社のオフィスで行う予定だったものが在宅・オンラインに切り替わったりと、きょうだけでたくさんの変更があった。

オフィスで働くのを楽しみにしていたし、会社員として働いている間は会社の水道光熱インフラを使えるという金銭的なありがたみ(or 合理性)に期待していたところだった。

会社の判断は適切だし、とてもありがたい。一方、この部屋で「働く」というモードを自分で作れるのか?という悩みが新たに出てきた。

引っ越してきたばかりだし、部屋も小さいから、パソコンデスクやワーキングチェアは置いていない。低いベッドとちゃぶ台でリラックスするための家としてこの部屋を育ててやろうと企んでいたのだが、ううむ。方針を変える必要がありそうだ。

***

夕方、集合郵便受けをチェックするために少しだけ階下に降りたら、空気がしんしんと冷えていた。部屋に戻って炊き込みご飯やハンバーグを電子レンジで解凍しつつ、電気ケトルでお湯を沸かした。短時間とはいえ、外の寒さに触れたから、とにかく温かいものが食べたい。

食べたい、と思ったときに、食べるものが冷蔵庫にある生活なんて、今後ふと途切れてもなんの不思議もないのだ、と思った。もしそうなったとき、誰に頼めばどのくらいのお金がもらえるのか、驚くほどわたしは知らないし、驚くほど教えてもらえない。

きっと事態はわたしが思うよりずっと深刻だろうし、これからもっと深刻になるだろう。できればそうなってほしくないが。この世が終わるのは、かぼちゃに包丁の刃がひっかかっておたおたしているときだけで十分だ。

そういう不安に包まれている生活の中でわたしが見たいのは、修辞的な表現を、文節で区切って、左右に首を動かして、喉から上の身体だけを使って発語しているだけの会見などではないのだ。ましてや肉や魚介の商品券など。(それで税金や家賃を払ってもいいというなら話は別だ。)

「政治に対してわあわあ言ってもどうせ生活は変わらないし、自分は自分の生活を丁寧に楽しく送るよ」というスタンスもあるけど、私は政治のことを調べたり考えたりわあわあ言ったり権利を行使したりするし、自分の生活も丁寧に楽しくしたい。どっちも取りに行く。

どっちもというか、双方は分かちがたく結びついているのだ。

***

TBSラジオの「ジェーン・スー 生活は踊る」も「アフター6ジャンクション」も「Session22」も、平日だけのプログラムだ。土日は好きだけど、好きなラジオ番組が聞きたくて寂しくなることもある。

スーさんや宇多丸さん、チキさんのしゃべりがまた聴けるという点において、平日が始まるのが少しうれしくなった気がする。ささやかながら大きな、素敵な変化だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?