声援が消えた日 必ず戻るその日の為に#応援したいスポーツ
スポーツ、それは私にとってはなくてはならないものです。
その中でもプロ野球は自分の生活の一部であり、全てと言っても大袈裟でも過言でもありません
試合があってもなくても、スポーツニュースのチェックは欠かせないし
現在、プロ野球が開幕していない違和感にはまだまだ慣れれるわけもなく
自分が行くはずだった試合の日のチケットを握りしめて良く晴れた空を仰ぎ、眺めては小さなため息は吐く
もちろん、現状考えて開幕は程遠く今年は開幕すら難しいかもしれないと、理解はしている
野球仲間は前向きに開幕した時の為、グッズを買い揃えたり、使い道のない昔のグッズでマスクを作成したりと
野球ロスを上手く昇華させている人も多い
広島で生まれ育った私にとって
広島東洋カープは物心ついた時には父と母の影響もあり、自然と自分の応援対象となっていました
応援するといっても、そこまで熱心なファンではなかったと思います
年に1、2回球場へ足を運ぶ程度でした
近年では3連覇したり
鈴木誠也!菊池涼介!
など日本を代表する選手がカープにも所属しており、ドラフト戦術の成功や元々の育成力も功を奏しグッと魅力的な球団に成長してきたように思います
また、まだあまり知られていませんが
マツダスタジアムのボールパーク化へ向けて三井物産からの参入、サーポートも今のカープ人気に繋がっている要因でもあるとも考えます
もちろん暗黒期もあって、チームの弱さ故にボール犬ミッキーという存在がカープを支えるという苦しい時代や、
監督が審判ともめて、一塁ベースを引っこ抜いて、ブン投げて退場していくという名場面が生まれたりという時代もありました
ただ、私はまだまだ野球ファンとしては半人前
大きなキッカケをくれたのは父親の存在です
父親とは既に他界してしまいましたが、野球を通じて今でも父は私と共に歩んでいると思っています
父は病気によって、両目の視力を奪われてしまいました
8度の手術も受けたのに、回復する事はありませんでした
視力を失った父の唯一の楽しみは
ラジオで聴けるプロ野球でした
毎日熱心にラジオを聞き入る父はカープの結果で一喜一憂していました
そんな父の姿は、最初は健気であり、儚くも見えましたが
ただ、日々変わらずラジオに耳を傾け続ける姿には強い意思と熱意、そこまで父を夢中にさせてやまない何かがある
そんな父ともっとたくさんの会話をしたい、もっともっとコミュニケーションをとりたい、そう思うようになりました
私ももっと野球に詳しくなれば父も喜んでくれるし、たくさんの会話がてきるのでは?と思ったのがもっと真剣にカープを応援したいと思い始めたキッカケでした
母や私はTV中継、父はラジオをつけて一緒にリビングでカープを応援
中継ってタイムラグがあって、テレビよりもラジオの方がちょっと早いんですよね
父が点が入ったりすると
よっしゃああーって先に喜んじゃうから、母親からは
もう、言わないでよ!!点が入るって分かっちゃうじゃない!
なぁーんて叱られてるのはしょっちゅうでした
そんな二人のやりとりはとても微笑ましくて
私はその思い出をとても愛しています
この先何年経ってもその思い出は変わる事なく愛し続けていく宝物です
父と一緒に楽しい時間も、悔しい時間も沢山の感情を野球を通じて共有する事ができました
父が天へ旅立った日
当時、優勝どころかAクラスもままならない程に弱かったカープでしたが
その日は勝利してくれました
棺の中で穏やかに眠る父へ、今日はカープ勝ったんよ、良かったねって伝えてあげる事ができました
野球は生活の一部になる、ほぼほぼ毎日あるから
例えば、誰々ちゃんの結婚式の日はカープは勝った!とか、自分がこの仕事で上手く行った日はカープは負けちゃってたなとか…
こんな風に自分の出来事と結びつけて記憶するようになりました
いつかの七夕の日には新井選手が奇跡の逆転ホームランを放って勝利したお陰で
7月7日は七夕ではなく、新井さんの日となり、カープファンの間では7月7日は七夕の奇跡と呼ばれるように伝説として引き継がれ始めています…
私の父親は七夕の奇跡を見る事もなく
3連覇どころか25年ぶりの優勝すら目にする事なく旅立ってしまったのですが
こうやって父のように夢中になって応援している沢山の人々がいるからこそ
今、球団は存続し続ける事ができる、そう思います
特に広島東洋カープは、12球団唯一親会社のない市民球団です
今年、カープは創設70周年の節目を迎えました
カープ以外にも埼玉西武ライオンズや千葉ロッテマリーンズ等も節目の年を迎えます
父親が亡くなってからは、その意思を引き継いだかの如く、私は野球にのめり込んで行きました
会社の人を誘って球場に連れて行って野球仲間を増やしたのはもちろん
会社の上司に誘われてチームを組んで参加した神戸で行われた駅伝ではカープのユニフォームを着て走りきりました
しんどすぎて、何度も何度ももう歩こうと思いましたが、赤いユニフォームを纏った私は
カープの選手はこんな苦しくても決して立ち止まらないでしょ?と、ランナーズハイとはまた別物の訳の分からない思考になって
風の強い海岸沿いを走り抜きました
見ず知らずの沿道の方々はカープの子頑張れっと応援してくれました
ほら、やっぱりこのユニフォーム着てるとカープの子って言われる、立ち止まらずに最後まで走らなきゃって気持ちにさせてくれて、沿道の声にも助けられました
当時はカープ女子という言葉はまだ生まれる前だったので、今走ったらカープ女子頑張れって声をかけられていたに違いないと思います笑笑
その翌日には広島に帰らず大阪からそのまま宮崎県へひとっ飛び
宮崎県、日南市で行われている
カープのキャンプ地へと飛び立ちました
前日の駅伝による全身筋肉を堪えつつの参戦です!
現在、メジャーリーグで活躍され続けている前田健太投手のブルペン投球に圧倒されたり
今ではカープのエースと呼ばれる程に成長した大瀬良投手がルーキーとして入団した年で良い人が滲みでてる笑顔でできる限りのファンへサインを書いていました
日本を代表する守備職人菊池選手はもうすでにヒゲでした
そんな菊池選手にファンが集まっているなら
そんな中、まだまだ当時は身体も細く、知名度も低い鈴木誠也選手が早速と自転車に乗って現れました
知名度が低いといっても、キャンプ地まで足を運ぶファンは当時はまだ少なく2軍まで熟知してるコアなファンばかり
一気に誠也さんの周りにも人が集まっていました
試合では見れない距離で普段見れない練習を見学できたり
声を掛けたら接してくれたり、差し入れを渡したりサインを下さったり
下調べもロクにせずにウロウロしていると、カープスタッフやスカウトの方がたまたまおられ、オススメの見学場所まで教えてくれたり、誘導までして下さいました
夢のような時間でした
そこから何年か後、新井さんや黒田さんがカープ復帰をされ
カープの快進撃が始まっていきました
黒田さんが復帰を知った日、起きてすぐ母親に電話をしました
黒田さんが…と言ったあと
嬉しさと感激の余り言葉を発せなかった私ですが
その一言で、母親は全て察してくれました
25年ぶりの優勝の瞬間、母はTVの前に父の遺影を置いて迎えたと言っていました
広島の平和大通りで行われた優勝パレードは、父の写真を待ち受け画面にした父が使用していた機種を母へと名義変更した古くなったボロボロのガラケーを振り続けて祝福していました
どんどんファンも増え、キャンプ地にもとんでもない人数のファンが集まるようになりました
今ではカープのキャンプ地日南は私の故郷のようになりました
最近では春季だけではなく、秋季キャンプへも足を運びます
なんなら、春季キャンプの前に前乗りしている自主トレキャンプにも見学に行った事もあります
観客、私一人!なんて時もありました
広島から行くには福岡へ新幹線で行き、そこから飛行機で宮崎へ
宮崎空港からは電車で2時間かけて日南市油津へ行けるのですが、電車の本数が驚くほど少ないっ🤣
1秒でも無駄にしたくない私は空港付近からレンタカーを借り走らせ1時間で球場へ!トータル広島のお家から5時くらいかかります
カープのキャンプ地へ行くのに運転していると、10分かからないくらいでジャイアンツの球場やホークスのキャンプ地も見えてきて
アクセスの良さを行く度に羨ましいと思いながら、カープキャンプ地を目掛けてハンドルを握りしめて日南市を目指していくのです
決して近くもない、しかもカープのキャンプ地は本当に僻地
周りの人にはもっと都会へ遊びに行けば?何度も行って楽しいの?なんて言われます
確かにその通りだと思う自分もいます
なぜ、私が5時間かけてそこへ向かうのかというと…
そこにカープがいるからだ!!
なぁーんて決めゼリフのようい言えればカッコイイのかもしれませんが
そこで出会った方々と会う事
例えば、行けばいつも温かく迎えてくれる焼き鳥屋さんご夫婦
楽しいお話し、美味しいお酒を提供してくれるBARのおじ様
エビフライ定食の美味しい昔ながらの食堂に行く事
ベイスターズが好きなお姉さん
いつの間にかそんな方々に会いに行く事が目的となっています
油津は町をあげてカープを応援しています
出会う人はみんなカープファン!というよりも、カープを応援しているというスタンスの方々ばかりでした
広島からノコノコやってきた私をもの凄く歓迎してくれて
ご飯を食べたり、飲みに出かけたりしても隣で仲良くなった方が気づいたら私の分のお会計をしてくれていたりというのが一度や二度じゃない、、この町は隣にいる人の食事代を支払う法令でもあるのかな?というくらい、ご馳走になってしまいました…
遠いとこから有難うと、困ったら連絡しなさいと、かなりご高齢のおば様から家電の番号を突然渡されたり
明日はカープは辞めて、うちの美術館の見学に来なさい!宮崎市への送り迎えは私がするから!と、熱心なお姉さん…なんだかもう
とにかくめちゃくちゃフレンドリー
何?この町??という、出来事に遭遇しまくりました
今でもそこに住む人々から連絡もあり、
キャンプの時期が近づくと
いつくるの?宿とれてる?と、私が行くのを前提に連絡を下さいます
こんな私を待ってくれてる人がいるんだと思うと
行かないわけにはいきません
広島からこんな離れた土地でも、いや離れているこちらの人々の方がカープを真摯に応援している方が多い事と、人々の温かい心に感動させられています
最近ではカープの枠を越えて、埼玉西武ライオンズも応援するようになりました
カープとキャンプ地が近かった
ちょっとしたキッカケで、何かの縁のように感じ、最近ではライオンズのキャンプ地へも足を運ぶようになりました
カープキャンプ地よりも更に南へ車で20分、南郷という場所です
カープとライオンズはリーグが違う為、私の住んでるところにライオンズは来てくれません
来ても交流戦くらいです
なので、福岡へ行ったり大阪では京セラドーム、ほっともっと神戸、もちろんライオンズ本拠地である埼玉所沢のメットライフドームへも足を運びました
ちなみに大体全部一人です!笑笑
たまたま私の隣に座った人が友達です!
だって、同じチームを好きで応援に来てるんですもん、その時点で既に仲間!
その上隣に座って、3時間以上も隣にいるわけですよ、仲良くなってしまうのは時間の問題です
こうやって、全国に野球仲間が自然と増えていきます
連絡先?交換しません
だけど、SNSで繋がったり
別の試合の日に別の球場で偶然再開したりと…
これは、野球ファンあるあるなんじゃないでしょうか?
また、球場によってはもちろん、選ぶ席種によって見える景色も違う
ビールをのんびりと飲みたいお父さん
精一杯声を出してはしゃいで応援したい子供達
最近では、本格的な一眼レフを持って写真をバシャバシャ撮りまくるバズーカー女子等も出現し
応援スタイルは様々です
ルールを守れば誰でも野球観戦を存分に楽しめる空間はどこの球場へ行っても変わりません
チームによって、野球の仕方も違う
まず、セリーグとパリーグの時点で大きな違いがあります
DH制の有無です
投手が打席に入るか入らないか…
もちろん、監督コーチ等首脳陣が変われば野球も変わる
打順、投手の継投、守備位置
一球一打にかける真剣勝負
投手と打者の心理戦
裏方さんのスコアラーによる分析戦術戦略
野球の事を好きになればなる程奥が深いと感じます
ライオンズを応援し始めて、野球観戦の視野が広がり、何よりライオンズのお陰で行かない場所へ足を運び、出会いや貴重な経験もさせてもらいました
今では12球団全ての球団に目を向けるようになってきています
ドラフト会議に参加したくて抽選に応募はしていますが毎年外れて続けており、いまだ参加経験なしです
それでも毎年必ずドラフトの日は会社休みます
こんな私ですが、最初の方にも書きましたが、私が自分自身の事を野球ファンとして半人前だと言うのは
何年も何十年も前からチームを!球団を!支援し続けてくれた方々はたくさんいます
その方々への敬意を示す意味で、特に年配のファンの方とお話しする際は半人前、もしくはニワカファンです!と言うようにしてる
だって、私の知らない時代を知ってる方々ですもん
どんなにお金を積んでも、その時代にタイムスリップする事はできません
それと、同時にこの先20年後、50年後も球団が存在していけれるよう
必ず次の世代まで繋げて行くのも一つの使命であり、もはや文化だと思っています
現在、新型コロナウィルスによる影響で
プロ野球は開幕延期を余儀なくされています
プロ野球どころか、サッカーもバスケもプロスポーツだけではなく
選抜中止という球児の心境を思い涙した日も記憶に新しいです
当たり前だった日々を奪われたのは
応援する側も、応援される側も変わらない
NPBでは12球団全ての支配下選手
全725選手が感染拡大収束への活動資金の寄付を行なっています
また、Twitterでは選手とファンがキャッチボールリレーを行う動画も、第一弾、第二弾と続々拡散され、多くの野球ファンは大人も子供もそれを見て励まされています
プロ野球選手は今回だけではなく
震災で被害を受けたり、大雨での災害が起こった際に選手会の方々を始め率先して試合前に表に立ち募金活動を行ったり
寄付をして支援、応援をしてくれます
今回のコロナウィルスは野球選手だって試合をする事、練習する事も奪われてしまい、私達と変わらぬ被害を被っています
それでも、収束へ向け寄付をしたりSNSを使ってメッセージを配信したりしてファンを励ましてくれる
そんな姿に心を打たれます
だからこそ開幕したら、精一杯の声援を送ろうと心に決めています
精一杯のプレーで返してくれる
そう信じています
オープン戦は無観客試合を余儀なくされました
TVでその試合を見た時
スタンドから観客が消えた異様な光景を目にしました
ただ、ボールがミットに収まる音
ボールをミートする打球音
普段なかなか聞けない野球の生きた音を聞く事はできました
だけど、やっぱり応援したい
その音を掻き消すくらいの声援を送る準備はファンは既にできている
必ず、降り注ぐような声援を全ての選手へ送ります
その日を迎える為に、収束に向けてできる事は全てます!
あのだだっ広い球場を狭いと選手に感じさせるくらいの声援を
その日はまだ先の遠い未来かもしれません
打倒コロナ、同じ的に全員で立ち向かって収束、終息を迎えれた時
野球が生活の一部として戻って来た日がコロナに対する完全勝利
必ず球場に声援が戻ってくる日はやってくる
今日もそう思いながら、父のいる空を見上げながら歩いていく今日この頃
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