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ウーバーイーツから考える人類の生存戦略

ウーバーイーツが1,500円以上のオーダーで1,500円オフというえげつないクーポンをポストインしてくれたため、夫が出張でいない夜、息子の希望によりケンタッキーをウーバーイーツしてもらった。

スマホでポチるだけで、家にいながら、見ず知らずの他人である配達員さんが店から家まで配達してくれ、ホカホカのチキンが食べられる。洗い物もない。仕事やPTAやがん検診、日々の家事などで疲れた母には沁みるサービスである。

玄関先でチキンを受け取ったのち、思わず「ありがてぇ…」と大きめにつぶやいた。あまりに便利すぎる。これが資本主義というものの恩恵か。

ひととおり自分の身の回りのもろもろのことをお金で解決できるようになることを「自立する」というけれど、ある意味でそれは間違っている。本来自分でやるべきことを、お金で誰かに肩代わりしてもらっているので、実は生活能力やアイデアを生み出す能力を奪われているともいえる。

よく自分のことを一家の大黒柱だと思っている昭和的夫が妻に「誰のおかげでメシがくえると思ってんだ」というセリフがあるけれど、この文脈でいけばメシが食えるのはメシを作った妻のおかげである。あるいは、肉や野菜を育て、それを収穫して運搬し、スーパーに並べて品質管理してくれ、それをもとに料理する全ての労働者のおかげである。その労働者のうちの1人として、もちろん夫は感謝されていい存在である。ただ「俺のおかげでお前は飯が食えている」はあまりに視野が狭すぎるし幼稚な発想である。妻は「金を稼いでくるだけで偉そうにすんなら、次から皿に1000円札載せとくからそれでも食べてれば」とブチギレて家出していい案件である。

少し脱線するけれど、このところ、東北を中心に人が熊に襲われるニュースが頻出している。熊と人が丸腰で戦えば、到底人に勝ち目はない。人は、個としては大変脆弱な生き物である。特に人間の赤ちゃんは生き物脆弱選手権があれば他の哺乳類にボロ勝ちするくらい、一人で生きるのは無理な生き物である。きっと、個の能力を極限まで高めるよりも、個の脆弱さをむしろ生存戦略にして、共同体としての結びつきを高めていったのだろう。人には、人が必要なのだ。

この社会で生きてると、お金さえあればたった一人で生きていけちゃうと勘違いしそうになるけれど、それは単なる幻想だろう。お金を介して誰にも会わずに生活したとしても、そのサービスは無数の人々の手によって成り立っている。

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