少なくとも神ではなかった。論理構造はどのように生まれたか
何事も「過ぎる」のは良くないですね。論理的な文章というのも、殊更に神聖視するものでも無いのでしょう。取るに足らない出自だったようですから。
私は論理的な文章って、そこそこ人間の本質をついているものだと思っていました。論理は主張と根拠がうまく妥当性でつながったときに表れ、人間の理性に訴えかけます。十分な説得力をもった文章を読むと、何でもないことや突飛な事でも「なるほどなぁ」と納得しますし、そんなときに自分の中にも理性があることを感じます。納得感を引き出す理性というのは、人間にまんべんなく備わった「本質」なのだろうと思っていました。
論理的な文章に関して多くの著書がある小野田博一氏も、次のように言っていてます。
どうでしょう。小野田氏の論理への賛辞を読むと、一段と論理に一目置きたくなりますよね。
けれど論理とは案外、身近なもののようです。少なくとも「人間に備わった本質」などと、必要以上に賛美するものではありません。コチラの本。
「論理は万人に共通の絶対的なものではなく、実は文化によって異なる相対的なものなんだよ」と説く内容。古代ギリシャから始まって西洋に広がり、今では地球上に幅広く広がっている論理。特に文章における論理構造。それを、国や地域ごとに差異あるものだと本書では述べています。「何が論理的か」「どんな文章に論理性を感じるか」は国ごとに違いがあり、それは論理の優劣とは別物のものだというのです。
文章における論理構造と言うと、私たち……というか私は、根拠で支えられた主張をイメージします。先ずは主張を述べて、次に主張を支える理由が説明されて、それから、その理由がどこから来るのかの根拠や具体例が展開される。丁度ピラミッドのような形。それが万人に共通して説得力をもたらす論理構造なのだと想像します。
けれどこの本は、そんな論理のイメージに反論します。「そんなものは勘違いだよ」と。「それはアメリカ式の論理を過大評価しているよ」と。
上記図のように主張が理由や根拠で支えられた論理構造の作文を、本書では「アメリカ式のエッセイ」と呼び、このエッセイがどのように生まれたのかを説明します。
20世紀になって高等教育が大衆のものとなったときに、大学の教員は試験の答案を大量に採点する必要に迫られました。この場合の試験の答案とは、小論文のことでしょう。大量の小論文を読まなければならない。しかもできるだけ客観的に採点しなければならない。そんな必要性に迫られて発展したのがアメリカ式エッセイだったのです。アメリカ式のエッセイであれば、各パラグラフの冒頭を読んでいくだけで伝えたい内容がわかります。あるいは文頭にある主張(と根拠)だけを読むという手もあります。忙しい大学教員の負担を軽減して利便性を高めるという、極めて素朴な理由で広がったのが、アメリカ式エッセイの書き方だったのです。
更には、アメリカ式エッセイが広まった理由として、以下のようなものも上げています。
伝えたいことを、いかに効率的に伝えるか。レトリックに代表される凝った言い回しや飾り立てた表現を廃し、ただただ主張を明確に伝える。関係の無い文脈を削ぎ、簡潔に伝える。そんなアメリカ式エッセイにおいて行間は不要です。「月が綺麗ですね」は、ただ「月が綺麗ですね」の意味しかもちません。
神が被造物である人間に与えたもうた理性に訴えかける論理……そんな神聖なものではなく、大衆化する社会の中で効率性という必要性に迫られて収斂していったのが論理だったのです。
どこか日本の「学歴社会の弊害」に通ずるものがありますよね。日本でも多くの学生を公平に、しかも短期間に評価すべく大学入試センター試験が実施されています。けれどその結果、大学入試は思考力を測るものではなく、問題に対する反射力や記憶力を測るものになっています。つまり、効率性や利便性を追求した結果、弊害が大きくなってしまったのです。
本書でもアメリカ式エッセイでデメリットに触れられています。
確かに、この論理構造はどんな難解な問題にも端的な主張から入るので、「社会問題が単純化されている」と言われれば、そんな感じもしますね。「機械的な作文が大量生産」というのも、アメリカ式エッセイが型にはまった論理構造であるが故に、理解できます。「目的先行で十分な吟味が行われない意思決定」というのも頷けます。与えられた問題に対してこの論理構造で答える場合、主張を明確にしなければならないので、十分に吟味しなくとも意思決定してしまう可能性はあるでしょう。
このように、アメリカ式のエッセイのような論理構造の源流を探っていくと、20世紀という意外なほど最近の出自であることがわかります。高等教育の大衆化を乗り切るという必要性に迫られ、効率性や利便性を追求した結果の表現です。人間に生得的に備わったものでは決して無いですし、ましてや殊更に神格化して考えるべきものでも無いのです。
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