入社一年目。私、何しに会社に来てるんだっけ?
「この前も言ったよね?」
ズーンと重たく、先輩の言葉が身体に響く。
どうして私は、言われたことすらも満足にできないのだろうか。
私は元アパレル店員だ。
そして、入社当初は「笑えるほど接客ができない」という、接客業で働くものとして致命的な弱点を持つアパレル店員だった。
どれくらいできなかったかというと、フィッティングルームからご試着を終えたお客様が出てこられたのを、あ……あ……と目で追いかけて終わってしまうくらい。先輩方には「今年の新入りにカオナシが紛れこんでるな」と思われていた気がしてならない。
「ご試着お疲れさまでした~!何かお戻しするものはございますか?」という、アパレル経験がない人でも聞いたことがあるような常套句すらかけられず、カオナシと化してしまう。もはや接客以前の話である。
なぜこうなってしまうのか、理由は単純。
入社一年目の私は、とにかく失敗を恐れていたからだ。
高校を卒業してすぐ、ずっと憧れていたアパレルブランド店で働けることになった。嬉しくて嬉しくて、私もキラキラした店員さんになるぞ!って、そんな気持ちだったことは覚えている。
けど、悲しいことにそれも長くは続かなかった。
なんてったって当時の私は、学生気分の抜けきらない18歳の生意気で甘すぎる小娘だ。社会の荒波にもまれたこともなければ、仕事の本質だって微塵も理解してはいない。
勇気を振り絞ってしたお声がけは、いとも簡単に無視される。
上手くやろうと空回りして、逆にお客様に気を遣わせてしまう。
やっとのことでこぎつけた接客は、雑談で終了。
同期は¥10,000、¥20,000…と売り上げを伸ばしていく中、売り上げ共有メールの個人売り欄は、私だけが「¥0」の日が続いていた。
なんで上手くいかないんだろう。私だって、私だって!ヤケになった結果小さなミスを何度も繰りかえし、注意されることの方が格段に増えていく。
冷静に考えれば、入社一年目っていうのはきっと、そんなもんだとも思う。
何にもできないなりに、とにかくガムシャラに先輩の背中を追いかけて、派手に転んで、よいしょと立ち上がって、また一歩ずつ進む。
だから、場数を踏まなきゃ成長しない。バカな私でもそれくらいは分かっていた。だが、情けないことに「また失敗して、みんなの前で私だけ叱られるのはもう嫌だ、惨めだし恥ずかしい…」なんてしょうもないプライドを捨てられなかったのだ。
そうして、いつしか失敗することを恐れた私は、陳列された洋服を整えるだけの店員になっていた。
たたんでいる間は何も間違えない。とにかく売り場を整理すればいいだけ。
そんな感じで毎日ひたすらにたたんでいたので、おたたみに関しては褒められるくらいには上達した。だが、接客に関してはてんでダメなまま。
どこまでいっても「こんなはずはない」と、自分の弱さを受け止めきれない。
思い描いていた理想とかけ離れすぎた現実には、どう対処するのが正解なのか。素直に相談すればいいのにまたプライドが邪魔をして、自分一人で悩み続け、いつまでも答えが見つからない。
「はあ…疲れた、何にもしてないけど…」
今日も役に立たなかったなと、しょんぼりしながら帰り道を歩く。
自分が望んで選んだ場所に立っていながら、一体何のためにここにいるのか分からなくなっていった。
「ドンマイ!次々!」
嗚呼、今日も先輩方の優しい言葉が痛い。
入社して半年を過ぎた頃には、もはや何を言われても秒で涙が滲むくらいには弱っていた。ドラマや映画の撮影で、自由自在に涙を流せる演技派俳優もびっくりな速度だ。あっという間に目のキワキワまで涙が迫ってくる。
泣きそうなのを気づかれないようにコソコソと下を向いて歩く私に、すかさず喝が入る。
「姿勢が悪いよ!笑顔!」
私が接客に積極的になれない理由は、実はもう一つあった。鬼のようにおっかない先輩がいたのだ。
この鬼先輩と同じシフトの日は、かなり気合を入れて出勤しなければ心がもたないくらいには苦手だった。
「これやったの誰?はあ…この前も言ったよね?」
「何してるの!お客様にお声かけ!」
「挨拶の声が小さい!」
誇張ゼロで、毎日叱られていた。そして全ての言葉はおっしゃる通りだった。
何度もいうがプライドだけは高くて、弱さと向き合いたくなかった18歳の私は、いつしか先輩の話を右から左に受け流す術を身につける。最低だが、とにかく自分の心を守るのに必死だった。
そして、自分の弱さから逃げ続けていた私が変わるきっかけをくれたのも、他ならぬ鬼先輩だった。
ある日、いつものようにぼーっと洋服をたたんでいた私のもとに、鬼先輩がやってくる。叱られまくっていた私は、この頃には鬼先輩の気配を察知できてしまうくらいになっていた。
この日も私の鬼先輩レーダーが反応し「やベッ、来た!なんか知らんけど多分怒られる!」とか、今思えばかなり失礼なことを瞬時に考える。
「ねえ、このインナーの在庫ってどこにしまってくれた?」
なんだ、インナーの場所か、と一安心…
「あ、それでしたら――」
したのも束の間だった。
「ホラ!!また!!」
「ㇸえっ!!?」
なになに???もう私、ただ会話しようとするだけでも怒られんの?終わりじゃん、なんもできないよマジで。誰の役にも立ってないし、もはやここで働く資格ないわ……
一気に思考が駆け巡り、またもや眼球ダムの限界キワキワまで涙が迫る。が、鬼先輩の言葉は私が想像していたものとは少し違った。
「いっつもそう!あなたとはいつも、目が合わない!」
そう、目が合わない。目が、合わない?
てっきりまたお叱りがくると思っていたので、予想外の言葉に固まる。いや、やっぱ叱られてる?でも、なんか、いつもと雰囲気が違う…?
目が泳ぎまくっている私に、鬼先輩は続ける。
「あのさ、あなたと話すときいつも目が合わないなって思ってたんだよ。私にその姿勢ってことは、お客様と話すときにできてると思う?」
衝撃だった。大きすぎる盲点だった。
いかに自分が、ひとりよがりなコミュニケーションをとっていたのかを思い知って恥ずかしくなる。だが、その感情が感謝に変わるまでに、そう時間はかからなかった。
「難しいことをしろなんて言わない。ただ、人と会話をするときはきちんと相手の目を見てほしいな。きっと想像以上の変化があるから。」
笑ってしまうほど簡単で、当たり前で、でもとてつもなく大切なこと。それをすっかり見落としていたことに気づく。
私は自分が傷つきたくないあまり、人とのコミュニケーションで大切なことをなおざりにしていた。
「ただ怖い先輩」だと思って避け続けていた鬼先輩は、販売員としても、人としても大切なことを真っ直ぐ教えてくれたのだ。
今までだったら耳の痛いはずの言葉が、この日は不思議と心地いい。長い回り道をして、ようやく私はこの場所でやりたかったことを思い出した。
それからの切り替えはあっという間だった。
今までの行動原理は「失敗しないため、叱られないためにはどうしたらいいか」だけ。だから軸がブレブレで、結局何をするにも中途半端になっていた。
それが「当たり前のことを当たり前に、ひとつひとつやればいい」と、霧が晴れたように驚くほどクリアになったのだ。
あれだけ手離せなかったプライドはもうどこかに吹き飛んで、目の前の人に喜んでもらうにはどうしたらいいか?それだけを考える。
不思議と、失敗が前より怖くなくなった。
たぶん、自分の行動に後ろめたさがなくなって、私の役割はコレだ!と思えるのが嬉しかったからだと思う。
誰かのために一生懸命になることは、すごく楽しいってことも教えてもらった。
周りと比べてかなり遅れをとっていたりだとか、自分だけが上手くいってないように感じると、焦って結果だけを追い求めてしまいがちだ。
どうにかしなきゃ!!と現状打破のために無茶なトライ&エラーを繰り返したりもしてみるが、結局「できることから一つずつやっていくしかないんだ」と気付く瞬間がくる。
当たり前のことを、当たり前にやる。
そうすることではじめて見えてくるものがあった。どうやらキラキラ光る理想の自分は、今日の私が地道に積み重ねて作っていけるらしい。
簡単なことができない人に、それより難しいことなんてもっとできない。だから当たり前で簡単なことを、誰よりも大切にする。
これは私がアパレル生活で教わった、一生ものの大切な価値観だ。
「いらっしゃいませ!」
何年働いても、店頭に立つ最後の日までお声かけはドキドキした。「迷惑じゃないかな」「的外れじゃないかな」声を発するまでに、いろんな思いが駆け巡る。
(大丈夫、大丈夫。
お客様と店員である前に、私たちはひとりの人間同士だ。接客の上手い下手より大事なことは?)
そのたびに軸を見失わないよう、言い聞かせる。
「お色、お悩みでしたか?どちらも素敵なので迷っちゃいますよね」
上手いことは言えてないかもだけど、精いっぱいの笑顔でしっかりと目を合わせて、鏡の前に立つお客様にお声かけをする。
誰だって弱さがある、怖がらなくて大丈夫。
今できることを丁寧にすれば大丈夫。
そしたらきっと、自分のやりたいことが分かる。微塵も自信なんてない私が、たったひとつだけ自信をもって言えることだ。
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