Gold Coast生活の始まり
短いバイロンベイ生活を終え、ついにやって来ましたゴールドコースト。次に引っ越して来たのは、ゴールドコーストのパームビーチという町にやって来ました。
韓国人と日本人のカップルと犬一匹でのシェアハウス生活がスタートしました。
お家は古いけど可愛らしい一軒家で、裏庭にはマンゴーの木が一本生えていました。夏にはマンゴーが沢山なるらしいです。後に韓国人のヨンミンはこのマンゴーでとんでもない目にあっていました。
部屋は一人部屋で日当たりもよく、海まで自転車で五分。立地は最高でした。
このパームビーチ今となってはとても綺麗で、新しいお店、レストランも出来て綺麗な町のイメージがあるかもしれませんが、その当時は浮浪者や薬中みたいなのも結構多い町だと思いました。
自分も車上荒らしにあったり、生卵投げつけられたりカバン盗まれたり、近くのコンビニで年に3回は強盗があったり結構ゲットーでした。俺は結構そんな感じの雰囲気の町が好きなんで結構パームビーチが気に入ってました。
金もなかった俺は早速仕事を探す事にしました。
街を散歩すると飲食店がチラホラ。何件かのレストランに履歴書を出すと、すぐ次の日に電話がかかって来て面接する事になりました。
そして無事に日本食レストランで仕事を見つけることが出来ました。当時最初の時給は$10でした。当時でもかなり安い方の時給だと思いますが、この海外で英語もまともに喋れない俺に仕事があるだけでありがたいです。
そこの仕事だけでは生活がキツかったので、もう一つ違う仕事を探したところ、クリーナーの仕事で雇ってもらえる事になりました。
カフェや色んなオフィスのクリーナーでした。カフェのクリーナーはカフェが閉店する頃に行って、テーブルや床掃除やゴミ捨てをする仕事をしてました。オージーは店の掃除を自分たちでほとんどやりません。そのためクリーナーと言う掃除専門の人を雇うところが多いです。店の鍵も俺が閉めてました。日本人にとっては当たり前だった学校が終わった後の教室や廊下の掃除も、オーストラリアにはありません。
カフェのクリーナーはとても楽しかったです。掃除に行くと何人かのスタッフはまだ残っていて、喜作に話しかけて来てくれたので、英会話の勉強にもなりました。余り物のマフィンやブラウニーやフルーツなどもくれました。
もう一つ別の会社のクリーナーもはじめ、そちらはホテルの部屋のクリーナーでした。ホテルは一部屋いくらと言う感じで給料が決まります。2ベッドルームなら$34、3ベッドルームなら$45みたいな感じです。
ホテルのクリーナーも好きな音楽をかけながら自由に出来る仕事だったのでとても楽しかったです。インド人が泊まった後の掃除は大変でした。奴らは鍋ではなく部屋に備え付けのポットでインスタントカレーをあたためて、ポットをそのままにして帰るのです。とりあえずカレーくさい。
時にはパーティーしたんだろうなって部屋では使い捨てのコンドームがそのまま床に落ちてたり、小さいケースに入った注射器やら白い粉やらも落ちてました。なかなか面白い仕事でした。
結果その当時一年ぐらいは三つの仕事を掛け持ちしてました。レストランでもだんだん出来る仕事が増えて時給も上がり、だいぶ稼げることが出来ました。
おかげで車もゲット出来ました。日豪プレスで$1300でフォードのフェスティバを買いました。確か買った時点で180000kmは走ってたと思います。マニュアルでオンボロでしたが、2年以上頑張ってくれた良い相方でした。色んなところに一緒に行きました。
朝一はサーフィンして、そのあとは夜まで仕事して、仕事が終わったらスケボーに行くと言う日々が続きました。時にはスケボーで骨折しながらも最高に充実した日々を送ってました。
そして一年という時間はすぐに終わろうとしていました。
もちろん一年で時間が足りるわけもなくもう一年ワーホリでいようと考え出しました。オーストラリアにはある一定の条件を満たせばワーホリでもう一年滞在することが出来るのです。
そのセカンドワーキングホリデーについては次の記事で書いていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
to be continued ...
ちなみにシェアメートのヨンミンは、マンゴーを収穫する時に飛び出る汁が腕にかかり、全身にブツブツが出来て3週間ほど治らずマンゴーアレルギーになり、二度とマンゴーを食べれない体になるという悲惨な目にあっていましたとさ。w
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