短編小説『チョコクロワッサン』①
最近知ったお気に入りのパン屋さんがある。
今日が2回目の来店だけど。
男性の店主一人で営んでいるパン屋さん。
一番初めに食べたパンはアプリコットのサクサクパンだった。
あの夜にSNSを調べても、確かに公式アカウントが見当たらない。
タグ付けされた投稿はちらほら見かけるのに。
今日は休日。
散歩を楽しみながらパン屋さんを目指す。
店名は確か『パン工房ルシュ』
あ、見えてきた。
赤い看板が聳え立っていた。
今日は『チョコクロワッサン』と書かれている。
アプリコットのパンもクロワッサンの生地で作られていて、ほろほろして美味しかった記憶。
今日はこれにしようと扉を開けた。
『いらっしゃいませ』と男性店員が声をかける。
私のこと覚えているだろうか。
前に来たのが確か…と考えていた時、
『あ、この前来ていただいた方ですよね。アプリコットのパンのお話をした…』
「はい!合っています!まさか覚えてもらっているとは驚きました」
店に入るやいなや、喜びで感情がむき出しになってしまった。
店員さんに自分のことを覚えてもらっているのはいくつになっても嬉しい。
『今日のおすすめはチョコクロワッサンです』
男は目を細めて微笑んだ。
あ、その顔。この前見たあの笑顔だ。
「このお店は日替わりランチみたいに、毎日おすすめが変わるんですか?」
『朝一に焼き上げた中で、一番上手に焼けたパンを看板に書いてます』
そんな単純な理由だったのかと笑ってしまう。
じゃあ今日はチョコクロワッサンを買おうと、トングとトレーを持つ。
チョコクロワッサンの前まで行くと、ほのかにチョコの甘い香りが鼻をくすぐる。
チョコレートの香りってどうして幸せになれるのだろう。
私がチョコ好きなのもあるけど、チョコレートを食べるだけで、気分が和やかになる。
『あ、いいですね。その顔』
え?っと、隣で私の顔を見て微笑んでいた。
隣にいるのなんて全く気が付かなかった。
『つい、見惚れちゃって。ごめんなさい急に隣に居て顔を見られるのなんて気持ち悪いですよね』
男は私に深々と頭を下げた。
そこらのおじさんなら発狂するが、貴方だから大丈夫です!とは言えない。
「気にしないでください。私も自分の時間に浸りすぎていただけで。…その、見惚れたっていうのは?」
男は恥ずかしそうに、少し俯き加減で目線だけ上げて私を見つめる。
その角度はダメだ。愛おしいと思ってしまう。
『僕のパンを見てそんなに幸せそうにしていたので、見つめられているのは僕じゃないのに。つい嬉しくて、言葉も忘れるくらい貴方を見つめてしまいました』と。
この人は女を落とすのが上手いのか、はたまたパンを通して胃袋を掴むのが上手いのか。
「そんな恥ずかしいことを隣で言われると、私でも照れてしまいます…」
今日は髪を下ろしてきてよかった。
自分でも顔が熱くなってるのが分かる。
きっと顔も赤くなってるはずだ。
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