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【エッセイ】時空を超えた嫌悪感

最近よく思うこと。

・「蠢く」(うごめく)の漢字作った奴、虫への憎悪すごいな。「せっかく春なのにっ…!」って思ったんだろうな。

・「目くそ鼻くそを笑う」と最初に言った奴、自分の欠点を棚に上げて人を嘲笑う奴を「目くそ」って。そいで言われてる側の奴も「鼻くそ」って。目くそを揶揄してると見せかけて鼻くそ側も傷つけるんかい。なんでもありだな。

・「万死に値する」と最初に言った奴、もう、イーーーッ!!!ってなったんだろうな。数字ボケじゃん、万とか。

僕は漢字やことわざの成り立ちには全く詳しくないですが、
たまにこういう「時空を超えた嫌悪感」を感じると、妙にワクワクしてしまいます。
昔も今みたいな不和とか違和感が存在していて、何かに例えたり文字に表すことで溜飲を下げていたんだなと思うと、親近感というか、安心感というか。とにかく嬉しい気持ちになります。

最近はSNSのおかげで、誰でも好きな時に好きなことを発信できるようになりました。
そのへんの詳しい話は、クローズアップ現代にでも任せることとして。
では、昔と今の違いは何なのでしょうか。

例えば「目くそ鼻くそを笑う」の作者が当時、
「おい目くそ!鼻くそを笑うなよ。」
と本人に直接言っていた可能性は極めて低いと考えられます。
なぜならそんな表現は必要ないから。
「おいお前!自分の欠点を棚に上げてコイツを笑うなよ。」で良いわけです。
ではなぜ目くそと鼻くそに例えたかといえば、「一般化」したかったからです。
どこかにいるであろう、自分と同じように目くそ鼻くそまみれの人間関係に嫌気が差している人と、この気持ちを分かち合いたい。
あるいは直接本人たちに指摘できないもどかしさを、一般化することで成仏したい。
さまざまな感情があったはずです。
つまり、ことわざや漢字になり得る「例え」の部分は一般化するための手段であり、それが当時の世界においてより広く伝播するための唯一の方法であったと考えられます。

SNSで誹謗中傷が絶えないのは、この工夫をせずとも伝播が可能になってしまったからでしょう。
物事を表現する際に鉄則とされてきた「ひと手間加える」という概念が崩れ、春に蠢く虫に「死ね」と言えるし、目くそ鼻くそに「消えろ」と言えてしまう。
しかも正体を明かさずに。
鬼に金棒です。でも、豚に真珠。
ひと手間加える苦労を惜しむ人間に言葉を使う資格はありません。
万死に値します。
僕は生きづらい思いを必死に伝えようとした先人たちに大いなるリスペクトを示すと共に、同じ時代に生きる人々に惜しみなく一般化していきたいと思っています。

先程、「蠢く」の由来を調べようと検索したところ、芋虫が大量にウネウネしている画像が目に飛び込んできました。
「蠢く」作った奴、お前のせいだよ。

(完)

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