自分では気が付かないこと
「自己PRをしてください」
そう言われたら、僕は答えに窮してしまう
「お前は真面目で正義感が強い男だ」
父からはそう言われて育ってきたのだが、何に対して真面目なのか、正義とは何か、ぼんやりとしていて、自分の芯となるものは見つけられずにいた
特技という特技もないし、元々コミュ障だったところに人間不信が重なってしまったから、「信じられるものはただ自分だけ」という念だけで生きてきたようなものだ
しかしそれでは通用しなかった、というのは、最初の言の葉の記事で述べた
だからか、僕は「真面目」とか「正義」とかいう言葉を好きではなくなった
言われるのも好きではないし、まして自己PRになど使えないのだ
一方で、身内以外の人から聞いた言葉で印象に残っているものがこれである
「優しい人だね」
これも最初のうちはかなり戸惑った
「優しい」とは何か、良く分からないことがある
学生時代に好きな女の子に振られたときのことを思い出す
枕詞のようなもので、「けどそれ以外何もない」「だけじゃ物足りない」という、後にお決まりの言葉が続いていくものだ
しかしここ最近になって、また印象が違ってきたから不思議なものだ
自分では分からないが、人からはそう思われている
花はただそこに咲いているだけかもしれない
しかしそれを人間は美しいと愛で、心に安らぎを得る
蜂は「命」に必要なものとして、蜜を集めにやって来る
そんな感じで、自分では分からない、人を惹きつける魅力を、誰もが備えているのではないかと思う
少なくとも今の僕は、「優しさ」を大切にして生きたいと思っている
優しいだけが取り柄かもしれないけれど、そう評価してくれることが嬉しいし、それが「愛」だと受け止めたい
僕は何故noteを始めたかで述べたが、僕は自分の傷をこうして残しておくことで、誰かの意識の中に入り込み、背中を押すことができたらこんなに嬉しいことはないと思っている
傷や痛みを経験した人は、自分の苦しみをその分だけ優しさに変えて、強くなれると信じている
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