見出し画像

日本と海外で体験したリアルジェンダーギャップ

こんにちは!アメリカ生まれ🇺🇸福岡育ち🍜とんこつラーメンの英才教育を受けてきた「ちぇるし〜」です🙋‍♀️ とんこつラーメンの発祥の地である久留米にて2歳からとんこつラーメンの英才教育を受けてましたが、ラーメンの味にはそこまでうるさくありません。幅広いラーメンのダイバーシティを受け入れる事が出来る寛容でマイルドな精神の持ち主でもある、と自称させていただいております、どうも。

前回のブログ『私がジェンダーギャップを埋める活動をはじめた理由』に多くの反響をいただきまして、「私だけじゃなかったんだ〜涙」と心で泣いておりました。いいねで反応をくれた方も、直接ご連絡していただいた方も、本当にありがとうございました。中には、VC (ベンチャーキャピタリスト)という、スタートアップに投資をする女性の方からも興味を持っていただき、投資家としても女性を支援したいと伝えていただきました。わたくし、もう感無量です。ジェンダーを埋める活動はもっと加速させていくべく、新年早々メラメラしています🔥

さて、今回はそれとはまた別の番外編として、私が日本と海外で感じたジェンダーギャップについてご紹介していきたいと思います♪

日本とアメリカの二つの視点

私は日本で過ごす事が大半でしたが、生まれた場所がアメリカだった事から、いつも日本とアメリカの二軸を対比させながら物事を観察し、その違いを面白がりながら育ってきました。その後もホームステイや旅行を通して海外を経験したり、日本で海外の人々と出会ったり、お互いの国籍なんて忘れてしまうくらいに心から友達だと思える体験が出来た大学時代を過ごしたり。北欧のノルウェーに留学してみたり。東京での仕事も海外スタートアップの初期フェーズでの日本の立ち上げなので、英語を使い仕事をする事は格段に増えていきました。プライベートでも、幼少期から海外と縁があった友達が増え、日本にいながらも様々なカルチャーに囲まれる日々を過ごしています。(ありがたや🙏)

そんな私がこれまでに感じてきた日本と海外のジェンダーギャップ (女性に求める価値観の違い、疑問) について、ご紹介したいと思います。(以下、様々な例を挙げていますが、もちろん海外だから良いというわけでも、日本だからすべてが悪いというわけでもありません。日本で意識することはないですが、海外は海外で”女性” x ”アジア人”というカテゴリーであるだけで軽く見てくる人もいます。一方で、日本にも先進的でジェントルマンな人もたーくさんいて、どちらも全肯定や全否定をするものではない事をご理解いただけると幸いです。)

「魅力的な女性像」ってなんなのよ

まず初めに列挙してみたのは、魅力的に映る女性像の違いについてです。日本も昔に比べたら進んでるとは言うものの「仕事が結婚か」の二択を迫られる場面が未だに多いように感じます。というのも「家庭的な女性」と「仕事ができる女性」のイメージはそれぞれ対極に存在しており、どちらも兼ね合わせた女性像は一般的にかなりイメージしづらいのではないかと思うからです。加えて、社会が女性に求める価値観に関しても海外とは圧倒的に違うものが多く、これは男性だけではなく、女性自身の価値観にも染み付いたものがあるように感じます。それが良いのか悪いのかの議論ではなく、ここでは私が実際に体験をした二軸の価値観についてご紹介したいと思います。

仕事をしている女性に対する価値観の違い

海外では仕事をしている女性は「independent (自分の足で立っていける)」という事で魅力的に映り、褒め言葉としても使われる事が多いです。⇔ 一方で、日本ではどうでしょうか?私の当たり前がすべて世の中の当たり前ではないとは思いながらも、働いてるだけでなぜか「すごいね、しっかりしてるね」と言われる事もありました。「ん?なぜ?」と純粋に疑問を感じたのです。

バリキャリの意味?

仕事ができる女性を表す「バリキャリ」という言葉は、「バリバリ働いているね」という意味を持ちつつも、どこかポジティブではない意味合いも含まれているように聞こえる事があります。例えば、仕事だけに専念していて、女を捨てているようなイメージで使われている事もありました。キャリアの相談に乗ってほしいと言うので話を聞いていたら、女性の中でも「私はバリキャリじゃないから(あなたたちとは違う) そこまでガッツリは仕事したくない。 」というような事で、同じ女性同士でも線引きをされた事がありました。(私だって仕事人間じゃないよ〜、一人の人間だよ〜と心の涙を堪えつつ) 「バリキャリかそうでないかに関わらず、あなたの今後のキャリアで伸ばしていけそうな領域、可能性がありそうなキャリア選択の一例を話しているよ!」と、捉え方を変えてもらうようにお話ししました。

このように、バリキャリに見られたくないという女性がいるという事は、バリキャリという言葉自体にネガティブが意味合いが含まれてるという事を示す良い例ではないでしょうか?(そもそも「バリキャリ」という言葉は女性に対して使われる言葉で男性には使われません。摩訶不思議ですね。働いてる男性が普通に存在するように、女性の中にも当たり前に働く女性がいるという、女性に対するイメージのアップデートも進めていけると良いなと思っています。逆の例で言うと、イクメンという言葉もなのですが。)

女性の社会進出、産みたい時に産めない...?!

また、男性では独身でも特に揶揄されないのに、女性は年齢と共にお付き合いステータスや既婚かどうかで周りからとやかく言われる事が多いと一般的には言われています。これはどうしてなのでしょうか?若くないと産めないという人もいるかもしれないですが、女性が社会で活躍する事を望むのであれば、晩婚化は当たり前に進むはずです。「若くないと産めない」...テクノロジーがここまで進化した現代、これは本当にそうなのでしょうか?(そもそも、子どもを産まないという方針の人もいるかもしれません。産みたくない人に子どもを産めというのは酷な話で、生まれた子どもにとっても幸せな事かは分かりません。)

というわけで、女性が何歳になっても産みたい人がきちんと産める環境を整っているのか? = 子どもを持てる年齢を少し引き伸ばせないのか?という点に今回は着目してみたいと思います。海外ではどうでしょうか?実は、アメリカでは企業が働く女性に、福利厚生の一部として卵子凍結ができるサービスを提供する事があるようです。日本ではあまりそういう事例は聞きません。ガツガツ夜遅くまで働くある会社の営業職の女性は、何かと不妊治療をする確率が高いというのは聞いたことがあるのですが、キャリアを積むために頑張ってきたのに、子どもを欲しいと思った時には産めなかった...そんななんとも悲しい事が日常茶飯事で起こっているようなのです。私はこれを聞いてとても悲しくなりました。少子化が進んでいる背景の中には、「産む人がいない」ではなく「産みたいのに産めない」という方々の存在がある事を忘れてはいけません。私たちはこれらをこのまま放置して良いのでしょうか..? 働き方もそうですが、改めて企業としても、個人としても見直す部分はまだまだありそうです。私たち個人が企業に求める期待値もアップデートしていかねばなりません。

知的、頭の良い女性に対する違い

海外の友人で「自分よりも頭の良い女性と付き合いたい、intelligence (知性)はセクシーだ!」と言う人がいて、感動した事がありました。もちろん、日本にもこういう男性はいない事はないのですが、ものすご〜く本当レア人材です。(そういう方がいたら、もうね、自ら周りに発信していってほしいです。私の周りの友人含め、そういう男性を求めている女性は少なくないんです。) 物言う女性よりも口数が少ない事が美徳として日本には色濃く残っているようにも感じますが、軽快なトークでおしゃべりな女性も楽しいと思いますよ!笑

因みに、私が思う知性とは、相手を理詰めするような知識の見せびらかしや、正しさの押し付けではありません。学歴でもありません。それよりも優しさだったり、機転が利く、相手を笑わせられるユーモア、柔軟性など、想像力をもって相手の気持ちを慮(おもんばか)れる事だと考えています。

軽く見られたとしても、買わない喧嘩

⇔ さて、日本ではどうでしょう?TPOによるとは思うのですが、女性というだけで軽く見られる事はやっぱりありました。ある会社に行って、私が話していたら「君の上司はどこ?」と言われた事がありました。「私がこの事業の責任者です。」と言って、信頼を得るまでは時間を要しました。まぁ...女性 x 若いのダブルパンチは強烈ですよね。しかしながら、大体は話していくと私のキャラを知ってくれて、心を開いてくださる事が多く、今となってはその仕事を離れてからもやり取りをさせていただいたりも少なくありません。感謝!女性だからと過剰に反応し過ぎず、しなやかに鈍感でいる事も時には大事です。なので、売られた喧嘩があったとしても、感情的になって喧嘩を買ってしまう前に、別のスマートな方法を探してみましょう。(敵を増やすよりも、どれだけ仲間を増やせるかです。ジェンダー問題で男女がより対立してしまうのは避け、双方で理解を深める事に注力したいのです。個人戦ではなく、これはチーム戦。今こそ団結するのダ!(ソフトバンクホークス風。分かる人には分かるやつ 笑))

それから、日本で過ごしてきた中で「俺、〜会社(社名)で働いてるんだぜ!」とたまにマウンティングを取って来る人に遭遇する事が多々ありました。私が「英語が話せる」と分かった瞬間になぜか相手が腰が低くなり、上から目線だった反応が激変する事も多いのです。仕事に関しても相手が聞いてくるので詳細を少し話すと、ドヤ顔していた相手の表情が曇り出し、最終的にはなぜか私がその人のキャリア相談に乗ってるなんて事があったりします。(私どんだけ良い人やねーん 笑) 

まぁ大体は自分に自信のない事の裏返しで、褒められたくてマウンティングをする事が多いと思うんですよね。ある程度の信頼関係ができると、心開いてくれて本音がポロッと出てきたりするので、マウンティングはお互いを知るまでのプロセスの一環なのかもしれません。が、男女共に永遠と自慢してくる人よりも、たまには良い聞き手に徹してくれる人の方が素敵だなと思っちゃうのも事実です。いずれにしても、マウンティング合戦には参戦せずに、神様になったかの如く広い心で相手の本意がどこにあるのか、にこやかに眺めてみるのも悪くないです😌 (←こんな顔のイメージ) 徳を積みましょう。

本当に素敵な人はマウンティングをしなくとも伝わる魅力がある

ここで皆さんへ声を大にしてお伝えしたいのですが、本当に素敵な男性はマウンティングなんかせずとも、その魅力が滲み出てくるんですよね。本当です。(素敵な男性の皆さん、分かる人には言わなくても伝わっていますよ!笑) オーラというか、気持ちに余裕があるというか。自己肯定感を自ら保っていて、自分のご機嫌を自分で取れる。そして、女性の活躍にも嫉妬せずに「どんどん、行け行け〜!」と応援してくれるような、そんな人たち。「え?周りにそんな人いないな〜」と思ったら、今こそ活動範囲を変える良い機会かもしれません。どうせ同じ時間を過ごすなら、「女性だから〜」と型にはめてこようとしてくる人よりも、「面白いね!誇りに思うよ!」と応援してくれる人と一緒にいたいと私は思っています。友達でも家族であってもそれ以外でも。ぜひ皆さんも周りの人で素敵だと思う人がいたら、ぜひ1,000%の気持ちを込めて「素敵だよ!応援してる!」と伝えてあげてください。あなたに褒められたその一日が、ぴょんぴょん飛び跳ねたくなるくらいに嬉しい一日となるかもしれません🐇そんな誰かの一日を作れたら、こっちまでなんだかほっこり嬉しくなってきませんか?

必殺技!年収マウンティング!

「どこに住んでるの?」と聞かれて、立地が良いエリアだとなぜだか「シェアハウスなの?」と推測される事がよくあります。また、結構前の話ですが、自らの年収は明かさないのに、こちらの年収だけ聞いてくる人もいました。私は誰とも競ってないので、「へぇー、そうなんですねー(真顔)」と何もテンションは変わらないのですが、競ってくる人たちは自分が女性よりも稼げてなかったらダサいとか、それ以上に自分が稼いでいたから安堵するのかな?と考えたり、はたまた女性が男性に年収を求めてるから、そう考えるようになっているのかな?などなど、年収マウンティングをする理由を考えた事がありました。

そういえば、友人の結婚式に行った際には、「俺、〜万貯金あるぜ!」と貯蓄マウンティング?アピール?してくる公務員の方にも遭遇した事があります。「え、これってネタなの?真面目な話なの?」と思いながら、私は話を聞いていました。あまり東京で遭遇するタイプではないので、心の中では新種のポケモンを見つけたような気持ちになってしまい「年齢でおおよその年収が分かっちゃう公務員の方だと、いくら貯金があるかが推しポイントに加わるのか!なるほど〜!」と一人で感心していました。(いやいや、誰目線やねん 笑)

年収 = 人の価値ではない

お金や企業ブランド(= 安定した年収)に惹かれる人がいる事を否定するわけではありません。
お金がないと生きていけないのも事実です。ただ、いくら稼いでるかで決まる人の価値って何なんだろうと、少し虚しい気持ちにもなってしまいます。それも責任感が強い日本人ならではで、「自分が子どもと奥さんを養わないと!」という想いからかもしれないのですが、男女ともに「稼いでる金額 = その人の価値」なんていう判断基準は存在してほしくありません。お金だけでは語れないその人だけの価値というものは、一人一人に存在していると思うからです。(もちろん年収があるという事もすごいとは思いますが、それだけでは人は語れないという事です。) 地位や名誉、お金などで群がってくる薄っぺらな人間関係よりも、そんなものがなくても一緒にいたいという人を大事にしたいものです。私はこのモットーを強く持っていて、お仕事関係もプライベートでの交友関係でも同じように考えています。

仕事をする女性は料理ができないという謎のレッテル

日本では家庭的で料理が上手いというお母さん的要素が好まれる気がしていて、料理を作ってるストーリーを共有していると、男友達からの食い付きがものすごいと話していた私の友達がいました。まぁこれは男女関わらず、料理ができる人は魅力的ですよね。

ただ「自分で料理するの?」と聞かれて「するよ!」と言うと、びっくり仰天された事がありました。仕事をしていると確かに料理する時間は減る事は減るのですが、個人的には仕事してなくても、料理しない人はしないし、仕事してても料理する人はすると思っています。というか、料理をするかしないかで一方的な価値判断される前に、女性だから料理がするのが当たり前という人が接触してこようとしたら、ササっとかわしちゃいましょう。女性は家政婦ではありません。役割分担の中で料理担当になる事はあっても、女性だからというやって当たり前という価値観は、残念ながら誰も幸せにはしてくれません。その人ために作ってあげたいと思う気持ちになるかどうかに、男女は関係ないですよね。自分のために費やしてくれた時間を思うと、なんでも美味しく思うんじゃないかなと思うんです🍙🍵

因みに、私がきちんと料理を始めたのはノルウェーに留学していた20歳の頃でした🇳🇴✈️ 現地では物価が高過ぎて、毎食自炊をせざるを得ませんでした😨笑 人生で初めて「ひもじい」と思う経験もしました。どれだけ高いのかというと、サンドイッチを買おうものなら1,500円はしますし、外食をしようものなら何の変哲もないインド料理で一人6,000円はしました。日本では100円そこらのチョコバーやポテトチップスは500円以上...社会人でもなく、バイトもできない留学生が、毎日そんなものを買って食べ続けるなんていうのは割に合わな過ぎるので、ノルウェーでは皆基本的に自炊をしていました。(外食もそれがそんなに美味しいという訳ではないんですね〜特に値段を考えると特に。それくらい日本のコスパは世界最高なんです👍🇯🇵) 自慢ではないですが、私が作った料理を食べて結婚したいという友達がいたり、自分のお母さんの料理より美味しいという人がいて、日本料理の威力を知りました 笑 (半分冗談ですが)

海外ではどうなのよって話

私が過ごしたヨーロッパやアメリカでも「寿司作ってよー🍣!」と言ってくる人はいましたが 笑、「女性だから料理作ってよ」という文脈は全くありませんでした。当たり前のように男女が混じって料理を一緒に作ったり、男友達の方が「俺の国の料理まじ美味いんだぜー!」と皆に手料理をご馳走してくれたりして、ノルウェーにいながらもネパール料理、ベネズエラ料理などを堪能していました🤤 因みに、私が何かを作ったら「次は僕らが料理を作るよ!」なんていうのも普通でした。てなわけで、私の体験から考えてみると、海外で「女性だから何か作ってよ」なんて誰かが発言してしまった時には、その瞬間その場が凍ってしまうのは容易に想像できてしまいます。「え、”女性だから”...って何?😧」と。それくらい、日本の当たり前は他の先進国との当たり前と比べると、かなりのギャップが存在しています。これはビジネスでの信頼関係にも影響してくるので、これはマナーというか、品位というか...ちょっとした一言で、日本が恥ずかしい思いをする場面を私は減らしていきたいと思っています。(そして、女性だって胃袋掴まれたいぞー!笑)

結婚か仕事か問題?え、二択ですか?

「結婚とか興味あるの?」という、あたかもその人が結婚には興味のないかのような前提で繰り広げられるこの質問、こればかりは日本だけではないようですが、それでも日本の方がその割合は多いような気がしています。そもそもですが、二択ではなく「二兎追うもののみ、二兎を得る」という事で、結婚とキャリアをどう同時に実現させるかという攻略法が世の中でもっと議論されても良いんじゃないかなと思っています。早いうちからその戦略法や成功事例を知る事で、初期のキャリア形成の仕方も変わると思うからです。

そんな私自身も家庭もキャリアも二兎追っていたいと思う人の一人なのですが、でもそれは「いつ何時でもフルタイムでガツガツ働くぞ〜!」という事ではありません。働き方自体にもっと多様性を増やした上でのバランスだと思っています。というのも、よくなされる議論を考えてみると、0か100かでフルタイムか否かの前提条件の元、議論されてはいませんか?そうではなく、収入源を複数持ち、割ける時間に応じて20%働く、今は40%にしよう、などと柔軟に働く頻度や時間、場所を調整できる、そんな0か100ではない働き方も考えていきたいです。もちろん、主導権やコントロール力、グリップ力など、どうやって自分で持てるようにするかを考える必要がありますが、これこそ上で話していた攻略法のシェアに繋がってくるのではないでしょうか?

また、長時間労働で稼ぐだけではなく、世の中には不労所得というような働き方もあり、お金の稼ぎ方の型は時間労働だけではありません。注げる時間があるかどうかに関わらず、一定の収入源が別にあると心に余裕が生まれるので、そのような型を知る事も大事ですよね。(リスク分散にもなりそうです。) もちろん長い人生なので、男女共に仕事をお休みする事があっても良いし、お金を伴わない働き方という意義のある活躍方法だってあるはずです。いずれにしても、本人の希望があるにも関わらず、「女性だからという理由でどちらかを諦めないといけない」という日本の当たり前があるとするならば、それは絶対に変えていきたいと思っています。

そのためには、無意識的に作用しているジェンダーギャップにまずは気付く事、これは誰にでも簡単に取れるアクションの一つです。ジェンダーギャップを見つけて、過剰に反応するという事ではなく、なぜそうなっているのかを考える、少し言い方を意識してみるなど、一人一人の小さなアクションと意識の向け方を変えるだけで変化は作れるはずです。それは小さな変化かもしれないですが、個々が集えば大きなパワーにもなり得ます。私たち一人一人が次の世代に手渡していきたい社会を思い描く事。生まれてくる子どもたちのジェンダーに関わらず、安心して委ねていける環境を。そんな想いを込めて、このブログが何か気付きのきっかけとなれば嬉しいです。

それでは最後に、この記事のイイねとアカウントのフォローが励みとなります。もし良かったら、ポチッとしていただけると喜びます💐

それでは、また次回お会いしましょう!ごきげんよう🙋‍♀️✨

With love,

ちぇる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?