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私の物語はいつだって憧れから6話

【相棒は日本人】


レストランのあるヴォナ村の人口は、2010年の当時は2000人ほどでしたが一週間にこの村を訪れるお客さんの数は1000人から1500人ほどに及びます。

もちろんすべてこの小さな村にあるジョルジュ・ブラン氏のレストラン・ホテルでの食事や宿泊、そして隣接するブティックでの買い物を目的とする訪問です。

ヴォナ村でレストラン業を大成功に収めたジュルジュ・ブラン氏のために、村の近くの高速道路にはインターチェンジが作られ、またパリやリヨンからのVIPのためにホテルに隣接する場所にヘリポートを完備されています

村に2つあるジョルジュ・ブラン氏のレストランの営業日はそれぞれ異なります。

ガストロ(ジョルジュ・ブラン氏の三ツ星レストラン)は毎週月・火休みで、水曜の夜から日曜日の夜まで昼・夜と営業するスタイル。

一方のブラッスリー・オーベルジュは年中無休で昼・夜の営業。

オーベルジュでは1日平均100名から150名のお客様を受け入れ、週末土日には200名以上のお客が来る大変忙しいレストラン。

オーベルジュで働くことになった私に与えられたポジションはガルドマンジェ。

アントレと呼ばれる前菜を仕込むポジション。その他にもデザートにチーズの盛り合わせもこなすポジションがオーベルジュのガルドマンジェの仕事です。

オーダーが入ってから魚や肉の調理、それらの付け合せの野菜の調理をするストーブ前のポジションとは異なり、あらかじめ調理を済ませ、サラダ以外は予めお皿に盛り付けておくことができます。

レストランデザートの経験が既にある私にとって仕込みや盛り付けの工程にさほど違いのないガルドマンジェでの仕事は、苦労することはありませんでした。

私と一緒にガルドマンジェのポジションを担っていたのは同じ日本人

オーベルジュで仕事を教わったのはその日本人の彼からでした。

予約状況や日によって異なる仕込みの量にその段取り。オーダーの受け取り方から料理の出し方に道具や食材を取りに行く場所などを丁寧に彼は私に教えてくれた。

私よりも年下でまだ料理経験の少ない彼ではあったが、とても頼れる身近な存在になってくれ、同じ日本人の私をとても良く慕ってくれた。
一緒に仕事ができる忙しい週末はとても心強かったことを覚えている。

私とのコミュニケーションは常にフランス語

その理由は彼は生まれは日本だが、育ちはフランスで日本語はあまり得意ではなかったから。

調理道具や食材など、調理場で飛び交う専門用語なども彼からいろいろと教わっていた。

ガルドマンジェの仕事は長い。

一番初めにオーダーが入り一番最後までオーダーが入る。

調理場の掃除が始まってもデザートやチーズの伝票はひっきりなしにくる。最初から最後まで気の抜けない持ち場を担当したのが、私のフランスでの初めての職場の仕事でした。




全力疾走


私がガルドマンジェで一番初めに任された仕事は、コーヒーに添えて必ず出されるメレンゲ菓子の準備。毎日予約人数分以上のメレンゲが必要になるので、前日には翌日分を仕込んでいた。

作り方はいたってシンプル。

業務用サイズのミキサーに卵白・砂糖を入れて泡立てながら、ボールの下部をバーナーで煽ってメレンゲを温める。イタリアンメレンゲのように角が立ったら、絞り袋に入れて、角を立てるようにして小さく絞る。

100度のオーブンで2時間乾燥させて出来上がり。

毎日150〜200個ほどの小さなメレンゲ菓子を準備していた。

このメレンゲ作るのは簡単なのだがとても重労働。

何が大変かって、調理場にメレンゲを乾かす乾燥用のオーブンがなかったこと。オーブンがあるのは調理場から300メートルほど離れた場所にあるエコノマと呼ばれる食品貯蔵庫。

だから数を多く作らなければいけない日は、絞り袋に入れたメレンゲと数枚の鉄板・クッキングシートをもって走ってエコノマまでいき、オーブンの横でメレンゲを絞りにいっていました。

何故走って行くかって?

走らなければ他の仕込みが終わらないからである。

メレンゲの仕込み、エコノマまでの往復、更に出来上がったメレンゲを回収しに向かい、調理場に戻ってくるこの一連の流れに1時間ほど時間を使ってしまう。その他にも山のようにある営業に向けての仕込みを営業前に終わらせるために、少しでも早くメレンゲを終わらせようと走ってオーブンまでいき、走ってオーベルジュまで戻っていた。

月曜・火曜日とガストロが休みに日はこのオーブンはいつでも使うことができるが、それ以外の日はオーブンの取り合いになる。

エコノマにある乾燥用のオーブンは一台しかなく、ガストロのパティシエ達が毎日のように使っていた。

それを知らずにエコノマまで行くと、オーブンが空いていないことは日常茶飯事。するとまずメレンゲだけクッキングシートを引いた鉄板に絞るだけ絞ってから、次にガストロのパティスリーに向かう。

オーブンを使用している人を探すのです。

使用している人を見つけたら使い終わる時間を聞き、オーベルジュに走って戻り、他の仕込に取り掛かる。

オーブンが使い終わる時間に再びエコノマに走って戻り、空いているか確認できたらメレンゲをオーブンに入れる。もちろん使い終わっていなければそのまま調理場に走って戻る。。。午前中はこの繰り返しが多かった。

またエコノマはガストロの営業で必要な野菜や肉、魚、乾物類に乳製品などの食材全てが保管されている場所でもあります。

調理場で保管しきれない分の食材は全てこのエコノマで一時的に保管することになっている。(小さな村なので配送業者は毎日来ません。野菜や肉・魚の配送は週に2、3回で一度にたくさん仕入れます)

オーベルジュで保管しきれない一部の乳製品や乾物も同じくここに保管されている。

だから、牛乳、クリーム、卵や粉類などは、2日に一度のペースで台車を引いて営業前や夜の営業後に取りに行かなくてはならない。

仕込み以外にも毎日何かしらエコノマまで足を運び往復しなければならないのは、オーベルジュの仕事で体力の必要な仕事でした。

ここでの仕事は非常に非効率で無駄な動きが生まれてしまう設備が多々あった。

何か仕込みをするにしても、道具を取りに行くにしてもだ。

それでも私は一切手を抜かなかった。料理の知識や技術を向上させる事とは無関係なことだが、私は全力で走ったし全力で与えられた簡単な仕事に取り組んでいた。

傍から見れば【そんなこと必死でやる?】っと思われるような仕事や単純作業でさえも。

しかし私はそれぐらい必死だった。切実な思いでフランスに来たし、手を抜く理由はどこにも見当たらない。

何でもいいから何かをやり遂げたかったのだ。

毎日フランスで経験するほんの些細な経験、食材や新しいレシピや味わいに出会うたび感動していたことを覚えている。

誰にでもできる簡単な仕事に疑問すら浮かぶ隙間すら与えないくらい目の前のことに全力で向き合って自分の経験になり、精神が豊かになっていく毎日がとても嬉しくて幸せを噛み締めていた。

毎日、毎日、自分自信が生まれ変わっていくような感覚。

新鮮な緊張感にワクワクする期待感。あの頃の感情は特別で少し不思議な感覚であったと、時々当時を時々振り返るほどです。

それでは今日はここまで。

続きは次回の【私の物語はいつだって憧れから7話】にて、週末のオーベルジュの営業の様子のお話をします!

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