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いろんな視点から物事を考えられるようになりたい

ついさっきまでしてた旅行の振り返りを、空港にてやってます。

何が印象に残ってるかな〜
なんかいろいろ感じてたことあったな〜

と思ってたんですが、どうしても書き留めずにはいられないエピソードを一つ書き殴ります。

ドライブ中のなぞなぞ大会

今回の旅はひたすら大自然の中を車で駆け巡る旅。
果てしなく真っ直ぐに伸びる道があまりにも長いので、土地の広大さを突きつけられます。
ここまで環境が広大だったら、心も生活も余裕を持てそうだなとか思ったり。

ただ、そんなまっすぐな道を車で走るのは、割と単調だったりもします。

なので私はどうしても脳を活性化させたかったので、運転中、友に何か頭使うお題を出して欲しいとリクエスト。

結果、なぞなぞ大会が始まりました。

大自然の中のなぞなぞ大会

Q. 太郎くんと花子さんは同じ小学校に通っています。遠足、運動会、音楽会ともに同じご飯でした。さて、それは何?

同じご飯?
小学校だしな、と思い給食と答えるも違う。
もっとダジャレ系だと。

ダジャレ。
遠足、運動会、音楽会。これらの共通点はなんだ?どれもアクティビティだけど、小学校のイベントであることくらいしか思いつかん。
太郎と花子の名前にも何か意味があるんか?

と、とにかく私はお題に出てきた言葉の意味を掘り起こしながら思考を巡らせてました。
友はヒントとして、イベントの名前はあんま関係なくて、3日間同じってことに注目しろと。

3回同じ?
3日間同じ。
3日一緒?

本当に頭の中は真冬の北海道くらい真っ白。
何も浮かんでこない。
微塵も閃く気がしない。
3日は3日、これ以上広げることも掘り下げることもできない。
3日間同じ。だからなんだ???

私は、第一問目からお手上げでした。


答えは、「サンドイッチ」。

3度一致。(なるほど・・)

いや、めっちゃシンプル。
シンプルというか、本当にただのダジャレ。
少し悔しくもあったんですけど、それよりも、
自分の思考プロセスだと絶対にこの答えには辿りつかなかったなとも思って少し衝撃を受けたりもしたのです。

単一的すぎた謎解き視点

そもそも、なぞなぞの攻略法はとにかくワードを言い換えて、語呂の一致を見つけること。
そう、つまりは語呂を意識すること。

でも私は、言葉の意味の方に意識が向きすぎていました。

それに気づいたので、今度はもっと単純に言葉の語呂に意識を向けるように意識するものの...

Q. ある虫のお母さんは、自然体で飾らないです。さてそれはどんな虫?

とにかく言い換え!
自然体、そのまま、ありのまま。
てかお母さん?
子供とお母さんの姿は違うんかな?一緒かな?
お母さんが自然体?ってつまりどういう状態?

また行き詰まる。

友の助け舟。もっとシンプルに!自然体を言い換えるとどうなる?

そのまま、ありのまま、、、

...蟻のまま〜!!


やっぱショックでした。
お母さんというワードが完全にスルーされてることも気になるけど、どう頑張っても語呂の側面から考えるのが難しい...と思ってしまったのです。

自分の思考の癖として、
「それはつまりどういうことか」
「それは何を意味しているのか」
というように、やはりどうしても意味に思考が向いてしまっていたのです。

完全にSo What?思考であり、意味に取り憑かれている自分の視点の単一性に落胆し嫌気がどっと押し寄せてきました。

そう、私は本当に、物事の一側面から見た視点でしか物事を考えられてないということに気づいたのです。

物事を多面的に見るとは

物事にはいろんな側面があります。
言葉を例にすると、言葉には、
①音
②形式
③意味
の3つの側面があります。

形式というのは、話し言葉であれば音+文法、書き言葉であれば文字+文法、みたいな、どんな形式で表現されるか、というものです。

今回のなぞなぞの例だと、言葉の持つ側面のうち、私はことごとく③意味の側面にしか意識が向いてなかった。
だから、音とか形式の側面に全くと言っていいほど意識が向かなかった。

私はいつしか、物事の辻褄や構造、因果関係などの物事の意味的側面でしか考えられなくなってしまってたことに気づいたのです。

頭を柔らかくして柔軟に考えるというのは、物事を知覚する段階から、いろんな側面から捉えることなのだと、気付かされたのです。
本当に、大事なことに気づけたいいきっかけでした。


大人になったみなさん、ぜひ、なぞなぞをやってみては!

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