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これから、休職を機に考えたことをつらつらと綴っていきます | 自省録#0
はじめに
こんばんは。
春ですね。春の風はいろんな花の香りがブレンドされていて、とても心地よい。
忌々しい粉末が人間を襲う季節でもありますけど。
さて、いきなり団子のごとく唐突ですが、
これから、休職を機に考えたことをどしどしと綴っていこうと思います。マルクス・アウレリウスの如く、自省録です。
去年からなんだかんだ記事を書きつつ温存してたんですが、やっと世に出します。
一時的に人生をお休みした人間のお話です。
このnoteの目的
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74397691/picture_pc_2f835cc5a656050ea6dfd404018230d3.png?width=800)
昨年約半年間ほど、心の不調で休職していました。
これをきっかけに、生き方を根本的に見直しまして。
そこで拾い集めた気づき・学びたちを共有したいっていう、ただそれだけです。
きっと誰かしらには有益な情報があると思うのです。ないかもしれないけど。
人生が五里霧中になり、
生きる意味すら見出せなかった時もあり、
考え方なんて本当に変えられんの?とか、自分を好きになることなんて本当にできんの?とか、
生きることを肯定することが果てしなく無理ゲーに感じる時もあり。
けど、紆余曲折しまくった結果、人間が生きるためのいろんな大事なことを体得したんです。
たとえば。
幸せには、ちゃんと自然法則があるってこととか。法則というか自然原理が。
世の中、"○○の法則"が溢れてて、なんなんそれ、って昔は思ってたんですけど。
生きづらさや苦しみにも、同様に自然原理があるんだなと思いまして。
他にも、内から変えるとはどういうことかってこととか。表面的な部分じゃなく、骨の髄から変えるためには何が必要だったのか、ってところです。
この辺も含め、自分が体得した、
"生きる上で大切なこと(私調べ)"
を書いていこうと思います。
みんなの心の中に埋もれてるモヤットボールが、
何かしらの葛藤が、
少しでも小さくなったらいいなと。思ったり。
これから書こうと思っている内容
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74397710/picture_pc_80d5675b1a5f477ddb0423c926c6c576.png?width=800)
ざっと、下記のことを書いていく予定です。
● 自分を愛することが全ての始まり
・自己の存在そのものを尊重せよ
・受容と許しは愛の種
・認知・思考を変えていく
・無意識領域も塗り替えられる
● 社会で生きていくために
・情動コントロールで自分も他人も守る
・自分を愛さないと利他には限界が来る
生きる道を見直しまくってたどり着いたものたちです。
あくまでも、個人的な考えです。あくまでも。
ただ時々、根拠のないパッションと感覚で押し通す時もあるかもしれません。まあそんな時は、この世界をまだ四半世紀しか生きていないぺーぺーってことで、許してください。
ちなみに自尊については、もう本当に凄まじく激烈に震えるほど大事って思って。なので、いつ書き終わるのかは、よくわかりません。
レンゲが突き刺さるラーメンの汁くらい濃い内容になると思います。
みなさんの貴重なお時間をいただきます。いずれ。
さいごに1つだけ
つらつらと長尺でお送りしてますが、
あと1分、みなさんのお時間を勝手にもらいますね。
この文章を読んでくださっている優しい方々へ、1つだけ、どうしても伝えたいことが。
それは、
どうか心の声に蓋をしないで。
ってことです。
心の声は、
ありのままの自分を映し出す鏡でもあり、
無限の原動力でもあるからです。
痛感したんですね。
心を守ることの大切さを。
いろんな原因はあるけど、よくよく考えると、
いつからか私は心の声をねじ伏せるようになってて、自分の心の声が分かんなくなってて。
だから今回心が出してたアラートを聞き取れなくて。結果、心をぶち壊した訳で。
心を蔑ろにすると、なんかもう良くないんです。
自論を少し語ります。
くどいですけどとにかく聞いてください。
心の声は、他でもない自分の内から生まれます。
なんか好きとか、なんか嫌いとか。
こうしたいとか、こうありたいとか。
理屈とかよくわかんないけど、なんとなくそう思うってやつです。
これって、自分の心が動くからそう思うわけで。
その心の声って理屈とかじゃなく、真の自分が発している声であって。なんか唯一無二な感じしませんか!!!!
心は、いつも自分に道を教えてくれてると思うのです。自分が本当に求めているものことへの道を。
つまりは、自分が真に追求するものへと突き動かす起爆剤でもあり舵取りでもあり。自分で舵切って進むルンバみたいなもんですかね。
でも人は他の生き物と違って、理性があります。
理性は心の声をいくらでも言いくるめることができる。
しんどいって心は言ってる気がするけど、やらないといけないから頑張らなきゃ、とか。
本当はこう感じてんだけど、変に思われたくないから言わないでおこう、とか。
みんながこの社会で本能のまま生きれば無法地帯。秩序とか道理を守るために、理性はウルトラスーパー大事。
それにみんながみんなの心のままに生きれたとしても、教育がしっかりしてないとカオスになることも想像はつく。
だけど!これは悲しいことだって感じてるのは、
何かしらの型に自分をはめ込み、
自分の純粋な想いに蓋をすることだと思うのです。
周りの人を守るために、自分自身を守るために、蓋をせざるを得ない状況だったのかもしれないし。
目の前のことに一生懸命で、心の声を聞いてる暇がなかったのかもしれないし、
そんな中で、今まで頑張ってきた人たちは、本当に逞しいです。
でも、心に蓋をすることはやっぱり悲しいことです。そう思う理由は2つ!
1つ、心に蓋をするってのは、偽りの仮面を被せることだから。
心はありのままの自分なはず。それに蓋をするってことは、つまり本当の自分じゃなくなる。
自分を偽って、他人と関わって。自分を見失うだけな気がしてたまらない。
人ってどこか、レプリカよりもオーセンティックなものに惹かれる生き物なのではと思ってて。急に横文字を多用するコンサルかよっていう文になってますけど。
どれだけ精巧に美しく作られた偽物よりも、いびつでも本物の方がなんか良いって思うのは私だけでしょうか。
まあ結局、心に蓋をすることは、自分で自分の首を絞めることだって思うんですね。
2つ目、心に蓋をすると、自分にとって大切なものが分からなくなるから。
心は自分の人生の舵を切る司令塔。なのにその司令塔を閉じ込めてる。進むべき方向が分からなくなる。舵取りおらんけどとりあえず進んでみるか!って進んだけど気づいた時には大海原の真ん中にぽつり、とか、氷山の一角に激突して沈没、とか。
つまるところ、人は心と共に生きるべきだと私は思うのです。もちろん、理性とのコラボレーションではあるけど。
自分の想いを閉じ込め、そのままどぶに捨ててしまうなんて、そんな悲しいことはないです。
愛も優しさも心から生まれます。
美しいものはいつも心から生まれます。
本当に大切なことは、いつも心の中にあると思う。
そんな心の声は、無限のエネルギーです。
だからみんなにも、心を大切にしてほしい、と想うのです。
とはいえ一度心に蓋をすると、蓋を開けることがまあ難しんですよね。ミスチルも、最近ストレッチ怠ってたからか、うまく開けんのよ心が、って言ってるように。
だから少しずつ、スモールステップで。
いきなり蓋を開けるんじゃなくて、まずは蓋開けるためのストレッチからですね。
あなたの心が動く瞬間はいつですか。
まとめ
非常に抽象的な話をつらつらとスミマセン。
次回以降からみりみりと具体的な話を書いていこうと思うので。
そんなこんなで今回は話を盛り込みすぎたので、
今後は少しずつ、更新していきます。
というわけで今回はこの辺で。
ここまで読んで下さって、感謝です。ありがとうございました!ではでは!
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