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大切な人の死に直面してから何を考えたか


表題の通り、ゆるっと読めるトピックではないので、読んでくれる方は、自分が元気であることを確認した上で読んでいただけると良いかと思います!ここ最近考えて考えた内容をどうしても文章に残しておきたくて、このnoteを書きました。想像以上に長いのでブドウ糖とともに読んでもらえたら。

いきなり本題に入りますが、このnoteは”死”という題材を元に書いています。四苦の一つである死。人の死という壮絶で悲痛な体験です。それは、これから生きていく中で幾度も立ち向かわなければならないものです。
ここ最近の体験をもとに記しました。

はじめに


個人的な話ではありますが、年が明けてすぐおばあちゃんが病気で亡くなり、その後を追うかのように、4月末おじいちゃんが亡くなりました。

あの場所に帰っても、「ただいま」は空虚に響くだけ。

一人東京に戻ってからというのも、現実に打ちのめされたのと、今後訪れる家族や友達の大切な命との別れを連想し、悲しくて苦しくてどうしようもなくて、立ち直れなくなったことがありました。

しばらく私は、薄暗い空間の奥底でひたすら熟考していたのですが、そこには数えきれないほどの学びが転がっていて。
その学びをたくさん拾い集めたので、どうか共有したくてこのNoteを綴っている次第です。

1)押し寄せる負の感情は、自分と真正面から向き合う絶好のチャンスだった


日中なのに夜みたいに暗くて、
雨が横殴りに降っていて、空が泣いていて。
強風で体が持っていかれそうになる。
急に目の前に濁流が押し寄せて私を渦巻き飲み込み、暗闇へと落ちていく。
何もない、ただ真っ暗な空間に横たわってる。

命が消えていくことを体感すると、感情によって人はこんな空間に閉じ込められるのかと。

そんな思考ばかりが頭を支配していました。
心がぽっかり空いたというよりも、心が巨大な隕石に追突されて粉々に砕け散ったという感覚の方が近い。
心は目に見えないけど、確実に脳みそや体までも蝕んでいる感覚でした。

なんと脆弱な。もうちょっとケロッと復活出来ないのかと。

自分は一体何に蝕まれてんのかと。

これを悶々と考えている中で、やっと自分の中で腑に落ちる答えに辿りついたんです。少し個人的な話が挟まりますが、軽くお付き合いください。

腑に落としたきっかけは、敏感性という自分の気質を初めて認識したことでした。

昔から、なぜかすぐ疲れる&一人何もせずひたすら休む時間が必要な自分に疑問を感じていて。些細な事象ですぐ心がぽきぽき折れる自分を、”弱さ”とか”内気”とかいう否定的なニュアンスで捉えていました。
悲観的な解釈だったゆえに、それを変えられない自分も責めてたりもして。

なぜか心模様が曇りやすかったのは、ただ自分の弱さゆえだ。"トラウマ”という概念が消えないのは、ただ傷つくのが怖くて逃げ道を確保しているだけだ。みたいに。
これがかつての自分にとって一番筋の通る答えでした。

自分としては、このような気質を今までは欠陥とみなし、克服すべき点だと思っていました。だから、すぐ殻にこもっちゃう自分を変えようと、決死の覚悟で世界一周に出たりもしました。突拍子もないアイディアだけど。あえて厳しい環境に身を置く作戦です。

でも世界一周に出ても、どうしても内にこもる時間が必要なところは変わってなくて。
"また変わらない、いつになったら変わるのか!!"とまた自分の首を絞めて。

結局、努力不足、と結論付けることしか出来ませんでした。

ただ、結論付けたはいいが、シンプルになんで自分はこんなに傷つきやすいんだ?と。
金魚すくいのポイのごとく脆すぎないかと。
普通に不思議でもあり。

そんな中、今回の感情の激動を通して、たどり着いた点が、”遺伝子的に”という観点でした。
この考えが頭になかったわけではなかったけど、どうも弱さを遺伝子のせいにして、結局逃げ道に変わらない、と今まで思っていたわけです。(頑固)

そんな思考&情報の中でふとHSPというワードに遭遇し、HSPという概念を提唱する心理学者アーロン博士の書籍を読んでみました。
そこで自分は、高敏感性な気質を持つ人間なのではという仮説が生まれました。

脳の扁桃体(特に危険や不安等のマイナスの情動に深くかかわる領域)の神経回路反応が生まれつき高まりやすい人がいる。身長とか体格に差があるように、この気質も単なる個体差であり、個性である。

この研究内容と今までの自分の反応を照らし合わせてみて、初めてこの気質に気づきました。
今までの呪縛を解き、重荷を壊してくれた瞬間でした。自分のことをもう責めなくていいっていう許しの瞬間でもあったと思います。

生きづらさは遺伝子から来てた説で、お疲れ自分、とやっと自分を労われた。
だから、自分のことを、”だめな自分”で片づけるしか選択肢がなかったところに、"そういう自分だ。だめなんかじゃない。"って捉える選択肢がもう一つ増えたのです。気質という観点から説明できたことで。

今回の強烈な感情体験を機に自分自身と対話したことで、初めて自分自身の首を絞めてたロープを緩められたわけです。

とここまで長々と具体例を挙げましたが、ここで私が言いたかったこととしては、強い感情は自分にいろんなことを教えてくれるんだ、ってことです。

負の感情ってしんどい→気を紛らわす
このフローも非常に大事だけど、その気晴らしは一時的な麻酔でしかなくて。その麻酔が切れたとたんまた負の感情は顔を出すから、根源的に解決はしていなくて。
時間が解決してくれることもあるけど、時にはそれが古傷となって心に居座り続けることもあるし。

このような強い情動と向き合うことには膨大なエネルギーが必要だけど、それは己と直に向き合うことと同義でした。
今向き合えて良かったって思えたのです。

2)生きるとはどういうことか


生きるとは。

祖父母が亡くなってから、生命について、すごく考えました。
命って、強い。けど驚くほどもろくて儚い。
気づかない間にどんどん風化していて、気づいた時にはぼろぼろと崩れ落ちていく。

血が流れ、心臓が動いている肉体と、命が尽きた肉体では、天と地の差ほど違う。
生命を微塵も感じられない。
まるで造られた物のような。
目の前にいるはずなのにいない。
目の前にあるのは肉体だけ。これじゃ、セミの抜け殻となんにも変わらない。
生きた証だけが残るんだ。
肉体がなくなったらその人はもういないのか。
自分という存在の”意識”がその人自身を作っているのならば、脳が機能しなくなるともうその人はいなくなってしまうのか。
命が尽きた人は、残された人の思い出の中でしか生きることができないのか。

棺の中に横たわる祖父母を目にして、そんな思考が頭を渦巻いていました。

それから、生きることについてひたすら考えていたけど、
人の死というこんなに苦しくて悲しくて耐え難い心の痛みを今後もたくさん受け止めないといけないのか。
そう思うと、生きる喜びとか幸福よりも、苦しみの方が比重が大きいのではないかと思ってしまったんです。

もし仮に、一生の中でのプラスの感情とマイナスの感情の比重を天秤にかけた時、後者の方に傾いてしまうのであれば、
生きる喜び<苦しみ
になる。

単純に、苦しみの方が重いのならいっそのこと”生きる”ということを放棄した方が論理的に良いのでは。楽なのでは?
でも人の死は誰かにとって計り知れないほど残酷なもの。そんなことは到底出来ない。
あーもうお手上げだ!

みたいな感じで、うおお生きづらい!!っていう感覚が私の中から離れませんでした。

(1)で、自分の気質が遺伝子的なものだって知ってから、こういう強い情動反応も気質によるものかもって思うと、とても居た堪れなかった。最初は。でも、時間というヒーリングのおかげか、だんだんとこの気質が賜物でもあるんだって事実に気づき始めて。

いわゆる、gifted。
人が持って生まれるものにそもそも良し悪しの物差しはない。人間たちが、社会が勝手に評価してるだけ。本当は全てが尊いはずなんだ。
このことに、今更気づいたんです。

人は突如この世に”生”を授かります。いろんなものを携えて。
外交性/内向性、
身長の高さ/低さ、
目が見える/見えない。
などなど。
それぞれ持って生まれたものは全て同じ価値があって、"生"を授かることそのものにもみな同じ価値があって。

それぞれの個性というだけであって、そこに良し悪しの判断は介入するものじゃない。
でも現実問題、偏見や差別なんて山ほどある。
人には人の、世界を見るフィルターが作られる。でもそのフィルターは歪みやすい。けどそもそもフィルターが存在してることさえ知らずに、自分の見てる世界が正しいんだって思えてしまう。

生きづらさのない世界がもし仮に実現できるとしたら、一人一人のフィルターを変えていくしかないのかな、と思ったり。
社会からはじかれ生きづらさを感じる人々がいるのは社会が限定的だからで、だからこそ社会を変えていかないといけないんだなって思ったり。

自分自身の主観は、知らぬ間に誰かを傷つけているかもしれないし、知らぬ間に誰かを陥れているかもしれない。

誰しもが与えられた賜物である”生”を、どうか汚さずに大切に抱えて生きていきたいと思ったんです。

3)愛とはなんなのか


特におじいちゃんは突如の悲劇であり、おばあちゃんの時のように気持ちを伝えることができないまま、葬儀の場での再会でした。
私はこの世を後にした2人に、どれだけの愛を伝えられていただろうかと。
もっとできることがあったんじゃないだろうかと。

最初は後悔の念しかなくて、過去のことをああだこうだ悔やんで地団駄を踏んでたんだけど。
でも、結局どれだけ愛を伝えていたとしても、
できることをたくさんしたとしても、
愛にそもそも終着点なんかないかもしれないとも思い。

これをすれば愛だ!って言えるほど単純なものでもないし。
結局これだけ与えれば十分なんて境界線はないし、その人ともう永遠に会うことが叶わなくなったとしても、愛はなくなることはないし。

後悔しないくらいに愛を与えることは大事だなとは思ったけど。

愛は慈悲に溢れ、尽きることがない!
そう思ったんです。25年しか生きてないやつが何を言っとるだって自分でも思うけど、そう思ったんです。

そうは言っても、今までを振り返り、そもそも自分はちゃんと愛を受け取れていたんだろうかと。もしかしたら見逃していた愛がたくさんあったんじゃないかと。気づいてしまいました。

愛は与えることでもあり、与えられた愛を受け取ることでもあると、思ったんです。

こんなことを誰かの死をもってしか知ることができないなんて、情けない話だけど。やっと気づきました。きっともっと自分自身を愛せていたら早く気づけたことなのかもしれません。

命はいつ終わりが来るかわかりません。
明日かもしれないし、想像以上に先かもしれないし。
不運な事故の犠牲者になるかもしれないし。

そう思うと、愛を伝えることなんて、いつでもいいですね。

ふと伝えたくなった時に愛を伝えること。
言葉にすること。行動すること。
そして、大切な人からの愛そのものを心で受け止めること。

これを胸に刻んで生きていきたい!
ものすごく大切なことを気づかせてくれました。

終わりに

鈍行列車みたいな、陳腐な言葉の羅列をここまで読んでくれた方本当にありがとうございました。
ミジンコ並みに小さくても、何か得られるもの、感じるものがあればとてもうれしいです。
今後は要約する力を身に着けます。

みんなが愛の溢れた日々を送れますように!

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