またたび日記7「猫としねたら」
僕が死ぬとき、傍らには猫がいて欲しい。
衰弱し、朦朧とした意識の中で猫のぬくもりだけを確かに感じて消えていきたい。
猫たちよ、君たちは知らないだろうけど、ただいるだけで人を幸せにする力を君たちは持っているんだ。君たちにその気がなくてもね。
ああ、最期の時を君たちといれたらなあ。
猫としねたら、僕はどんなに幸せなんだろう。
*
「ねえ、旅猫リポートって知ってる?」
車内には冷房の音とFMラジオが流れていて、母のその質問は最初よく聞こえなかった。
「え? 何?」
僕が聞き返すと母はもう一度「旅猫リポート」と繰り返した。今度ははっきり聞こえた。しかし、その言葉が意味するものを僕は知らなかった。
「ごめん、知らない」と僕は言った。「何それ? 小説?」
母はその後僕が1質問したのに対し、10くらいで返してきたが、あいにく僕は車酔いで頭がぼんやりしており、その言葉の大半は聞き流してしまった。
それでも唯一理解出来たのはそれが有川浩原作の映画であること、主人公が猫と旅をするお話であること、そして彼が最期には死んでしまうということだった。
猫と旅する男、そしてその死。
僕にはそれがとても魅力的な事柄のように思えた。
*
祖母の家に着いた時車酔いでかなりグロッキーな状態だった。だが、玄関で迎えてくれた祖母と二匹の猫を目にしていくらか気分もよくなったような気がした。気休めかもしれないが少なくとも祖母と猫が元気な姿を見せてくれたことは車酔いで張りつめていた心を幾分か和らげてくれた。
祖母の家には経過観察に訪れた。数日前まで祖母の家の飼い猫もち、だいふくが体調を崩していたのだが、妹と僕の涙ぐましい介抱の結果、めでたいことに完治と相成った。だが油断は禁物だと念をいれ、今回は僕と母が二匹の回復具合の視察に向かったのだ。
見たところ、もちも、だいふくも極めて健康なようだった。もちに至っては実家にいた時よりもいくらか太っているように感じた。あばらが出ているようなやせ猫だったので撫でた時やわらかい手触りを感じて嬉しくなった。
*
祖母と猫たちに挨拶(祖母にはハグ、猫には愛撫)を済ますと僕は畳の上に横になった。
元気な猫たちの顔を見て安心したのか、車酔いの疲れがどっと押し寄せてきたのだ。横になり目を瞑ったまま畳の匂いを嗅いでいると、涼しい風がどこからか吹いてきて僕はあっという間に睡魔に襲われた。もち、だいふくどちらだろう。猫が一匹僕の顔のすぐそばに腰を下ろしたのが分かった。それだけでなんだかすごく癒される気がした。
すると僕は唐突に「旅猫リポート」のことを思い出した。
そして猫と旅する男、そしてその死について僕は思いを巡らせた。
*
猫と旅する、それはどんな気分なのだろう。
猫は基本的に旅が嫌いだ。車に乗るとこの世の終わりみたいに鳴き出すし、車酔いも僕と同じくらいひどい。だからきっと「旅猫リポート」に出てくる猫は穏やかな猫なのだろう。車の揺れや走行音なんかでは決して動じない堂々とした猫。そいつはきっと口数が少なくて、でも撫でてやると喉を鳴らして喜んでくれる。その時々の感情表現がこちらの心を癒してくれる(言っておくが僕は旅猫リポートは未読だ。だから、この猫像は百パーセント僕の願望である)。
そんな猫と旅できたら素敵だろうなと思う。
恋人と一緒に旅をする、それとはきっと違う良さがある。
言葉でもって愛を囁く必要も駆け引きをする必要もなく、ただ傍らにいてくれる喜びを感じ、撫でた時触れた掌からぬくもりを感じていればいいから全然わずらわしさがないのだ。もちろん人間の恋人と言葉を交わし合うのも素晴らしいことだけれど、「相手がそこにいてくれること」それを味わうのも、とても素敵なことだと思う。
*
「旅猫リポート」の主人公が猫よりも先に亡くなってしまったと聞いた時、彼は猫の目の前でこと切れたのか気になった。もし猫に看取られて逝ったのだとしたら、それはとても幸せなことだろうなと思う。
僕が死ぬとき、傍らには猫がいて欲しい。
衰弱し、朦朧とした意識の中で猫のぬくもりだけを確かに感じて消えていきたい。
猫たちはきっと知らないだろうが、彼らはただいるだけで人を幸せにする力を持っている。もちろん猫たちには幸せにしようなんて気はないないだろう。でもそれがいい。その衒いがないのが何より清い感じがしていい。
最期を猫といられたら、猫としねたら僕はどんなに幸せだろう。
*
いささかグロテスクな話になってしまうけれど僕は死後、自分の体を猫たちに食べてもらいたいと考えている。昔、聴いた話によるとある男性が家で亡くなった時、その家で飼っていた猫たちがその体のほぼすべてを食べてくれたのだという。それは空腹ゆえの行動、あるいは元気のなくなった飼い主を起こそうと噛んだときその血の味を知ってしまったゆえの食人、二つの説があるらしいが僕にとってはどちらでもいい。飼い主であっても空腹になれば食らう姿には清々しささえ感じるし、偶然であれ、口にしてしまって止まらなくなったということは美味かったということだ。それはとてもありがたい。
逆に火葬は嫌いだ。
今まで何十年も働いてきた体があっさりと燃えて灰になってしまうのは虚しいし、それなら体は土に埋めるか、いっそ空腹の動物の前に差し出してもらって食事となり、栄養となる方がよっぽど生産的だ。それに今まで散々いろんな生き物を食い殺してきたのに自分は食われないなんてフェアじゃない。
今まで食い続けてきた僕らは、最期には同じように食われないといけない。
*
目を覚ますと、僕の顔の両横に猫の顔があった。もちと、だいふくが静かな寝息を立てて眠っている。
体を起こす。車酔いによる不調はすっかり良くなっていて、心臓に手を当てると力強く動いているのが分かった。
――僕はまだまだ死にそうにないよ――
だが、いつか死ぬ。その時、猫の傍らにいるために今死ぬわけにはいかない。
そしていつかこの身を食らってもらえるように今は懸命に生きるしかない。
涼しい風がまた吹いてきて、猫たちのひげを揺らした。
猫たちは大口を開けてあくびをしたが、またすぐに眠りこけてしまった。
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