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【展覧会】シシューセフの建築散歩

1873年10月8日に、建築家のシシューセフが生まれました。
1873年生まれということは、作曲家のラフマニノフやオペラ歌手のシャリャーピンと同い年ということになります。
そして、2023年の今年は、生誕150周年です。

モスクワ市内には、シシューセフの建築がたくさん残っています。すべての建築をとれていませんが、シシューセフの建築の写真を撮ってきたので、それを紹介します。1つだけ、サンクト・ペテルブルクにあるものも紹介しています。


教会

以前、次のような記事を書きました。

この時は、シシューセフの建築とは知りませんでした。
あいにくの雨だったので、快晴の日にもう一度写真を撮りに行きました。
1909年から1912年にかけて造られた教会です。

地図

クインジのお墓

1913~14年にかけて造られたクインジのお墓です。お墓は、モスクワではなく、サンクト・ペテルブルクにあります。

この記事を書いていて、クインジのお墓をシシューセフが造ったことを知りました。
クインジと言えば、私の好きな画家です。

シシューセフとクインジの接点があるのかどうかを調べていたら、トレチャコフ美術館の雑誌の記事を見つけました。

お墓の設計図も載っていて、なかなか興味深い記事でした。

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カザン駅

1930年代から1940年代にかけて造られたカザン駅です。
左には、クレムリンのクタフィヤ塔と同じようなものがあります。

トラムの電線が邪魔しています。

クレムリンのクタフィヤ塔を真似した部分です。

カザン駅の前には、シシューセフの胸像もあります。

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鉄道労働者のための中央文化会館

カザン駅の近くにある鉄道労働者のための中央文化会館です。1927年に建てられました。

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モスクワ芸術劇場の芸術家たちの住居

1928年に建設されたモスクワ芸術劇場の芸術家のための住居です。

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農民人民委員会の建物

1933年に完成した農民人民委員会の建物です。

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レーニン廟

1929年から1930年に建てられたレーニン廟です。

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軍事輸送アカデミー

1930年から1934年に建設された軍事輸送アカデミーです。

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ロストフ堤防の家

1938年に建てられたロストフの堤防の家です。

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大モスクヴォレンスキー橋

1938年に完成した大モスクヴォレンスキー橋です。

橋だけを撮った写真がありませんでした。

しかも、曇り空です。

快晴ですが、クレムリンも写っています。

改めて晴天の日に写真を撮りに行きました。

地図

トレチャコフ美術館

1926年にシシューセフは、トレチャコフ美術館の館長になりました。その後、作品が増え、美術館の中央部分の新しい建物の設計をしました。実際に見に行きましたが、シシューセフが設計した部分は分かりませんでした。
今後、はっきり分かったら、その時に追加します。

スモレンスカヤ堤防の住宅

1937年から1939年に建てられたスモレンスカヤ堤防の住宅です。

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ソ連科学アカデミーの住居棟

1939年に完成したソ連科学アカデミーの住居棟です。

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ルビャンカの国家安全保障施設(旧KGB)

完全に完成したのは、シシューセフの死後で、1980年代になってからでした。

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コムサモリスカヤ駅(5号線・茶色の地下鉄・環状線)

1945年から1951年にかけて建設された地下鉄のコムサモリスカヤ駅です。

シシューセフは、1949年に亡くなっていて、駅のオープンは1952年なので、完成した姿を見ていません。

かつての切符売り場です。

ホームです。モスクワ地下鉄のホームの中で一番豪華だと思います。

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シシューセフが住んだ家

1912年から1946年までこの家に住みました。

地図

まとめ

以上がモスクワ市内(1つだけサンクト・ペテルブルク)にあるシシューセフの建築です。
モスクワのレーニンスキー・プロスペクトにいくつかアカデミーの建物があり、その建物もシシューセフの建築ですが、その写真を撮っていません。

今回、建設された年順に並べたので、散歩をするときはこの順番でない方がいいです。
「Узнай Москву」という次のページを知り、シシューセフのことを知り、歩きました。


【10月8日の過去記事】


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