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【展覧会】ソルジェニーツィンの家博物館

8月3日は、ソルジェニーツィンの命日なので、

ソルジェニーツィンの家博物館について書きます。

以前、たびこふれにもソルジェニーツィンの家博物館のことを書いています。


博物館のある建物の壁には、プレートがあります。

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1970年から74年と、1994年から2002年にソルジェニーツィンが住んでいたというプレートです。

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博物化の入り口は、バレエ用品のお店のグリシコの向かいにあります。

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これが、入り口です。

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博物館の看板もあります。

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階段をのぼって、173番のドアが入り口です。

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博物館の中は、自由に見ることができず、ツアーが始まる時間が決まっています。

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予定より早くついてしまったので、ビデオを見て待ちました。

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ノーベル賞の授賞式のビデオが流れていました。

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時間になったので、ツアーが始まりました。先ほどのぼってきた階段とは別の階段をおります。

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踊り場の所で中庭が見えましたが、博物館の人がいうには、ソルジェニーツィンは、ここを散歩しながら、作品を考えていたようです。

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まず、台所から案内が始まりました。

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壁には、ソルジェニーツィンを助けてくれた人の写真が展示されています。

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これは、ソルジェニーツィンを助けた人の一人である、チェリストのロストロポーヴィチがプレゼントしたラジオです。

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ソルジェニーツィンと奥さんのナターリヤさんです。

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児童文学作家のチュコフスキーのお孫さんのエレーナさんもソルジェニーツィンを助けた人の1人です。

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こちらは、リディヤ・チュコフスカヤさんです。先ほどのエレーナさんの母親で、児童文学作家のチュコフスキーさんの娘さんです。

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少し話がそれますが、児童文学作家のチュコフスキーさんも別荘でソルジェニーツィンをかくまっていました。
たびこふれの記事にも書いています。

それから、チェリストのロストロポーヴィチとその奥さんでオペラ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤさんもソルジェニーツィンを助けた人です。助けたことによって、この2人もソビエトでの生活が苦しくなり、亡命しました。後に、市民権を復活させて戻ってきました。

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数学者のシャファレーヴィチもソルジェニーツィンに協力しました。

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次の部屋は、強制収容所に収容されたときの服の展示があります。

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夏も冬もこの服だったようです。

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タイプライターの展示もあります。

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ノーベル賞を受賞した食事会に招待する予定だった人のリストの展示もあります。残念ながら、食事会をすることはできませんでした。

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その時に使う予定だった食器も展示されています。

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家族の写真です。

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映写機の展示もあります。

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原稿です。

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これは、亡命中のアメリカの家の窓の再現です。

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児童文学作家のチュコフスキーさんのお孫さんのエレーナさん。

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これは、たしかアメリカからロシアへ帰国するときの写真だったと思います。

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ソルジェニーツィンの作品は、世界のいろんな言語に訳されていて、もちろん日本語の本もあります。

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ツアーが終わって、出たドアは、169番でした。

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荷物やコートは、始めの入り口の部屋に置きっぱなしなので、もう一度階段をのぼって戻りました。

ちょっとした書籍などが置いてある売店があります。

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【8月3日の過去記事】



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