VTuber沼にハマってみた話
1.私のYouTube動画史
私は、中学時代からYouTube動画に没頭してきた。テスト期間中にMEGWINやSmoshの動画を観まくっていた。当時は、Youtubeは素人版ジャッカスといった印象が強く、通俗でアングラな存在として認識されてきたが、HIKAKINやはじめしゃちょーの台頭により、段々と社会的地位を獲得し、YouTuberがバラエティ番組に出演するようになった。
個人的にはこれは嬉しい出来事であった一方、映画にハマるようになると勿体無い画作りが気になるようになってきた。狭い部屋を平面的に捉え、膨大な文字テロップで画を汚していく。バラエティ番組の複製、またはさらに劣化した画を垂れ流しており、企画こそユニークだったりするだけに、この画の汚さは悩みの種だった。当然ながら、そのような画作りを平然とやってのけてしまうため、誤って映画を作ろうものならそれは凄惨な結果を招いてしまう。
2015年にSmoshは『ビルとテッドの大冒険』のビル・プレストン役で知られるアレックス・ウィンターと『スモッシュ・ザ・ムービー』を制作した。しかし、本作は観るに耐えかねぬ画と寒くてどうしようもない点のギャグで汚染された映画となってしまった。実写版ポケモン動画の勢いはなく、映画の顔をしていない冗長退屈な動画であった。
■理想のYouTube動画としての『David Holzman’s Diary』像
YouTuberの理想的な画作りといえば、1967年に既に確立されていたりする。ジム・マクブライドの『デイヴィッド・ホルツマンの日記(David Holzman’s Diary)』だ。本作は、若い映画監督が自分の人生を映画にしようと、部屋で自撮りする作品である。ゴダールやヒッチコックのスチル写真とフィルムに囲まれた部屋でカッコつけながら映画について語る。ゴダールの『小さな兵隊』の言葉「映画とは何か?映画とは一秒間に二四コマの真実だ。」と引用し、イキりちらした会話をする。ベッドルームでは、恋人について写真を見せながら語る。この空間はどれも狭いが、絵画のように的確に壁や机といった動線で立体的に空間を捉えている。Vlogスタイルの本作は、半世紀経った世界で、カメラがさらに小型化し、誰でも自己表現を発信できるようになった時代の到来を予見したように見えたが、画作りに関しては無視される結果となってしまった。
■最も映画的YouTubeチャンネル「ガーリィレコードチャンネル」
おそらく、このような通俗で猥雑な動画ゆえか、映画やドラマ、アニメとYouTube動画は対等に並べて語られることは少ない。映画研究者の中でYouTube動画を映画の観点から分析する人を全く見かけない。しかしYouTube動画と映画両方を愛する私にとって、その断絶はよくないと最近考えるようになった。2022年はYouTube動画の研究をしようと活動を始め、2月に『今熱い!「ガーリィレコードチャンネル」“3つ”の注目ポイント』を寄稿した。お笑い芸人であるガーリィレコードがアップする動画は、常に映画を意識した画作りとなっており、文字テロップに頼らず、長回しで決定的瞬間を撮り続けている。狭い部屋であっても、立体的構図を意識しており、歌ネタで使用される構図は、ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」を彷彿とさせる奥行きを感じさせた。。また、コメディにおいて重要なのは真面目さだと、徹底してモノマネの対象に歩み寄り、本人のオーラを消し去る職人業に感動を覚えた。これが理想的なYouTube動画だと思ったのである。
2.VTuberとの遭遇
■アンディ・ウォーホルの再来!?物述有栖ASMR動画との出会い
さて、YouTube動画を研究する中で、衝撃的な作品と出会った。
『【ASMR/DummyHead】睡眠導入眠れる心音長時間耐久ASMR💕heartbeats binaural【物述有栖】【にじさんじ】』である。
本作は、にじさんじ所属のVTuberである物述有栖が発表した作品。「不思議の国のアリス」をモチーフにしたライバーである物述有栖が5時間にも渡り、寝ている自分の心音を聞かせていく内容だ。これが10万回も再生されていると知り大変驚かされた。確かにYouTube動画は運とアイデア次第で意外な作品がたくさん再生されている。以前、ホクロに生えている毛を抜く動画で約2300万再生されている状況を目撃しているだけに、可愛らしい女の子の画が寝ているだけで10万回再生に達するのもあり得る話だとは思ったが、それでも強烈な未知との遭遇であった。
アンディ・ウォーホルは1964年に寝ているジョン・ジョルノの姿を5時間に渡り投影した『スリープ』を発表している。映画におけるアクションから引き剥がすことで映像メディアの可能性を模索した本作は、幾つかのフィルムをループさせる編集を行なっている。一方で、物述有栖のASMR動画はシームレスに横になる彼女の姿が捉えられている。それぞれの動画の反応は興味深いものとなっている。ASMR動画のコメント欄を見ると、熱狂的支持に包まれている。一方で、Filmarksにおける『スリープ』の感想は動揺に包まれていた。その反応の違いに、自分は未来を観てしまったような気になった。アンディ・ウォーホルも半世紀後の世界では『スリープ』が実験ではなく、一般的な行為として扱われる時代が来るとは思ってもいなかったであろう。
映画における視覚的快感を奪い、映像表現の新しい次元を模索する動きはギー・ドゥボールの『サドのための絶叫』やデレク・ジャーマンの『BLUE ブルー』かつて試みていたことである。また、クロード・ランズマンがホロコーストをスペクタクルとして消費する映画の罪に向き合いインタビューだけで凄惨さをアーカイブしようとした『SHOAH』や『ソビブル、1943年10月14日午後4時』もある。映像と音の乖離の可能性を半世紀以上かけて模索していた映画の世界。それに対して、簡単にそれをものとし、新しい表現を見出すVTuberの世界に困惑と驚愕、そして感動を覚えたのであった。
確かに、ITが発達し情報過多となった時代においてスローライフへの渇望があるのは確かだ。ノルウェーでは、船や列車がただひたすら移動する映像が流行ったり、Netflixでは暖炉を映しただけの作品が配信されている。でも、これはなんだ?
このような実験的作品が支持される世界線が存在することへの興奮、そしてまだまだ面白い映像表現やそれを取り巻く文化があるのではないか?『ワイルド・スタイル』公開時に、廃墟となったサウス・ブロンクスから未知なる文化「ヒップ・ホップ」が出現する瞬間に興奮した人々と同様の気持ちで私はVTuberの世界に足を踏み入れたのであった。
次章では、ここ数ヶ月VTuberの動画を観て感じ取ったある種の傾向を分析していこうと思う。
3.VTuber動画分析
■ASMR動画について
あなたは、YouTube動画を睡眠導入剤として使ったことがあるだろうか?私は、サンドウィッチマンのコントをよく睡眠導入剤として使用していた。映像が存在するのに、映像を見ずに声のメディアを脳に注入する。このような映像と画の乖離は、ライバーが定期的に配信するASMR動画に触れると、単なる個人の性癖ではなく一般文化として根付いているようだ。
そして、試しに物述有栖の別なASMR動画『【ASMR/DummyHead】世界に1つだけのダミヘで甘々Valentine🍫whispering binaural【物述有栖】【にじさんじ】』を試してみると強烈なものを感じた。
イヤホンをして試すと、左右から彼女の吐息が聞こえる。すぐそばに、幻影の面影を感じる。やがて、本格的に会話が始まる。一方的に語りかけてくるのに、対話をしているかのようなリズムがある。リスナーを「うさぎさん」と定義し、群として盛り上げていく一方で、この空間には自分とうさぎさんしかいない、つまり、1対1の関係であることを示唆し始める。そして、突然、ライバル格として「じゃがいも」を登場させ、とうさぎさんと物述有栖との三角関係を紡ぎ出す。淀みなく、独自の世界観に引き摺り込む。まるで、クローネンバーグの世界のように、スマートフォンと現実で分断されているのにもかかわらず、虚構である存在の物述有栖が官能的に現実へ侵食していくような感覚を抱くのだ。これが新鮮であった。そして、画を見ないならラジオでもいいのではと思うのだが、目を開けるとドアップになった彼女の顔があることが重要だと気づいた。
これはASMR動画に留まった話ではない。ライバーはよく雑談配信を行う。リスナーは、会話する要領でチャットを送り、それに対してライバーが反応するスタイルだが、チャット欄を見ていなくてもまるで自分とライバーが対話しているようなリズミカルな空間が生まれていたりする。そして、その話が日常を送る中で聞けないような異様な世界観での話だったりする。
文野環を例にしよう。野良猫という設定で配信しているこのライバーは、インドの音楽を流しながら、断食を行なったり、宇宙食を買った話をしている。話をじっくり聞いていると、なんと寝ている友人の父親の前で裸踊りをしたと語り始めるのだ。また、どうやら彼女の家は狭いらしく、物述有栖と宇志海いちごとすし詰めで寝たらしいのだが、それを「ぎっちぎちになって添い寝したの。みっつみつになって。」と全く聞いたこともない日本語で表現するのだ。
この手のパワーワードは、幕末志士が得意としていたが、VTuberの世界でも使い手がいたことを知った。インターネットの発達、SNSの躍進によって現実世界ではあまりにも変わっていて陰日向に追いやられてしまうであろう存在が、自分のチャンネルという聖域の中でありのままの自分を出す。そしてそれを面白いと称賛し、スーパーチャットを送る人がいる。この多様性に感銘を受けると共に、何時間もぶっ続けて面白い話を、日本語の可動域を拡張させながら紡いでいく。それをリスナーと共に生み出す会話で文化として発展させていくところに映像表現の強さを感じた。
映画やアニメの場合、多くは一方通行であり、観客は受動的にそれを体内に取り込む。VTuberの動画は、ライバーとリスナー双方向のコミュニケーションによるエンターテイメントといえ、ラジオ以上に虚構性があるため、チャンネル毎に全く異なる世界観が生まれていくことが分かる。
■VTuberの仮面について
SNSの発達によって誰しもが仮面を意識して生活するようになった。会社や学校での顔、TwitterやYouTubeでの顔を使い分けて生きている者も少なくないだろう。私も、サラリーマンとしての顔と映画の伝道師としての顔、全く異なる仮面を使い分け生きている。VTuberはそれが強固になっているといえよう。自分のアイデンティティと密着にVTuberとしての顔は結びついているが、世界観を逸脱する現実の顔は隠す。たとえ寝起きだろうと、VTuberとして振る舞う際には、瞬時に適切な仮面を被り、その世界観に即した反応をする。
その面白い例を紹介しよう。『【アポなし逆凸】にじさんじ2期生に突撃4周年インタビューチャレンジwith宇志海いちご【物述有栖】』がある。これは、物述有栖と宇志海いちごがテレフォンショッキングのように、次々とにじさんじの同期に電話をかけ、お話をする企画である。
ふたりは、剣持刀也に電話をする。彼は寝起きだ。しかし、中の人の仮面ではなく、剣持刀也の顔で話をする。突然、鍋パーティーを行う際の具材を訊かれた彼は咄嗟に、宇志海いちごがウミウシという設定であることに引っ掛けて「ウミウシって食べられるのかな?」と言う。そして、彼女は「食べないで!」と返す。この現実では起こり得ない会話を寝起きで行う瞬発力を見ると、SNS時代において現実世界と密着する形で取り付けられた仮想の仮面像が浮かび上がってくる。確かに、私も朝起きてTwitterを書き込むときはCHE BUNBUNとしての顔になり、会社の人に話しかけられたら瞬時に本名へと移ろい行く。二重人格が当たり前の世界に突入したと言えるのだ。『コングレス未来学会議』で言及される仮想世界において「自分の新しい人格を飲みこみ、それをフェロモンとして相手の心に届ける」時代がやってきたと言えよう。
一方で、現実と仮想世界を行き来する中での精神負荷は高いようにも見える。ライバーの動画を観ていると、ところどころに精神的負荷による翳りが見え隠れする。確かに、私も定期的に映画スペースを開くが、会ったことない他者に内なる自己を流すことは割と緊張するし、ハラハラドキドキする。配信が終わると、楽しくもあるがどっと疲れるのが正直なところ。これが何千人も視聴しているとなると、アイドル並にハードなものであろう。楽しくもあるが、健康面で心配になったりもする。
■切り抜き動画文化について
さて、VTuberの動画を観ていると、やたらと切り抜き動画がおすすめに挙がる。多くは転載だったりする。ニコニコ動画がYouTubeに転載されるケースは昔からあり、幕末志士はそれを批難していたりするが、どうもVTuberの動画をみていると、割と気にしていないようだ。それどころか、ネタにしていたりすることもある。また、VTuber自身が自己紹介のように切り抜き動画を配信していたりする。
2020年代はスキマ時間の奪い合いの時代とも言える。誰でも漫画、アニメ、映画へ簡単にアクセスようになった。ソーシャルゲームも頻繁に、アップデートされるようになった。人々は労働の合間の休息を、次々と現れる娯楽に費やすようになる。娯楽を作る者は熾烈な、可処分時間の奪い合いを始めた。人口が有限であるのと同様、人間の時間も有限である。しかし、資本主義は利益を求め無限に成長していく。その歪さが、人々を時間の奴隷にし始めた。その結果、稲田豊史が現代ビジネスで書いた記事『SNSで「無邪気に」感想が言えない…Z世代の「奇妙な謙虚さ」』で言及されるように倍速視聴、切り抜き動画の文化が生まれてしまったのだろう。時間は有限であり、そこに怒涛のように娯楽が侵食してくる。余暇で楽しむ存在である娯楽にも、労働同様に効率化が求められるようになったのだ。時間を圧縮するために、倍速視聴、切り抜き動画が平然と行われる。
これは悲観的な事象ではあるが、VTuberの世界ではどうも折り合いがついているように見える。
ライバーは数時間に渡り配信することも少なくない。動画は、書籍と比べると自分で読む速度をコントロールしたり、気になるところから読む行動を取りにくいメディアだ。検索性が悪かったりする。にじさんじのライバーはよく、他のライバーとコラボをし、相性の良さによってユニットを組んだりする。特定の組み合わせ、例えば剣持刀也とピーナッツくんの組み合わせ(通称:刀ピー)の会話を聴きたいと思っても、動画だと検索しにくかったりする。そこを補うために切り抜き動画が存在し、ライバーの知名度を上げる広告替わりとして機能しているようだ。実際に、動画を漁っている中で、偶然ぽんぽことピーナッツくんの組み合わせのサムネイルを目撃し、実際にチャンネルを覗いたら掛け合いがとても面白く、チャンネル登録するにいたった。
切り抜き動画をある程度寛容に扱うことで、CMとしての役割を果たし、チャンネル登録者を増やす。そして、本編では虚構が生み出す独特な世界へ誘い続ける。このようなシステムがVTuber界では確立されているのではないだろうか。
■歌ってみた動画について
VTuberの世界では、「歌ってみた」動画が盛んに作られている。同じ曲でも、ライバーによって特色が異なり、視聴者は聴き込んでいく中で、推しのバージョンが出てくる。かいりきベア・まふまふの「マオ」を例にする。物述有栖と森中花咲のバージョンを聴き込むと、漢字の羅列による中国語もどきと日本語の間を軽妙に飛び跳ね、ネコ(=マオ)の軽妙さを表現できているのは前者と言える。
一方で、森中花咲はRaon Lee「グッバイ宣言」やMARETU「ホワイトハッピー」のように毒っ気のある曲を歌うと、可愛らしくも、闇に引き摺り込みそうなファム・ファタール性がそこに宿り中毒性の高い作品に化ける。
また、物述有栖は面白い試みを行っている。一億円P「chocolate box」の動画では、VOCALOIDの鏡音リン・レンパートのデュエットとなっているが、物述有栖は女性パート・リンの部分だけ歌う。視聴者はレンパートを歌うことによって擬似的に同じ空間でのカラオケを実現させようとしているのだ。歌ってみた動画でできることはまだまだ多そうに見える。
■「カラマーゾフの兄弟」レベルに複雑なニックネーム文化
VTuberの動画を見る中で最初は分かり辛かったものがある。それは名前である。ライバーは正式な名前の他に様々なニックネームを持っているのだが、それが全く予測できない。「カラマーゾフの兄弟」も驚くほどに複雑怪奇であり、理解するとこれまた日本語の新たな可動域に好奇心がくすぐられる。
例えば、剣持刀也のことを「もちけん」と呼ぶことがある。これはまだ剣持を業界人っぽく逆さに呼ぶ表現といえる。しかし、物述有栖は彼のことを「リッキー」と呼ぶ。これには頭を抱えた。どこにもRやLで始まる要素が見当たらないのだ。これが段々、動画を追っていく中で、剣持刀也→剣持力也→力也→リッキーとなっていることに気づかされる。似ている漢字からニックネームを作っていくのだ。
彼女の場合、さらに独特なニックネームを生み出しており、宇志海いちごのことを「ごちごち」と言い始める。業界人的な逆さ読みを応用して、「いちご」という分割できないレベルの単語を解体して「ごち」→「ごちごち」と言い換えているのである。このような造語の作り方は、文章を毎日書いている私にとって刺激的であった。
4.現実社会がVTuberに歩み寄る時に起こること
■「公共の場」に現れる状況への危惧
このように不思議の国であり、魅力的な演出が多いVTuber界ですが、猛毒な世界であることは間違いない。この沼に入る前は、『アベンジャーズ』のような集団だと思っていた。しかし、蓋を開けてみれば『スーサイド・スクワッド』であった。人々がSNSを使いこなす以前のインターネット界隈のような混沌がそこにあった。
最近、NHKの「沼にハマってきいてみた」にVTuberが出演したり、Jリーグとコラボしたり社会的地位を確立して現実世界でも知名度が上がってきている。だが、潔癖症になり炎上しやすくなった現実世界と安易に結合することは終焉を迎えつつあるTwitterと同じ運命を辿る危険性がある。
かつて、インターネットは現実では晒せない感情を吐露する場所として機能しており、その感情を抱く者が自分の新たな居場所として仮想世界に身を投じていた。しかし、SNSがもはや老若男女使いこなせる時代となり、特にTwitterは現実世界と同様「公共の場」となった。しかも厄介なことに、この公共の場は他人の思想が自由自在に侵入し、自他共に干渉する存在である。デヴィッド・クローネンバーグが1969年に制作した『ステレオ/均衡の遺失』で描かれた、テレパシーにより自分の心が覗かれてしまうため、自分の中に内なる安全圏を作る話が現実となってしまっている。細田守の『竜とそばかすの姫』で描かれた、もはや公共の場となり自分の内なる闇は現実に引っ込めざる得ない状況もまさしく今を描いている。
VTuberのチャンネルはいわば、スナックやバーのようなものであり、アクセスは可能だが、そこでの話題は少し世界的なモラルから逸脱したものだったりする。だが、Twitterと比べると公共のレベルは下がるため、ある程度許容されたりする。個人チャンネルは、扉であり、触れて傷つくであろう人の目に触れてしまうことを防いでいる。扉という境界を通じて多様性が保障されていると考えられる。
ただ、企業がメタバース等への関心をもとに安易にコラボを行うと、その扉は崩壊し、燃えてしまうリスクがある。現状、Twitterでは「見る権利」と「見たくない権利」が対立し、平行線となってしまっている。そこに、刷新される今の価値観と昔の価値観の対立も合わさり、日々悲劇が起きてしまっている。
また、ギー・ドゥボールは「スペクタクルの社会」の中で次のように語っている。
にじさんじの現実社会に向かっていく方向は、よりファンを増やす資本主義の中で現実社会に向かっていく。やがては、ギー・ドゥボールの言うところの歴史の中へ組み込まれる動きに繋がっていくが、月ノ美兎のなりきりチャットや鈴鹿詩子の壮絶なアンダーグラウンドな性癖の世界などを踏まえると、歴史の中に組み込まれる前に、文化の焼け野原となる可能性が高い。多様性のある世界だからこそ、慎重に現実と接続しなければ、終焉を迎えてしまう危険性があるのだ。
■ライブとしての応用
一方で、ライバーの映像表現の探求は映画や演劇といった他の領域に影響を与えるであろう。『🍓アリストロベリー3Dライブ☕【宇志海いちご/物述有栖】【にじさんじ】』では、現実における肉体がこれほどまでにシームレスに虚像とシンクロし、的確に宇志海いちごと物述有栖を捉え続けるカメラワークに驚愕させられた。カメラは現実の制約を無視することができ、足場のない空間に向かって去っていったり、世界がいきなりウユニ湖のような鏡面空間へ飛び、マイクが可愛らしいものへと豹変するダイナミックさに圧倒された。2019年に作られた『ライオン・キング』が仮想世界の中で撮影する実験を行なっていたが、アリストロベリーのライブを観ると、更なる応用が期待できそうだ。ライブ映画の歴史が変わる予感がする。また、観客を巻き込む一回性の臨場感でいったら、演劇の世界にこの技術を持ち込むことで、次々と世界が予測不能な方向に変わり、観客を虚構への共犯関係としてより未知へと導くことができるのではないだろうか。
実際に、ゲーム実況者である「のばまん」は『自分を3Dスキャンしてメチャクチャにして遊ぶ』の中で等身大の自分を3Dスキャンして仮想世界に送り込んでいた。これを応用することで、役者が仮想世界の中で演劇をすることが可能となり、虚構ならではのダイナミックな動きをギミックにすることができる。
また、ギルザレンⅢ世の作品『漂流、あるいはテスト配信』では、他のライバーとのコラボ動画であるが、イカダで漂流している設定で時に無線、時に漂流を通じて対話をし、サメに食わせることで次のゲストを招く、配信そのものをドラマティックに演出する方法を編み出した。
ぽんぽことピーナッツくんのコンビは、虚構から飛び出し、着ぐるみを纏い渋谷clubasiaでバイブスを上げる。VTuberの顔から着ぐるみアーティストの顔へと豹変し、現実と仮想を行き来している。
このようにVTuberは創意工夫でもって、見たこともないようなエンターテイメントを作り上げ、観るものを熱狂と混沌の渦に巻き込んでいる。私は映画で味わえぬこの工夫の美学に取り憑かれた。そしてYouTuberが中々、画や画の外側から想像を超える作品を放たない中、VTuberの猛烈な勢いで技術革新していく姿は映画を研究する者にとって追っていかねばならないと痛感させられた。
また、哲学研究者の山野弘樹は現在、「VTuberの哲学」の研究を行なっておりこの夏に査読論文が刊行されるようだ。こちらも追っていきたいものである。
というわけで、私は今日もVTuber動画の世界に没入するのであった。
5.その他オススメなVTuber動画
VTuberの動画は割と猛毒なものが多い。個人的に、序盤に観ると楽しめる動画を下記に列記しておく。私は沼の入り口に案内するだけなので、その先は自己責任でお願いします。
・ピーナッツくん × Moment Tokyo XR LIVE『#ONAKAnoNAKA』
・【取材】インド現地の珍映像リアル生放送【にじさんじ】
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