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第一章:ヨーロッパ一人旅の計画

意識高い系だった頃

高校1年生の時、当時映画好きだった私は地元にあった「したまちコメディ映画祭in台東」のボランティアに参加した。最年少での参加ということもあり、また高校生にしてはテオ・アンゲロプロスやらアッバス・キアロスタミがどうこうとか、オールタイムベスト映画がハル・アッシュビー『チャンス』だとかを熱く語っていたので大人たちに可愛がってもらった。そして、高校2年生の3月には、倍率60倍近くあったという沖縄国際映画祭の一般審査員の枠を勝ち取り、10日間映画を観て審査する貴重な体験をした。

この頃から、学校という狭い空間から飛び出そうという想いが強くなっていった。私は、昔から話し方含め少し変わっていたので、イジメや嘲笑の対象にされがちだった。しかし、外の世界に出ればそんな奴らはちっぽけな虫けら程度の存在だということが分かる。「意識高い系」という言葉のなかった時代。私は、前のめりであった。

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