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まえがき:失われた刺激的な旅を求めて

2020年から新型コロナウイルスが国際的に蔓延した。パンデミックの兆しを見せた頃は、まさかここまで拡大するとは思わなかった。なぜならば、鳥インフルエンザをはじめとして色んな感染症が流行した際に、ここまで大きく発展することはなかったからだ。それはSF映画の世界だけの話だと思っていたし、今の医療もテクノロジーも発達している時代に世界的危機に陥ることはないと楽観視していた。しかし、現実はどうだろうか?世界中の人々がマスクをし、感染症による死と経済的な死と隣り合わせとなっている世紀末がやってきてしまった。

私はコロナ禍になる前は、海外旅行が好きだった。大学時代は、「社会人になると海外旅行ができなくなる。」と思い、ジャック・ケルアックのようにお金を貯めては旅をしてを繰り返していた。あの頃は意識高い系でもあったので、今ではできないような過酷な旅もしたことがある。

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例えば、大学2年生の時、クロアチア・ザグレブからスロベニアにあるポストイナ鍾乳洞へ日帰り旅行をした。朝、4時ぐらいに起きて始発の列車に乗った。客は女性のバックパッカーと私だけだ。1時間ぐらい走行していると、列車は泊まり、駅員が高圧的な声で「外へ出ろ」と言い始めた。私とバックパッカーの女性は怯えながら駅員についていく。すると個室へ連れてかれ、職務質問が始まった。

「宿はどこだ?」

「お前は何日間滞在する」

「これからどこへ行こうとしている?」

ドライな職務質問を20分近く行い、ようやく釈放される。

「あの、ポストイナ行きの列車はどれに乗れば...」

質問を全て言い終わる前に

「あの列車だ。もう出るぞ!」

と怒鳴られ、一目散でその列車に乗り込んだ。

ポストイナについてからも中々大変で、バスに乗ったはいいが、日本と違って「次XX駅です。」といったアナウンスがないため、降りる場所を間違えてしまい、1km近く歩く羽目になったりした。

そんな努力の甲斐もあってかポストイナ鍾乳洞は楽しかった。ディズニーシーのアトラクションのようにトロッコに揺られながら鍾乳洞の最深部へと導かれる。石筍が織りなすヒンヤリ神秘的な空間を目の当たりにすると、インディアナ・ジョーンズになったような気分になった。

たった1時間の観光の為に片道3時間かける甲斐がありました。

しかしながら、帰りも帰りで過酷な旅であった。例の国境駅に15時ぐらいにたどり着いたはいいものの、ザグレブに着く列車は20時まで来ないとのこと。周りには墓と、シモジマのような服屋、そこに隣接するカフェしかありません。ポケットWi-fiは持っておらず、スマホをいじって暇を潰すこともできず、かといって本も持っていないので、ひたすら虚無の時が過ぎ去るのを待っていました。

こういった旅は、時間のある学生時代にしかできないなと思います。

閑話休題。私が海外旅行に目覚めたのは高校3年生の夏。高校時代の夏に3週間ぐらいかけてフランス、ドイツ、イギリスを一人で旅したことがきっかけです。一人旅をしたと言っても、書店で販売されているようなクレイジージャーニーといった感じではないです。当時は、一人でやり切ったと思っていましたが、家族や知り合いの協力あって成功した旅となっております。

あれからもう9年が経ちました。映画ブロガーとしてそこそこ文章力もついてきたことだし、海外旅行ができない以上、過去の旅を自給自足しようと思います。

ダラダラ全日程のエピソードを書いても、面白くないので、特記すべきエピソードを並べて私の「輝ける青春」を振り返っていきます。

尚、このエピソードは自分にとって大事なものなので、本編は有料記事となります。

目次

第一章:ヨーロッパ一人旅の計画
第二章:空港でサウジアラビア人に絡まれた話
第三章:カタコンブで呪われた話
第四章:方向音痴だった頃
第五章:フランスの映画館事情について
第六章:エロチズム博物館前でポン引きに遭った話
第七章:募金詐欺
第八話:地下トンネルでパリからロンドンを目指す
第九話:ロンドンオリンピックの様子について
第十話:ベルリンのダースベイダー
最終章:ドイツからフランスへ、そして日本へ

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2012年の夏、丁度私が高校3年生の時に3週間かけてフランス、イギリス、ドイツを旅した時の話を幾つかのエピソードに分けてお話しします。自分にとって大切な話なので有料とします。

コロナ禍で海外旅行できず、フラストレーション溜まっているので、高校3年の夏休みにヨーロッパ一人旅した話をしようと思います。あの頃のような刺…

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