君の泣く顔が見たかった / 創作
「なんとなくお互い、独身で居る気がするね」
というところまで言葉が出たのであれば、何故「ふたりで一緒になろうよ」という言葉の浜辺まで行けなかったのでだろうか。深い仲になるほど私という存在が君に許されてはいないとして、ならばどうしてそんな意味ありげな言葉を置いていったのだろうか。やっと夏らしくなってきたあの暑い日の、ジュース片手に話す空気感が災いしてそう言わせたのかも分からないけれど、私はとんでもなく馬鹿だから、割とその言葉を信じてしまってここまで来たのに、それが全く温度を持たなくなった今となっては、迷惑以外の何物でもない。なんてことをしてくれたんだ、と詰め寄ってみたいところだけれど、もう私にはそんなエネルギーも残されていないみたいだ。
まるで夏祭りの喧騒の中で振られているシチュエーションみたいな、天国と地獄が入り交じった心地がしている。実際にそんな状況を前にして振られたことないから分からないけれど、きっと帰りの道で聴くお囃子が意地の悪い煽りに思えることなんて、想像だけは付く。
プロポーズされた。というストーリーを見かけた時、私は駅の駐輪場で大絶叫しながら、停めてある自転車を片っ端から倒して帰ってきた。君が結婚することに対する悔しさだけなら10台倒せば気も済んだ。後に倒した10台は、「親しい友達」に入れられていた分。いくらでも私を選別する余地も与えられていたというのに、どうしてそのリストに私を加えているのかよく分からない。もしかすると私だけに当てられたものだったりして。と、考えれば考えるほど怒りが沸いて、バタバタと倒れる自転車の数は増えて行った。
都心の高層ビルでのプロポーズ。絶妙に暗い空間の中に質の違う手が並んで、大したカラットも無い指輪が嵌っている。
「景観に頼るだけ頼って、異性にアプローチをする男性って本当にナンセンスだよね」というあの言葉は単なる嘯きだったのか。都心のキラキラしているホテルも、ストーリーのクソでかいタグも、君のセンスじゃなかったんじゃない。彼女こそは割と芯を曲げないタイプだと思っていたのに、安定がそこにあるなら際限なく芯をも殺すような人だったんだ。それも絶妙に嫌で、加えて10台倒してやった。警音器が地面に叩きつけられてりんと音を立てる。彼女の笑い声と何処か重なる部分もあって、余計に私のやるせなさが掻き立てられていく。
なにが、「一生幸せにするからって言われたから、信じてみようと思う」だよ。露店に並べられた安いジュエリーみたいな、よくある台詞に踊らされるなんて最悪だ。そんな台詞にまるで達観したかの如く答えている彼女の姿なんてもっと最悪だった。
ここまでガタガタと騒いでおいて言葉を添えるなんて言い訳がましいけれど、これは決して彼女が悪いという訳ではなかった。水にひとたび落としてしまえば見るも無惨に消えてしまう綿あめのような言葉を信じていた自分に対する苛立ちそのものである。もっと早く前を見ていれば、ほとんど投稿の無いSNSを彼女の真の姿であると鵜呑みにしていなければ済んだ話だ。そんな間に、私は30代という歳を通過した。永遠はもう半ばを過ぎて、彼女は私の真意も理解しないままバージンロードを歩く。私はずっとひとりで、彼女はこれからずっとふたり。「冗談やめてよね」というのが彼女の口癖だった。私が柄にもなくおどけて見せれば決まってその言葉が帰って来ることを知っていたから、私は不器用なりにおどけて見せることが習慣になっていた。一度だけ、30までお互いにひとりだったら結婚してもいいのではないか、という提案をまわりくどくしたことがあって、その時も彼女はあの言葉を反芻していた。不思議なことにその時の笑顔が一番明るかったことを忘れもしない。「独身で居る気がするね」という言葉に終わりなんてなかった。だから何をしようとか、何処へ終着しようとかも無かった。私が分かりやすくおどけているばかりだと思っていたけれど、彼女が数々並べてきた終わりの無い言葉の数から考えれば、ずっとおどけていたのは寧ろ彼女の方だったのかもしれない。
冗談やめてよ。
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