見出し画像

【南大沢土木構造物めぐり】No.107 境川沿いの都県境の飛び地巡り(第2集)

境川は、東京都と神奈川県の境界を流れる比較的細い川です。川の上を都県の境界が通る川なのですが、かつては蛇行していた川が直線化される河川改修工事が順次実施されています。その場合、河川の形と都県境が一致しなくなるケースが見られます。すると、川沿いに隣接する自治体の飛び地のような場所が発生するようになります。前回、そのような場所を辿ると、とても面白かったので、今回はその続きで、少し下流側を目指して歩きたいと思います。
(前回の記事はこちら)

■まずは、マピオンの地図から

今回も前回の記事に続き、「マピオン」の地図から。この地図が、都県境の形を見るのにはわかりやすいです。

今回散策したエリアの全景。川の形より蛇行した都県境が特徴的です。

では、今回探索エリア、上流側からご紹介していきます。

■1 尾根幹線道路の終端部付近の飛び地

まずは、この部分から。
境川の北側にある川沿いに「相模原市中央区宮下本町二丁目40」の文字が。
NTTのプレートが「片所支」と「横土手支」の2つ付いているのが特徴的か。

この場所を歩いていると、すぐに神奈川県が左岸側にあることを教えてくれる場所がありました。相模原市を示す電柱の住居表示がありました。よく見ると、電柱のNTTのプレートが2枚付いていました。おそらく町田市側に相模原市が飛び地として存在するので、町田側の電柱に相模原の電話線も引かれているからなのでしょうか。なかなか興味深い場所です。

この場所のマンホール、しっかり「相模原市」のものでした。

■2 小山小学校近くの蛇行スポットたち

次は、町田市立小山小学校の近くの蛇行跡です。ここは、町田市が南側に飛び出た場所と、相模原市が北側に飛び出た場所が連続します。

南に北に蛇行する都県境。
橋の向こう側の白い建物が、町田市のようです。
境川が何だか左に蛇行していた跡がありそうです。
建物の裏側の空地が昔の境川(都県境)でしょうか?
足元をよく見ると、町田市の道路境界標が。
今度は、対岸、この公園が相模原市のはず。
なのですが・・公園は「町田市立小山中村広場」です。
公園の端には、不思議な空地スペースが。ここが河川跡(都県境)でしょうか。
空地の境にある、河川境界標が、「神奈川県」のものでした。

■3 相模原市が大きく張り出した住宅地

今説明した場所の少し下流側に、相模原市が少し大きめに入り込んでいる場所がありますので、そちらを紹介します。

境川左岸に10軒以上相模原市である地区があります。
こちらの家があるあたりが、相模原市のようです。
中村橋のすぐ前にある、蛇行した飛び地。
今の境川は直線化されています。
待ってました!相模原市のマンホール登場(笑)。
「自転車も止まれ」看板も、相模原市中央区のものですね。
後ろの公園は町田市です。
民家の前の住居表示も、「相模原市中央区宮下本町一丁目」です。
町田市小山中村広場と、相模原市の住宅の組み合わせ。
川沿いの「スピード落とせ」の看板は、町田市のものでした。
そのへんあまり厳格じゃないのかも、ですね(笑)。
相模原市の表示の後ろに、空地が。ここが昔の河道でしょうか。
中村橋の対岸に、とっておきの工事看板発見!!
中村橋を渡る(つまり対岸に水を送る)水道管のメンテ工事です。

■4 今度は、町田市が大きく張り出した住宅地

先ほどの相模原市が張り出した場所にほど近い場所に、今度は町田市が大きく張り出した場所があります。ここは、今回の探索範囲では最大の張り出した場所です。色々見つかるかもしれません。

昔の蛇行っぷりを想像させられる都県境の形状です。
その蛇行箇所にいきなり現れた、町田市の水管橋。
間違いなく対岸に水を送るための管です。
アーチ形状なのは、洪水で流されない対策なのでしょうか?
手前:相模原市のマンホール、奥:町田市のマンホール。
この共存が蛇行しているエリアを物語っています。
手前:町田市、奥:相模原市のマンホール。
中央の小さな鋲が、都県境になっているような気がします。
この「上矢部1丁目」は相模原市です。
電柱のプレートの、「補給廠支」という文字。
隣接する米軍補給廠が関係していそうです。
宅地の内部には、町田市の雰囲気が。
標語が書かれている「小山連合町内会」は町田市小山地区のものです。

■5 少しだけ町田市の飛び地が

大きな飛び地の近くに、少しだけ飛び地がある場所が
橋の対岸側に少し町田市が飛び出しているようです。
この道路の右側、工事の仮囲いと民家当たりが町田市っぽいですが・・、
やっぱり少し飛び出していました(笑)。町田市のマンホールです。

いやー、この飛び地探索、かなりマニアックかもしれませんが、とても面白いです。

■おまけ:境界変更に向けて奮闘中

この話、実は少し前までは飛び地はもっともっと沢山ありましたが、徐々に解消する取り組みが進められています。

やはり都県境を変更するのは、地権者の合意や、インフラ施設の管理を誰がやるかの取り決めなど、協議がとても大変なようですが、20年以上の歳月をかけて、何回かに分けて変更されてきているようです。

こちらは、相模原市のHPに掲載された、2020年に実施された境界変更の様子。こうした取り組みが続いていますね。

行政区域変更、大変な作業のようです。

そんな状況なので、今は完全に町田市の範囲でも、相模原市の痕跡が残っていたりするものを見つけることもできました。

町田市域内(小山小学校裏)にある、神奈川県の河川境界杭。
蛇行していた頃の名残なのでしょう。

■終わりに

東京都町田市と神奈川県相模原市の境界を流れる境川。直線的な河川に改修することにより、飛び地が多数生じる課題は、実はたくさんの市町村境などに存在するようです。ここは、その影響範囲がとても大きく、しかも都県境になっていることや、町田駅前のヨドバシカメラ周辺のように、沢山の人が利用する場所にも見られることから、注目できる場所が多そうです。そうはいいつつ、今も存在する飛び地に水を送り続ける水道のメンテナンスなども続けられていて、何だか頭が下がる気がしました。

この記事が参加している募集

地理がすき

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?