【南大沢土木構造物めぐり】No.85 鑓水地区の谷戸から御殿峠を目指す
今回は、有名な「絹の道」と同じ谷戸の上流、岸耕地谷戸を歩き、御殿峠を目指していきたいと思います。今の住所では、「八王子市鑓水」に含まれる地区ですが、昔は「岸耕地」と言う名前の谷戸でした。ちょっと不思議な名前の谷戸ですが、その部分を見ていきたいと思います。
■「岸耕地谷戸」とは?
岸耕地谷戸とは、「がんこうちやと」と読みます。昭和40年代の地図を見てみると、
確かに、岸耕地という地名があります。なぜこんな川の上流に岸があるか不思議でしたが、さらに昔の地図を見ると・・、
「岸耕地」ではなく、「巌耕地」と記されています。「巌」という漢字は「がん」と読みますが、当用漢字でないので、戦後になって読み方が同じ「岸」を当てたのでしょうか。少し謎の残る地名です。
地名のことはさておき、戦前より前は、メインルートは谷戸沿いの道ではなく、集落から尾根の頂上の道了堂を目指していく、「絹の道」のルートがメインルートだったことがわかります。絹の道が廃れていき、現在のように、谷戸に沿った道がメインルートとなり、道路改良が進んで、御殿峠から車で行き来できるようになってからは、現在では、御殿峠から由木地区に向かう最短ルートで、渋滞する国道16号の抜け道としてよく利用される道になりました。のどかな地区ですが、通過交通がかなり多いので、これまで正直なところ歩くのを躊躇っていた場所です。
前置きが長くなりましたが、この谷戸を歩いてみたいと思います。
ちなみに、絹の道は、過去に歩いた経験から下記の記事にまとめています。
■岸耕地谷戸を歩く
スタート地点は、絹の道が右に進むと道了堂への山道となっていくこの場所から。
ここに、岸耕地谷戸の道路改修記念碑があります。昭和59年に完成しています。後で出てきますが、この谷戸の先端部分を貫いている八王子バイパスができたのも、昭和60年ですので、この時代に道路改良も進んだということでしょう。
ちなみに、他の石碑は、庚申塔や秋葉大権現の石碑があったり、別の機会に紹介した、幻の南津電鉄の駅の道しるべがあったりと、なかなか見どころ満載です。
(南津電鉄の記事はこちら)
のどかな谷戸には、まだ田園風景が多く残り、そこの風景の代表例は、用水路と石積みと言っても過言ではありません。新しく改良された水路であれば、護岸は石積みでなくコンクリート護岸だったり、コンクリートの梁が水路上部に付いて補強された水路が多いですが、ここは古くからの水路が残されていそうです。
小さな堰と言う構造物。昔は農業の世界で、こういう土木構造物の基礎的なものをうまく利用してきていたのでしょう。先人たちが知恵を出して試行錯誤しながら作り上げてきたシステムがここにあるような気がします。
民家から用水路を渡るシンプルな橋が架かっています。道を横断する側溝があり、その脇で用水路に排水されています。シンプルな排水機能。これも巧みにシステム化されているように感じます。
水路を横断する白い管は、汚水の下水管ではないかと推察されます。その奥の丸い管は、道路の反対側の水田からの排水を流す水路でしょうか。この場所は道路擁壁がコンクリートブロック、その奥は石積みになっているので、コンクリートブロックの区間は道路改良をされた際に新たに水路と道路のルートを付け替えたりしたのでしょうか。
いよいよ道路は岸耕地の上流側へ。そこに現れるのは・・
八王子バイパスのカルバートです。ここも薄暗くしかも交通量が多いので、あまり歩くのは気向きがしません。しかも・・・、
2連のボックスの半分は未使用で、薄暗い空間が広がっています。
道沿いには、日本道路公団の用地杭が。八王子バイパスは、当初日本道路公団が整備、運営する有料道路として開通しましたが、近年無料化され、今では国道16号の一部として、国土交通省が管理しています。ある意味これは旧JH時代の名残です。上部の八王子バイパスを歩いた記録もありますので、参考にしてください。
八王子バイパスを越えると、大学と養育園との間を越えて、国道16号に至ります。
■終わりに
今回は、岸耕地谷戸という、のどかなはずが通過交通が多い場所を紹介しました。シンプルに農村景観と農業用水などを眺めることもでき、とても楽しい場所でした。