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☆神田川沿い街歩き道中☆②秋葉原駅と神田川との関係

秋葉原駅から神田川沿いを歩くウォーキング。前回は、その前置きのような、JRの電車や御茶ノ水駅付近を散策しました。今回はいよいよ、街歩きをスタートしたいと思います。
(前回の記事はこちら)

■探索を開始

ということで、総武線で秋葉原駅に到着し、探索を始めます。

秋葉原駅に到着。
相対式のホームの総武線の駅。
山手線・京浜東北線の高架駅のさらに上なので、ビルの3階のイメージになります。
中央改札近くのコンコース。よく見ると・・、
古びた鉄骨の橋脚が出現します。
古い駅の構造を包むようにコンコースができたのですね。
こちらは、ヨドバシアキバ前の駅前広場ですが、昔は・・。

秋葉原駅からスタートするのは、実は秋葉原駅の歴史が、神田川と深いつながりがあるからです。それを物語るのが、こちら。

今昔マップで見た、明治末期の秋葉原駅周辺。

秋葉原駅の元々のルーツは、東北本線の前身である私鉄「日本鉄道」が開設した、「秋葉原貨物取扱所」からスタートします。この駅前広場は、貨物取扱所の敷地の形に一致するイメージです。

元々秋葉原は、江戸時代に起きた大火で焼け野原になった後で、大火による延焼を防止するために設置された「火除地」が地名のルーツで、そこに火の神様として知られる秋葉社を祀ったことから、火除地である空地のことを「秋葉原」と呼んだのが由来だとか。ちなみに秋葉神社とは、今の静岡県浜松市の山の中にある神社が本家本元です。ということは、真の意味の「AKB」っていうのは、東京ではなく、浜松の山の中、ということになるんですね。(雑学です(笑))。

■秋葉原駅周辺を歩く

駅の南側にある通りの一角に・・・、
こんな橋の親柱を発見。「佐久間橋」「昭和7年」と記載があります。

この橋の親柱跡こそが、秋葉原貨物駅に神田川から引き込まれた運河の痕跡。秋葉原駅は、実は日本鉄道が神田川の舟運との連携を目的に設置した貨物駅で、貨物取扱所に達する掘割式の運河が設置されたとか。佐久間橋はその運河跡に立地しているはずです。

佐久間橋跡から神田川を向いたところ。これが運河跡のようです。

元々の運河が神田川と交わる場所には、船着き場があります。

神田川と運河跡の交差する部分にある船着き場。
すぐ隣には、昭和通り(国道4号線)に架かる、和泉橋があります。
和泉橋。都営新宿線の岩本町駅と秋葉原駅の乗換ルートにもなっていて、
人通りがとても多い橋です。
昭和5年にできた、震災復興橋梁の一つです。
何やら石碑が。
これは、揚げるという字が書かれているので、荷揚げ場所かと思いましたが、
どうやら「国旗掲揚台」だそうです。軍人会が作っていることからも納得。。
再び、駅のほうへ。佐久間橋の親柱の駅側のもの。
この広場が水路跡だったようです。
とすると、この大き目のブロックのところが、護岸でしょうか??
道路の対岸は、細い通路と右隣りの細いビルの敷地が
どうやら水路跡だったと推察されます。
今は秋葉原駅の昭和通り口に続く通路。
昔は水路だったのでしょうね。
さりげなく秋葉原の歴史が語られていますが、
ちょっと見えにくいですね(笑)
そして、万世橋に向けて少し西へ。たまにこういう古い地名などの
説明板が用意されています。
総武線の橋は、山手線などの上を交差するので、とても高い位置にあります。

中央通りに出てきました。電気街であったり、喧騒の中の秋葉原です。振り返って神田駅方面に少し歩くと、神田川を万世橋で渡るイメージになります。今回はここまで。次回は万世橋にまつわるエピソードをお伝えするのでお楽しみに。

■終わりに

秋葉原駅は、江戸時代の大火の跡の火除地の空地跡地にできた、鉄道貨物取扱所がルーツで、過去に神田川の舟運と連携するようなことをしながら、発展を遂げてきた場所であると言えます。古いものも色々とのこされていますが、この繁華街の中ではなかなか気づくことが少ないと思うので、改めて眺めてみると、とても面白い場所であることを再発見できると思います。

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