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△乙訓さんぽ△①:長岡天神駅から調子八角を目指す

私の実家は、京都市伏見区の外れにあります。実は元々伏見区とは別の地域で、「乙訓郡羽束師村」と呼ばれていた地区に実家があります。「乙訓」は、「おとくに」と呼びます。地元でない方にとっては、ひょっとして難読地名かもしれません。

最近帰省できない期間が長かったので、散策できる時を待ちわびていました。しばらく帰省できていなかった頃に、「ふるさとを語る」という企画で地元のことを思い出しながら、Noteに記事を投稿していました。今回は、乙訓エリアを散策する機会ができたので、改めて地域をご案内したいと思います。

■乙訓とは?

乙訓とは、今では「向日市」「長岡京市」「大山崎町」という、3つの市町からなります。これ以外に、私の実家のある、京都市伏見区や南区の一部、桂川の右岸地域もその一部でした。乙訓地区を紹介する観光サイトがあるので紹介します。元地元出身ですが、こんなサイトがあるとは知りませんでした(笑)。
この地区は、古くは長岡京と呼ばれる都があった時期があり、一時期は日本の都でした。その乙訓地区を歩きます。

■長岡天神駅から探索スタート

今回の街歩きのスタートは、阪急京都線長岡天神駅から。

阪急長岡天神駅。住宅地の真ん中にある橋上駅舎。
昔から変わらない景色です。
橋上駅舎に【1972年 京阪神急行電鉄建造 日立造船株式会社】の銘板が。
昔は、「京阪神急行電鉄」略して「阪急」だった時代があります。
長岡京市のマンホール。竹の里、という感じ満載です。
何故か道の真ん中を架線柱が通せんぼ。
よく考えてみると、かなり不思議な風景です。なんでなんだろう??
駅を横切って水路が流れます。意外とこの街、水路が縦横に張り巡らされています。
「天神通踏切道」という踏切。まっすぐ行くと、長岡天満宮があります。
古いハンドホールに、「バルブ 長岡町」の文字が。
市制50周年を迎えるので、それ以前に作られたもののようです。
何のマンホールか、昔は知りませんでしたが、「大阪ガス」の昔の社章です。
ガスの漢字の「瓦斯」の「瓦」をあしらったデザインです。

■長岡競馬場の名残を歩く

実は、長岡京市には、競馬場がありました。長岡競馬場という競馬場です。昭和31年(1956年)まで開催されていたそうです。

このちょっとカーブした道路。
団地の周りを周回する道のようです。これが競馬場の名残なのです。
今昔マップで見た、競馬場跡。左は終戦直後くらいの姿です。
竹の台住宅の形が、競馬場走路の形と一致します。
竹の台団地の案内図。こう見ると、競馬場跡であることを想像させてくれます。
竹の台 長岡天神団地 の石碑。
裏面には、「1966年 有楽土地株式会社」の文字が。
竹の台団地の隣は、府立乙訓高校。この道路が競馬場の走路の名残です。
高校は競馬場の馬場の中を改良してできています。

■友岡地区を歩く

こちらは阪急電車を横断する小さな水路と歩道のアンダーパス。
やはりこの地域、多数の水路があります。
狭い歩道ですが、線路を渡れるようにしたのには、
昔ながらの交通路だったりとか、意味があるのでしょう。
長岡京市友岡地区を横断する友岡踏切道。
古い道のようです。
友岡地区にある古そうなお寺。
安産地蔵尊 如円寺 というお寺です。こんな寺がさりげなく出現する町なのです。

■調子八角という場所を歩く

そしてやって来た、「調子八角」交差点。

調子八角という名前の交差点に来ました。ここは、西国街道(京都から山陽道を結ぶ道。今の国道171号線のルート)と丹波街道(ここから丹波方面に向く道。今の京都縦貫道のルート)が交わる交通の要衝として昔から栄えた場所です。今も道標が整備されています。道標には、このように書かれています。
 「右:一文橋・京 左:山崎」(西国街道を行くと向かう方向)
 「右:柳谷 左:久貝・淀」(西国街道と交わる道が行く方向)

調子八角とは、昔は東側の「調子」と西南にある「八角」という別の集落だったようです。今では阪急電鉄の新駅である、西山天王山駅と、京都縦貫道が開通し、この付近はずいぶん変わりました。

西国街道の説明看板。
明治時代の記念碑。小泉川の干害対策に、水道改修を行ったところ、
沢山の水が供給できるようになったので、小倉神社のお祭りで祝っているとか。
こちらは、中国の姉妹都市、寧波市から贈られた馬の像です。
寧波は、遣唐使の上陸をしていた港町だとか。
水道改修でできた池が、「馬ノ池」なので、寧波からの馬の像が飾られたとのこと。
池の水が汲める水道が整備されていました。
こちらの鳥居は、小倉神社の御旅所です。
まっすぐ参道が続いているはずですが、すぐに京都縦貫道が
立ちはだかる形になっています。
調子八角交差点にある、昔ながらの道標です。
【右:あたご道、左:たんご道】
愛宕山が、この付近の山岳信仰のメッカのようです。
調子八角交差点付近にできた、阪急電鉄西山天王山駅。
直上に京都縦貫道が走り、「高速長岡京バス停」が整備されています。
今年は長岡京市制施行50周年の節目の年です。
個人的には、JR長岡京駅の旧称「神足駅」が懐かしいです。。
駅直結の高速バスのバス停があります。北近畿方面だけでなく、
関東や東海方面に行くバスも経由地として通ります。
西山天王山駅の西側にある、「調子踏切道」という名前の踏切。
この道にあるのは・・、
小倉神社の参道であることを示す灯篭などがあります。
【荷物船中安全】が祈念された灯篭。昔は淀川の舟運が主役だったようです。
昔からの立派な神社のようです。
小泉川を渡れる飛び石があったので、渡ってみましょう。
阪急電車の鉄橋の下を抜ける小径がありました。
阪急京都線の小泉川橋梁。開業した昭和初期当時のものでしょうか。
その隣にある、小倉橋。こちらは新しそうな橋です。
小泉川を渡ると、大山崎町です。
「天王山登山口」をさりげなくアピールしていますが、
天王山をここから登るのは、なかなか通な登り方かも(笑)。
小泉川を渡ったところにひっそり建つ、「円明寺ヶ丘」の石碑。
京都府知事 蜷川虎三書 とあります。
【当団地は、昭和41年1月造成に着手し、昭和50年3月に1700戸の住宅が完成しました。
ここに町及び地元関係各位のご協力に対し深く感謝の意を表します
昭和50年11月建立 京都府住宅公社】

西山天王山駅付近を流れる、小泉川を渡ると、大山崎町に入り、昭和40年代に開発された、円明寺ヶ丘の住宅地に着きます。小さな町にとっては、団地の造成は一大イベントだったのでしょう。

団地の中を行くはずなのに、「小倉神社」の参道であることを
アピールしているようです。このあたりが何だかすごい場所ですね(笑)。

今回は、西山天王山駅付近まででおしまいです。次回は、円明寺ヶ丘の住宅地を歩き、小倉神社を訪ね、大山崎町内を歩きますのでお楽しみに。

■終わりに

私の生まれ育った旧乙訓郡。京都の中では地元以外に知られていない場所であり、地元で生まれ育っても、そのすごさを知らないことが多いのではないかと思います。古い町と新興住宅地が共存する地区でもあり、とても興味深い探索となりました。

次回は、大山崎町内ですが、こちらは今も昔も交通の要衝でした。不思議な線路横断などが沢山出てきますので、ぜひお楽しみに(笑)。
(続きはこちら)



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