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〇大阪・土木な街歩き(GWのプチ旅3)

今年のGWは、帰省などをやりつつ、行きたい場所に1日行くプチ旅を楽しみました。ここまでに・・、
 その①:自宅近くの、JR南武支線・鶴見線へのプチ旅
 その②:帰省先近くの、近江鉄道へのプチ旅

を楽しみました。この日は第3弾。大阪で土木な街歩きをしてきました。その模様をお伝えします。

■スタートは、大阪駅から

関西の鉄道の一番大きな駅、ですね。
大きな屋根が架かり、とても魅力的な空間になりました。
最近は、ロープ式のホームドアが運用開始されています。
大屋根のある空間。上屋の鉄骨は意外と古そうです。
そんな大阪駅に、新たなエリアが出現。
新しいエリアに向かう通路。何だかサインも斬新ですね。
地下に潜っていった先に・・、
3月に開業した、うめきたエリアの地下駅があります。
関空・和歌山方面の特急と、おおさか東線が発着するホーム。
その21番線が、新しいタイプのホームドアがあるホームです。

新しいタイプのホームドアは、あらゆる車両に対応できるように、自由自在に移動するドア。

このドア目当てに見物している人も少なくなかったです。
(自分もその中の一人ですが‥(笑))

■おおさか東線に乗って

おおさか東線に乗り、向かうのは、大阪市平野区です。

さて、気を取り直して、おおさか東線に乗りましょう。
阪急電車の淡路駅付近の高架工事を眺めます。2階建ての高架が
でき始めていますが、まだまだ完成まで遠そうです。
放出(はなてん)駅を通ります。
大阪のザ・難読駅名。
着いたのは、久宝寺駅。
おおさか東線のプチ旅でした。
大和路線で平野駅へ。関東では駆逐された201系が健在です。
平野駅。客車時代のプラットホームを嵩上げしたのでしょうか。
何だか古さを感じてしまう駅です。

■平野駅近くを歩く

平野駅近くには、「平野郷」がありました。平野郷は、昔から堺と並んで栄えた「環濠集落」で、古くから自治都市として独自の発展を遂げた場所です。

今昔マップで見た、平野郷。今では周囲が市街地化したので、
どこが平野郷か、わからない感じになりました。
国道25号、奈良街道の交差点に向かいます。
「大日本紡績 平野工場 私道」と書かれた石碑。

今昔マップを見ると、奈良街道と関西本線の線路までの間の環濠集落の北側の一部は、明治以降紡績工場だったようです。大日本紡績とは、今の「ユニチカ」ですね。「東洋の魔女」のバレーボールで有名な、「日紡貝塚」と同じ会社ですね。

環濠集落の真ん中へ。立派なお寺が現れました。
大念仏寺 というお寺だそうです。
とても古そうな「徐行 SLOW」の標識。
そして、とても古そうな集落の中へ。
こんな静かな町が市街地にあるなんて・・
と言う感じで歩いていたら、何だか商店街に突入していきました。
とても古そうな商店街です。
そして現れた、ちょっと不思議な遊歩道。
平野郷町西脇口の碑。昔の環濠集落の関所跡なのだとか。
鉄道用の信号がありました。
明らかに、ここに駅があった、ということを知らせるモニュメントです。

これは、阪堺電車の平野線の廃線跡。今池から平野までを結んだ路線です。1980年に廃止されました。


レール止めのモニュメント。
平野線の車両はこんなイメージだったようです。
これは旧・平野駅舎のイメージで作られた照明柱のモニュメントだそう。
電柱のNTTのプレートは「駅前」と書かれています。
廃線跡を示すひとつの印です。
廃線跡は、少しまっすぐ進み、そこから先はほぼ
阪神高速松原線の道路敷地になりました。
交差点を左に曲がると、大阪メトロ谷町線平野駅と、
阪神高速松原線です。阪神高速の平野入口は・・長期閉鎖中。

■喜連瓜破へ

この道路は、国道479号、大阪の内環状線です。
そして、たどり着いたのは、一駅先の喜連瓜破駅前。
現在阪神高速の橋の架け替え工事中。

今回ここまで来たのは、喜連瓜破駅前の交差点で行われている、阪神高速道路の橋の撤去工事を見るため。既存の橋を撤去するために、地上の一般道を通行止めにすることなく、既存の橋の上空に撤去用の移動足場を設置し、それを使って解体する工事が進んでいました。

地上の交差点の車を通しながら、上空で既設橋の解体が進んでいます。
既設の橋も残り少なくなるところまで静かに解体が進んでいました。

この解体の状況が一目見たくて、ここまでやって来たのでした。

では、喜連瓜破駅からは、大阪メトロ谷町線に乗りましょう。
谷町線の電車に乗って、東梅田駅まで移動しました。

■梅田の駅近くを歩く

着いたところは、梅田駅。ここは阪急百貨店前。
実は昭和30年代まで、この場所に阪急梅田駅がありました。
多数の人が行き交うムービングウォークは、
JRの線路下をかつて阪急電車が横断した廃線跡なのです。
大阪駅のビルを拡張するために、実は昔の大阪駅のプラットフォームを
撤去している部分があります。このガードの手前部分はもう電車が通らない廃線部分。


大阪駅北側では、まだまだ新しいビルの建設が進みます。
こちらは、大阪駅の、先ほど訪れた新しいうめきた地下駅の地上部分。
まだまだ工事中の部分が多い状況です。
ここは、かつての梅田貨物駅跡。スカイビルまで
長いガードを通ったりしたのが懐かしいです。
新しい施設の建設されているエリアが見えます。
これは、2月に線路切換が行われて廃止された地上の踏切。
もう列車が走ることの無い線路。
この部分だけは、何だか梅田貨物駅がある気になります。
この線路、正面の東海道本線の手前で切換後の新しい地下線に合流します。
廃止された線路が途切れ、地下線が顔を出してくる場所。
地上の線路を撤去して、地下線に切り換える工事が行われました。


地下の線路が地上に顔を出す場所はここです。
既設の東海道本線との交差部分。新しい線路を通すため、
受替工事がされています。
仮囲いに設置された、「なにわ筋線」の計画図。
今回の切換工事で終わりではなく、次の大きなプロジェクトの始まりなのです。
福島駅の手前にある踏切。左側方向が、地下線に変更されたため、
切換時に線路を低い位置に敷設しなおす必要がありました。
浄正橋踏切という名前です。

この浄正橋というのは、福島駅からもう少し南にあった橋で、今のなにわ筋の前身は、「浄正橋筋」という道が続いていて、この辺りは大いに栄えていたそうです。

今昔マップで見た、福島駅周辺。「浄正橋筋」が描かれています。
地下線を眺めたところ。ここで切換工事が行われたのですね。
駅前の高架下で、なにわ筋が通る賑やかな場所。
そこに踏切が残っています。

■終わりに

今回、GWのひとときに、JR大阪駅のうめきた新地下駅を見学し、おおさか東線に乗り、平野駅周辺をめぐりました。平野は古くからの環濠集落の町。その古い町には、かつて阪堺平野線が走り、市民に親しまれていました。その痕跡を見ながら少し歩き、喜連瓜破駅付近へ。そこで阪神高速道路の更新工事の現場を見ました。その後、再び梅田駅周辺に戻り、阪急やJR大阪駅周辺の鉄な廃止地上スポットなどを見て歩きました。最後は福島駅周辺まで、うめきたエリアの線路切換が完了した状況を見ました。

大阪には、新旧様々な土木な場所があり、とても楽しい散策となりました。

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