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【南大沢土木構造物めぐり】No.82 バス停の名前を歩く楽しみ

地元の街歩きをするとき、よく利用する交通機関は、鉄道(京王線)です。南大沢駅から新宿駅まで仕事で利用し、定期券を持っているため、鉄道は身近に利用できる心強い交通手段です。一方で、路線バスは、なかなか用事が無い限り利用しないのが現実です。今回はその路線バス焦点を当てたいと思います。路線バスは、路線によってはニュータウン開発前から開設されていたものもあります。停留所の名前が、実は開発前からの古くからの町だった、ということも少なくありません。今回はそういうバス停の名前を追いかけていきたいと思います。

■「桜84」という路線

今回探索するバス路線、主役は「桜84」系統というバス路線です。京王線の聖蹟桜ヶ丘駅から、野猿街道に沿って京王堀之内駅付近まで走り、多摩ニュータウン通りを通り南大沢駅へ立ち寄り、そこから折り返して南大沢の谷戸を通り、南多摩尾根幹線道路近くを通り、町田市を経由して神奈川県に入り、JR横浜線相模原駅までを結ぶ、約15kmくらいの比較的長い路線です。

桜84系統の路線図(神奈中バスHPより)

京王のエリアである聖蹟桜ヶ丘と、神奈中のエリアである相模原駅を結ぶため、2つのバス会社が共同で運行しています。便数は1日6便くらいと少なめです。南大沢から相模原駅まで結ぶバスは、案外便利な気がするので、もう少し活性化させて便数が増えればよいと思っていますが、あまり積極的に活性化させようとする動きはなさそうです。

■「桜84」のバス停を見てみる

南大沢駅から2つ目の停留所は、「柏木谷戸入口」

このバスのバス停が、なかなか面白いです。南大沢駅から相模原駅方面に向かう際の2つ目の停留所で、駅から歩いても比較的近いところにあるバス停の名前は、「柏木谷戸入口」。柏木谷戸の入口といっても、そんなものどこにあるのだろう?と疑問に思ってしまいますが、今昔マップで確認すると、この場所(右の地図の〇印の場所)が、左の地図の昔の柏木谷戸への道が分岐した場所、すなわち今のバス停の場所と大体一致します。バス停は古い地名を残してくれていたのですね。ちなみに「柏木」という名前は、今では谷戸が埋められた上に作られた小学校の名前に残っています。

柏木谷戸付近
次のバス停は、「日向」

次のバス停は、ずばり「日向」です。日向とは、日当たりの良い南向き斜面のこと。逆に日当たりの悪い北向き斜面は、日影という地名です。この地域にいくつかそういう地名があります。下の地図は、近所の上柚木地区の大栗川沿いの昔の地図。「日向」「日影」という地名が見られます。地域の古い地名に由来する停留所のようです。

上柚木地区の、日向・日影という地名

さらに次のバス停は、「清水入谷戸」。

清水入谷戸バス停

清水入谷戸も、多摩ニュータウン開発の前から残る、昔ながらの谷戸の地名です。このように、古い地名を残すバス停が連続することからも、このバス、歴史が古いということが容易に想像できると思います。

清水入谷戸付近の新旧の地図

■「桜84」のバス路線の歴史

では、ここでそのバス路線の歴史を少し調べてみたいと思います。この地区のバス路線を調べる際にバイブルとなるWebサイト、「パストラル」というページが詳しいです。

このサイトは、地域の最新のバス路線図や、バスの時刻表の変化などを知ることができるだけでなく、昔のバス路線なども掲載されている、情報満載のサイトです。このサイトにある、昭和36年当時の路線図の一部を抜粋すると、

神奈中バスの昭和36年当時のバス路線図(パストラルより)

既に、この当時から相模原駅から南大沢を通り、聖蹟桜ヶ丘までを結ぶ今の「桜84」系統に相当するバス路線が開設されており、この路線は多摩ニュータウン開発よりも昔から存在していたことがわかります。

■さらに相模原駅方面へ

さらに相模原駅方面に進んでみましょう。

次のバス停は、坂上。

次のバス停は、坂上停留所。八王子市と町田市の境目にあります。写真の少し走った先が、本当の意味での「坂上」です。写真左は南多摩斎場、右には民間の墓地があります。墓参する人向けにもう少しバス停の名前を改称して本数を増やす・・などすれば、少しはお客さんも増える気もしますが、古くからの「坂上」という名前を頑なに守っている気がします。

このバス停を越えると、町田市です。坂を下ると、大きな商業施設があり、賑やかな多摩境通りがあり、多摩境通り沿いにバスも走っていますが、この系統はなぜか多摩境通り付近にバス停は無く、素通り。商業施設目当てにバス停を開設する動きはなかったようです。

賑やかな多摩境通り付近を素通りするバス

そして次のバス停が、前回レポートで紹介した、「沼入口」。沼という昔ながらの集落の名前が関係するバス停です。

沼入口バス停

そして、町田街道を越え、境川を渡り、神奈川県相模原市へ。最初のバス停は・・、

横土手停留所

横土手、という名前の停留所です。このバス路線、ニュータウン開発が進んだ今では、車通りも多く、決して「峠越えの田舎のバス」というような雰囲気ではないのですが、これだけ古い地名のバス停が連続する状況を見ると、ニュータウン開発前の「田舎のバス」だったころの面影を色濃く感じることができると思います。

「横土手」の地名の由来は、境川でしょうか?

■古い河道の橋の名前を残すバス停

最後に、この地域にある面白い名前のバス停を少し紹介します。

大栗川沿いにある、栗本橋バス停。栗本橋という橋は今はありません。

これは、大栗川沿いの由木街道にある、栗本橋バス停です。とはいえ、栗本橋という橋は、今はもうありません。実は、河川改修される前の蛇行する大栗川の旧河道に架かる橋の名前を取っています。

道路の脇に残る、旧栗本橋の親柱

栗本橋という地名は、今では道路わきにひっそり残る旧橋の親柱と、バス停くらいにしか、名前は残っていないと思います。バス停は昔から住み続ける人にとって当たり前の存在なので、橋が無くなっても停留所の名前は変わらないこともあるのですね。

■終わりに

今回は、南大沢駅近くのバス停、とりわけニュータウン開発前から走っているバス路線のバス停の名前に注目し、古い地名の痕跡を辿ってみました。バス停の名前も、場所によっては生きた化石のように、古い地名を閉じ込めていることがあります。そういう地名を発掘することは、とても楽しいことだと思います。

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