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「目標」について。

こんにちは。

今回は目標についてです。


いきなりですが、私は目標がないと頑張れません。

なにかやろうと思ってやり始めても、「何に向けて」がないと何も身につかないと思っています。

多くの人がそうではないでしょうか。あらゆる場面で、目標があるからこそ向上できる。頑張り続けられる。




私は今、人生で初めてでっけぇ目標が何もない状態です。

高校までは目標だらけ。大学3年までは主に同好会活動、一区切りしてからは就活を納得いく形で終えること、といったように、つい最近まではゴリゴリな目標があった。


しかし、その後3ヶ月大きな目標が何もない。
つまるかつまらないかというと、つまらないです。


本来コロナ騒動がなければ、そんな目標を見つけるような行動が好きなようにできたかもしれない。

しかし、よく考えるとコロナがなくても大きな目標はなかったかもしれない。

それはわからない。別にこの状況でも目標は見つけられるかもしれない。

しかし、私が目標としようとすることは基本的に全て打ち砕かれている。

例えば、真剣にTOEICが受けられないなど。。
その他にもあります。

確かに小さな目標はけっこうありますが、めちゃんこ熱量をかけられる目標ではなく、その程度です。



そんな大きな目標がなくなった今思うこと。


「人は目標がないとダメだということ。」


おそらく多くの人がそうでしょう。行動に「?」がつく。「どこに向かって?」といったように。時間がもったいなく感じる。



最近これを痛感した出来事があった。あー、theこれやな。的な。



それは、大学のサークル活動です。またか、いい加減にしてくれと思われる方、すみません。しかし、世の中の社会の、徐々に活動を再開していくペースからかけ離れていると感じました。


現在、早稲田大学では、サークル活動は「練習のみ」認められている。全ての種類のサークルがこの状態である。(裏の事情などは知らないが基本的には)


「期間は”とりあえず”夏休みいっぱい。」「その後は状況による。」


8月から課外活動が一部認められた中で、「練習のみ」の解除に関してはまあ納得です。急に全解除は無理があると理解できる。

しかし、問題はここではない。


もう1度言います。
「期間は”とりあえず”夏休みいっぱい。」「その後は状況による。」

これが問題です。


いや、待てと。


多くのサークルは、この8月9月何のために練習をするのですか?感覚を慣らすためでしょうか。


今年が最後の学年の人、集大成の学年の人は今年度で学生生活が終わるわけで。


サッカー(新関東サッカー同好会連盟)でいうと、高校でいう選手権のようなモチベーションで挑む大会が最後あるわけで。。実際種類は違えど過言ではないと思います。


それがどの基準なら開催されるのか、どういった状況ならばどこまでできるのか、10月になったらどこまで制限を解除して活動可能になるのかを、ある程度のスパンでコミュニケーションをとってくれないと、、、

本気で「練習のための練習」になります。

冒頭言いました、多くの人は目標がないと頑張れないです。


ただ、、ここで感じることは、やはりサークルが一括りすぎるということ。これがどうしても難しい。
知らんけど、「日本酒同好会」みたいなサークルが、試合OKになって、バチバチに殺し合いの飲み会を試合ですとか言ってやりだしたら終わりだもんな。いや知らんけど。

サークル形態は見直す価値はあると思う。これで縛られるのも違うんよなってのもあるけど。



以上、現場に顔を出してみて、痛感しました。厳しいなぁと。


私は当事者じゃないので分かりませんが、、
実際に「これぞ練習のための練習だよ」と笑いながら言う選手もいました。
シンプルに笑うしかなかったんだと思います。それかシンプルあほなだけか。



学業に関して、秋学期の授業に対する大学の考え方は、明確に示され、意志も納得する形で説明がありました。

学業だけでなく、課外活動も現場の声を汲み取って欲しいと思います。



「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」

室井さんは、現場の青島さんの意見を尊重しました。

見習ってほしいです。










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