『怠惰への賛歌』|1日4時間労働でよくね?【ビジネス書】
前回は金持ちになるための現代の収入の取得を4つのクワドラントで解説しました。
労働意欲が上がって体温が上がってきましたね。
しかしながら労働なんてクソだ。怠惰!最高!!って思ってませんか?
今回は『怠惰への賛歌』を読んで冷水を浴びたように整っていきましょう。
バートランド・ラッセル(1872-1970)は、数学者であり哲学者であり、政治活動家である人物。核廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」を宣言した人でもあります。
第1章:怠惰への賛歌
怠惰と言えば、キリスト教の七つの大罪の一つ。怠け者はダメなのです。勤勉こそ正義。
しかし、ラッセルは仕事への見解としてこう述べている。
はい、仕事は害悪だと述べています。
「働かざる者食うべからず」という言葉や働かない人は怠け者と見なしてませんか?ラッセルは一貫して労働はほどほどにして、余暇に勉強をしたり楽しもうとチルい考えを持っています。
さて、ラッセルは仕事の定義を2種類に分類しています。
1つ目は、「物体の位置を相対的に変える行為」。
さすが数学哲学者。理系っぽい定義。
日本語の働くの字は、「人偏に動かす」ですからね。
英単語のworkも語源は「行動や作業」。
どの国でもコアイメージは同じ。
要は労働者のことを指す定義。
前回紹介した「キャッシュフロークワドラント」の「従業員(E)」と「自営業者(S)」に当たる人たち。
彼らは長時間働く割に、賃金が安く快適にならない生活を送り続けます。
・・・現代までこの構造変わってないな。
2つ目は、「他に人々に仕事を命令する行為」
「事業家(B)」にあたる人たちですね。
労働者を働かせて手数料をもらう人たち。
こいつらは高収入で快適な生活を得やすいです。
この2つに勧告を発するのが政治と言われるものです。
さらにもう1種類の階級がある。
地主である。土地を貸して対価を支払わせて富を得る人たち。「投資家(I)」です。こいつらは仕事をせずに怠惰でいられます。
産業革命までの労働
家族は夫婦と子供で一生懸命働いて、生活必需品を生産していた。
しかし、超過した生産品は、戦士と僧侶が管理し、飢饉の時も生産者に給付しなかったために餓死者を増やしていった。
このころの労働時間は12〜15時間だったそうな。
近代の労働|奴隷国家の道徳
さて、産業革命によって各国の生産力は数倍に跳ね上がりました。
今まで8時間で仕上げていた生産力も4時間で仕事が終わってウハウハ。
と思いきや、過剰生産により作ったものの値段が安くなり、余った時間で別の仕事が増える始末。
これ、現代社会でもずっと続いている構造ですよね・・・。
多分、AIが発達して生産力が上がっても労働時間は短くならないでしょう。
仕事が終わってゆっくりしてたら「勤労意欲が無い」「別の仕事を探せ」と低評価される。
労働の価値は労働時間によって決まるとマルクスは言いました。
手数料とか原価とかを考えたらそうでも無さそうですけどね。
労働は人生の目的ではない。
ラッセルは次のように述べています。
労働は人生の中心では無いということです。
まさに労働讃歌。働くことは素晴らしいと幾度となくメディア、家庭、学校で言われてきたことか。ラッセル先生いいぞ!もっと言ってやれ!
そして、労働が美徳と騙される原因が2つあるとのこと。
1つは、金持ちが労働していないにも関わらず、貧乏人(労働者)が文句を言わないように「労働の尊厳」を植え付けたこと。
もう1つは機械文明の発達が気に入ったこと。
私たちは生産(労働)を重んじて、消費(趣味)を軽んじているのです。
ラッセルの具体例では、映画鑑賞の趣味は有害だと批判される一方、映画制作の仕事自体は立派なものだということを挙げられています。この時代から趣味批判あったんですね。
要は、生産活動は良しとされ、金銭を消費するだけの行為は悪とされていたのです。
これ、現代でも言えますよね。
例えば、ゲームの趣味に対して「そんなことやって何の意味があるの?」とか「生産性の無い趣味」「それって収益化できるの?」と聞いてくる人がチラホラいます。
反面昨今はゲームクリエイターやeスポーツの選手が収益化すると尊敬されるようになっています。
ゲーム実況者やYouTuberも収益化できなかった頃はバカにされていましたが、儲かる仕事になった途端チヤホヤされています。
人々は金稼ぎできている人を凄い人だと思う節があるのでしょうね。
労働者階級の人々はずっと生産性、利益の追求をする奴隷にカスタマイズされているんです。
もう、1日4時間労働でよくね?
ここで本題。ラッセルは1日4時間労働を提唱しています。
4時間*20日労働=月80時間。
時給1100円なら約8万円。
時給2000円なら約16万円。
時給3000円なら約24万円です。
税金を差し引きしたらもうちょい手取りは下がりますが、意外と現実的にうまくいきそう・・・?
塾講師界隈なら全然あり得る時給レートですが、一般的な職種で時給二千円って相当ですよね。
正社員で時短できる会社も少ないでしょうし。
もし単価を上げて時短労働を目指すならフリーランスでの労働でしょうね・・・。
ラッセル先生の持論は極論な感じですが、以下引用。
要は、身の丈にあった生活をしろということ。
そして、ほどほどに消費をして雇用を生み出すことが経済を循環させる。
生きるためならこのくらいの労働時間で充分なのではという提唱です。
『金持ち父さん』では収入を増やし、支出を抑え、余剰資金を投資にぶっ込んで投資家になるルートを訴えていましたが、本書は収入と支出をトントンにするという説。
みなさんはどっちがお好きですか?
そして大前提ですが、気をつけたいのはこの本が1930年代に書かれていること。
当たり前ですが、古い時代の話なので国も文化も物価も違います。
とはいえ、8時間労働で搾取される構造は90年以上続いていますから、現代風にアレンジしたいところ。
実家暮らしや一人暮らしならなんとかできそうですが、家族がいたら厳しそうですよね。
だからこそ、『金持ち父さん』などのビジネス書に述べてあるように簿記会計の知識を身につけて家のキャッシュフローを算出する必要がありますね。
余暇を楽しもう
ラッセルの労働観に基づいて24時間の生活を考えてみましょうか。
睡眠、8時間
労働(往復移動2時間込み)、4+2=6時間
となると余暇時間はなんと14時間!!!
じゃあ余暇は何をすれば良いのか。
何をしても良いのです。
昔の農夫は仕事が終わってダンスをし、有閑階級の貴族は余暇に芸術や哲学をして文明を広めていった。
だからこそ、何でも好きなことをして身の丈にあった消費活動をしていけばいいのです。
しかし、「仕事が趣味」って人もいるのが現代社会の考えさせらることですね。
私の母は無趣味な人なので本当に休みの日は寝ているかぼーっとして早く仕事にならないかなぁと言ってます。
会社の上司も四六時中仕事をして、家でも仕事してましたね。
現代日本における問題点
平凡社ライブラリーでは「怠惰礼賛」という「しおのや ゆういち氏」の解説記事がおまけで付いています。
こっちの方が読みやすいので先に目を通すのもアリです。
ラッセルの労働批判に関連して、応用的に日本の問題点を述べています。
おそらく2005年に書かれた記事ですが、19年経った今でも改善されてない問題が4つ挙げられています。
1.ゆとり教育
ゆとり教育によって、若者の「学力低下」が叫ばれ、すぐに勉強時間が増えました。
そもそも、学校教育の知識とは、社会人における有用な知識を指すものであって、授業時間が減れば学習内容が減り、その因果で成績が下がるなんて当たり前な話ですよね。
国家や世間の言う「学力」ってのは、仕事で使える情報処理能力や暗記力と考えます。6年塾講師をして痛感してます。
公務員試験やSPI試験を見れば社会が要請している頭の良さがわかると思います。
会社は労働者に有閑階級の教養なんて求めてないんですよね。
しかし、「ゆとり教育」推進派も「学力低下」に対して論破する哲学がないので言われるがまま「ゆとり教育」は廃止になりました。
そもそも学校(School)の語源はギリシャ語のスコーレ=閑暇です。
本来の学校の本質は余暇に教養を広げる場所。
学校は労働者を養成する職業訓練校ではないのです。
「ゆとり教育」を本来の言葉通り捉えて、哲学などの人間教養を広げる指導をすればよかったのでしょう。
しかし、受験勉強も会社の入社試験で求められることが前の世代からほとんど変わってなかったのだから上手くいかなかったんでしょうね。
私自身「ゆとり世代」ですが、詰め込み指導でしたし、仕事を始めてもゆとりある社会とは言えませんでしたね。
以前、ゆとり世代が主役の『ゆとりですがなにかインターナショナル』の感想記事を書いたのでぜひにご一読ください。
2.少子化問題
女性の社会進出によって子育てが難しいと問題視されていますが、ラッセルの立場で考えるなら間違い。
両親が共働きしたら労働生産性は2倍ですから、理想論としては労働時間が半分になるはずです。その余暇時間を子育てに充てられますよね。
しかし、生産性を上げたところで労働時間の固定や労働称賛の美徳の考えが改まらないなら、余暇はもちろん出産の機会も奪われてしまいます。
本書は2005年の記事で問題視されていましたが、19年後の現在シャレになってないくらいより一層子供の数が減ってます。どーなっちまうんだよこの国(他人事)。
3.フリーター・ニートへの批判
自分らしく生きようとするフリーターやニートはまさにラッセル的「怠惰」を求めるニュースタイル。
しかし彼らを批判したり侮蔑する風潮が昔は強かった。労働意欲のない怠け者として馬鹿にされていたのです。
しおのや氏は不況による失業とフリーターの理念を混同してはならないと主張。
経済成長した段階で余暇を定着させられなかったことに問題があるのではないかと。
2004年にとあるニートの言葉がミームになりました。
ネットで話題になった彼もまた、ネタにされ馬鹿にされる対象となっていました。
しかし昨今の不況・過酷な労働環境・増税・物価高・政治家の汚職を前に「働いたら負けかな」が真実味を帯びてきましたね。
私が小さい頃はまだ「オタク」に対して風当たりが強かったですね。
YouTubeをパソコンで見ているだけで「得体の知れない物を操る気持ち悪いやつ」と罵られた記憶があります。
スポーツをしている人の方が優れているという風潮なんだったんだろう。
今は「オタ活」やら「推し活」みたいに一般層もオタク文化が浸透していって良い時代です。
そしてFIREという労働から解放された自由人も増えてラッセルの生き方が浸透してきたのでは?
4.過労死
日本国憲法、国民の義務のひとつ「勤労の義務」。
労働によって日本は大成長を果たしてきました。
しかし、産業社会の推進による最悪の事態が「過労死」。
「金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント」での従業員(E)にあたる人たちを酷使する構造。彼らは時間=命を切り売りして働いています。
労働を美徳とした社会の行き着く先が死とはいかがなものか。
私がいた教育業界は「過労死」や片足を棺桶に突っ込んだ人が多かった。実際離職率はかなり高いです。
長時間労働している人やボランティア精神の人が評価されるんですよ。
有給を取ろうものなら「子供のために何か働こうと思わないのか」「君が休んでいる間にみんな頑張っているんだぞ」と諭される始末。
私は心身ともに疲れてしまい、教壇から降りました。ライスワークでの教育業界での勤務は推奨しません。
個人的私見
今月から勝手に始めた企画「ビジネス書サウナ」。
この本がきっかけで思いつきました。
世のビジネス書は「もっと働けよ!!!」と松岡修造氏よろしく熱いメッセージの本が多いこと。
反面、冷めた目線で「労働はゴミである」と主張するビジネス書もあります。
ある程度ビジネス書を読めばわかるクリシェ的な事実です。
私は小さい頃から「のんびりさん」で怠け者タイプでした。
社会人1年目の研修で「キビキビ動くこと第一!!!」と社訓を言わされ、しゃかりきに働く人たちに疑問を持って働いていました。
休日も懸命に仕事の準備をする先輩たち(仕事の性質上私も準備をしていましたが)。
余暇にのんびりしたい性質ですので、本当につらかった。
この本を読んで、1930年代に怠惰を美徳とする人おるやん!って感動しましたね。
突然ですが、働くの語源を「はた(傍)を楽にする」=「そばにいる人を楽にしてあげるのが労働」と主張する論が嫌いです。
国語辞典を調べるとこの語源の説は俗説であって語源不明なのが正解です。
ただの言葉遊びなんですよね。
「はた(傍)を楽にする」論を主張するサイトの意図を考えたらわかりますよね。
そんな語源不明な言葉の由来をあたかも通説(真実)かのように伝えている様子が「ほら、さっさと仕事しろよ」と煽っているようで気味悪いと思っています。
教養溢れる大量の引用
全15章の大ボリュームで、大量の引用や過去の政治や偉人の言動から持論を展開します。
特にファシズムの解説や社会主義の問題点を挙げた章は読み応えバッチリ。
しかし、主旨をサポートする具体例が多すぎて難解なのでポイントを抑えたい人は1章だけ読めば充分です。
また、平凡社ライブラリーだと最後に解説が載っているので先にそっちを読んでみるのもありです。
自己の知識や経験を増やしてからラッセルの引用を読むと知識と経験が結びついて楽しいかもしれません。
まとめ
日本含め世界は少しずつ怠惰、チルになっているのでは?
どの国も少子高齢化が始まっています。
機械文明が発達し、IT文明も充分に成長しました。
科学技術が発達しているのだから、我々はもうちょっと文明の力を活かしてダラダラ暮らしても良いのかなと思いますね。
労働最高!
時短テクニック!
生産性!
といった目先の労働礼賛なビジネス書ばかり読んでいたら事業家、投資家、政治家の思う壺です。
冷静になる本も併せて読んで整っていきましょう。
ま、今すぐにだらだら生活なんてできないので働くんですけどね。
ラッセル先生、はやくゆっくりしてぇ。
とか言っていたらどこかの魔女教大罪司教に「あなた怠惰ですねぇ」って言われそう。
そのために、来週は金融知識をつけて頑張ろうのサウナ本を紹介します。
では、今日はここまで!
さいなら〜