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【強迫性障害】「確認する」と「確認できた」のギャップについて

この記事では、「確認行為」にとらわれる今の自分の課題とは何か?について書きたいと思う。



電源が切れているはずのエアコンを見つめながらいつも思う。

なんで、電源が切れていると認識してくれないんだろう。

エアコンのリモコンには何も表示されていないし、エアコンの排出口は閉まっているし、電源がついている時に光るランプも消えている。
というかそもそも今日エアコン使ってないし。

普通は「確認する」→「確認できた」のプロセスが頭の中でスムーズに行われるのだろう。ただ僕にはどうしても、「確認する行為」と「確認できた感覚」には大きなギャップが存在してしまう。

僕はこのギャップの埋め方を知らない。
他にやらなきゃいけないことの優先度と、自分の不安感の大きさを天秤にかけ、ギリギリ他の優先事項の方に傾いた瞬間に、確認の呪縛から解き放たれる。いや、正確にはある程度の不安感は残したまま、仕方なくその場から離れる。

このギャップの埋め方は知らないし、たぶん脳がそういう仕組みになってしまっているのだから治すのは無理だろう。感情の問題は、理屈でどうにかなるものではない。

だから、いかに最短に、「確認できた」状態に持っていくかが僕の課題だ。もしくは「確認しなくてもいい」状態に持っていくか。

いつでも確認できることは、最短で「確認できた」状態にし、
もう確認できないことは、「確認しなくてもいい」状態にする。

これに対して、まだはっきり答えは出せていないけど、「確認をやめなきゃ」と自分を追い込むのではなく、「確認を少しずつ減らしていこう」と自分の課題を変えられたことは大きい。

100回の確認を90回に。
90回の確認を80回に。
いずれは2~3回の確認ヘと変わっていければ、問題なく生きていける。

時間はかかるかもしれないけど、少しずつ確認をしなくても大丈夫な自分になっていけたらいい。確認にとらわれない自分を想像して、未来に期待して、今日も頑張って生きていこうと思う。


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