2022 映画鑑賞この一年
※2022年12月31日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。
2022年に見た映画は延べ125本でした(短編集は上映番組単位で1本と計上)。昨年にも増して映画熱が高まった今年の鑑賞作品の中から、2022年に劇場公開された作品に絞ってフェイバリット作品を順不同で紹介します。
城定秀夫監督『愛なのに』
今泉力哉と城定秀夫が互いに脚本を提供し合って2本のR15映画を作る企画「L/R15」の1作目で、本作は今泉が脚本(クレジットは城定との連名)、城定が監督を担当しています。
瀬戸康史演じる多田は、これまでの今泉作品のような煮え切らない男のキャラクターですが、憧れの人だった一花(さとうほなみ)の欲望を引き受け、映像がドライブしていくところに、2人のタッグの妙を見ました。今泉ワールドが前面に出たストーリーでありながら、城定演出によってテンポに緩急がわかりやすく生まれて、とてもエキサイティングな作品になっています。この微妙なバランスが功を奏しています。
今泉力哉監督『窓辺にて』
今泉作品には「好きってなんだろう」という問いが通底していますが、そうした作家主義的な作品を、主演に稲垣吾郎を迎えて製作するという極めて贅沢な一作でした。
『かそけきサンカヨウ』での井浦新が画の中で浮いている印象があったこともあり、今泉作品は俳優を選ぶところがあると思っているのですが、本作の稲垣吾郎は、主人公のフリーライター市川茂巳にピッタリハマっています。
妻の不倫を知ってもショックを受けなかったことに戸惑う市川を周りは、本当に妻のことを愛しているのか?と疑問視します。そして市川は反論できずもやもやします。
市川は極めて重要な局面での一対一のやり取りを2人の相手とします。1人目との長回しのシーンも圧巻ですが、2人目とのやり取りにおける稲垣の表情の演技が絶品でした。
「周りから理解されない感情」を昨今の映画は、無条件にその感情を大切にせよと啓蒙することが多いと思いますが、本作はそういった啓蒙とは一歩距離をおいていると思います。市川の「周りから理解されない感情」をあくまでもエゴの一形態として描くことに向き合った、監督の誠実さが見える作品でした。
深田晃司監督『LOVE LIFE』
『窓辺にて』も『ドライブ・マイ・カー』との共通性を指摘されていましたが、この『LOVE LIFE』も『ドライブ―』との共通性を感じます。むしろ手話を本作ではあくまでも日常の一部として登場させているなど、『ドライブ―』を超えて優れていると感じさせる点がいくつもある作品です。
妙子(木村文乃)の生活にあるいくつもの不快な日常は極めて現代的な、どこにでもある、しかしはっきりとそれが抑圧であると社会が認識し始めてきた日常です。
そんな不快な日常は、一つの大きな事件を経て、日常と非日常が撹乱された時間へと移り混沌としていきます。その混沌に終わりを告げるのは、あの韓国語の音楽で、妙子が雨中にリズムにのって体を揺らせることで、不快な日常へと戻っていくのでしょう。
ヨアキム・トリアー監督『わたしは最悪。』
日常の形成は若者にとっての大きな課題の一つですが、本作の主人公ユリヤ(レナーテ・レインスヴェ)はとにかく人生に迷い続けます。「自分は一体何を望んでいるのか」をめぐってさまよい続けていたら、気がつけば30代に差し掛かる女性を描きます。
人生は選択の連続、とはよく言われますが、それにしてもユリヤは選択をしすぎています。それはまるでデパートのあちこちの売り場で試食をするかのよう。しかしそれでユリヤが成長していくのかと言えば、必ずしもそうとはいえない展開を見せます。人によってはユリヤに嫌悪感を持つかもしれません。
しかしあるときは露悪的に、あるときは爽快に描く監督の手腕が、ユリヤを愛おしく見せてくれています。それにしてもポスタービジュアルにも使われている、全力疾走のシーンの映画内での位置づけが素晴らしい。てっきり終盤に出てくるのかと思ったら、全然そんなことはなく、それも一つの絶えざる「選択」にすぎないというある種の呆気なさが魅力的です。
終盤にある名曲が流れますが、これがあまりにも素晴らしい選曲だったと思います。アニミズムがあらゆる事物に畏敬の念を抱くが如く、生活上のさまざま出来事を成長物語に帰着させずに一つ一つ記録し自分のものとしていくかのような本作に、この名曲はぴったりです。
マイク・ミルズ監督『カモン カモン』
子どもは、時に世の中の理不尽と、それがむき出しになった状態で直面するにもかかわらず、それと戦ったり、あるいはなだめすかしたりする術を未だ獲得できていないために傷付き、秩序に反した振る舞いを起こしてしまうものです。そしてそんな子どもの振る舞い自体が、大人にとってはむき出しの不条理に見えてしまう。子どもと大人との関係はそうした矛盾を抱えています。
「大人」は全能ではありません。なだめすかしているだけでは問題は先送りされるだけです。理不尽に真正面からぶつかって混沌の中をもがくジェシー(ウディ・ノーマン)から、「そういうあんたはどうなんだ」という趣旨の問いを突き付け続けられることにより、主人公ジョニー(ホアキン・フェニックス)は、自身がいったい何をすべきなのかを問い直していきます。
ジョニーはラジオジャーナリストとして各地の子どもにインタビューをする仕事をしています。子どもたちは言います。周囲をよく見ること、耳を傾けることが重要だ、と。その大事な姿勢をジェシーとの疑似家族的な生活からジョニーは実践しつかんでいく様に、希望があります。
三宅唱監督『ケイコ 目を澄ませて』
今年見た新作の中では最も「これが映画だ!」と思える大傑作だったと思います。
耳の聞こえない女性ボクサーが主人公と聞けば、障害というハンデを乗り越えて勝利をつかむというストーリーを想起させる人も多いと思いますが、本作はそういう成長物語を描こうとはしていません。人間がさまざまな制約の中で、迷いながら生きているという、言ってしまえば単純なことですが、そのことをどこまで濃密な映画世界として描くことができるかという試みに見事成功しています。
とにかくショットのどれもが練りに練られています。16ミリフィルムによる撮影という制約が生む緊張感が、画に締まりを生みました。
音響も、劇伴がないかわりに環境音が立って聞こえます。主人公のケイコ(岸井ゆきの)には聞こえていない音が、私たちには聞こえるという、絶対的な他者性を手放さない作品の視点が素晴らしい。
本作には東京のなんてことのない街並みが多数登場します。しかも明らかに、コロナ禍の影響を受けた東京を記録しようという誠実な意志に満ち溢れていると思いました。
その他の新作
加藤拓也監督『わたし達はおとな』は、若さゆえの無自覚な暴力性についての総括の映画として衝撃的でした。
河瀨直美監督『東京2020オリンピック SIDE:A』は、ドキュメンタリー映画としてあまりに傑作で、五輪の公式記録映画としての要件は全く満たしていないものの、その潔さには脱帽です。
オードレイ・ディヴァン監督『あのこと』は、人工妊娠中絶が違法であるということがどれだけ女性の生命と人生を危うくするものかについて、目を背けたくなるような痛みとともに描いた一作です。やっと得た中絶手術への道の獲得経路がリアルで、理不尽がある一点に凝縮されてしまうことへの悲しさと怒りを感じます。
キリル・セレブレンニコフ監督『インフル病みのペドロフ家』は、幻覚を見ているかのようなめくるめくストーリーテリングに圧倒されました。ロシアのウクライナ侵攻を経て、戦後世界の常識が崩れようとする今、見られるべき作品です。
湯浅政明監督『犬王』とデビッド・リーチ監督『ブレット・トレイン』における女王蜂のアヴちゃんの活躍も特筆に値すると思います。
旧作上映
私にとって2022年は、濱口竜介監督『親密さ』と出会った年として、後々自分史の中に記憶していく年だと思います。そのくらい衝撃を受けた作品でした。映画としての出来は『ハッピーアワー』等の方が上回っているとしても、いま、私が見るべき作品は『親密さ』なのだと確信するほどの絶対的な支持です。
『親密さ』を含めた特集上映「言葉と乗り物」を開催してくれたシネ・ヌーヴォに感謝しかありえません。シネ・ヌーヴォではことし、上野昂志著『黄昏映画館 わが日本映画誌』刊行記念特集の一環で、北野武監督『その男、凶暴につき』のフィルム上映があったのも私にとっての収穫でした。
早稲田松竹では青山真治監督の傑作『EUREKA ユリイカ』を見ました。カメラをどこに置くかということを計算し尽くして撮影された映画がいかに素晴らしいかは、本作一本によって証明されています。
9月に閉館したテアトル梅田では、バスター・キートンによる無声映画のピアノ演奏付き上映を見ることができました。壁が倒れてくるシーンで有名な『キートンの蒸気船』を劇場で見られたのが貴重な体験でした。