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深田晃司監督『LOVE LIFE』

※2022年10月17日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 とにかく面白かった。のだが、自分が濱口竜介作品に入れ込んでいることもあって、『寝ても覚めても』や『ドライブ・マイ・カー』に対する批判的応答として見てしまっている。それは本作の主目的ではないだろうし、妥当な見方ではないかもしれないが、一観客としての鑑賞体験としては、そういうことになってしまった。

 はっきりと濱口作品との対照を意識したのは、港で妙子(木村文乃)が元夫パク・シンジ(砂田アトム)とともに韓国へ渡ることを決断するシーン。助手席の窓の外を歩く妙子の歩みに合わせて、車をバックさせながら現夫の二郎(永山絢斗)が渡航を止めようと説得する映像である。『寝ても覚めても』では、カメラは麦(東出昌大)とタクシーに乗り込んだ朝子(唐田えりか)越しに、窓の外から引き留めようとする亮平(東出昌大)を写す。

 濱口作品では乗り物が物語を動かすのが定番となっており、『寝ても覚めても』の件のシーンでは、乗ったら最後、走り出してしまうタクシーという装置のおかげで、朝子の選択は亮平が為す術もないままに完遂される。

 一方『LOVE LIFE』の件のシーンでは、二郎は車をゆっくりバックさせ車の中から話し掛けるのみ。車を降りて、走って無理やり制止しようと思えばできた状況でそれをしない二郎を描く。

 『寝ても覚めても』や『ドライブ・マイ・カー』の世界における男は、ここで遮二無二動かないと関係が終わってしまうという状況に限って(「動かない」ではなく)動けない状況に置かれる。例えば女がタクシーに乗って行ってしまうとか、部屋で倒れて死んでしまっていたとか。

 しかし、男が動けない状況というのは、そういう物理的に動けない状況でないといけないのだろうか。

 『LOVE LIFE』は、行動しようと思えばすることはできた状況で、行動しなかった(あるいは限られた範囲でしか行動しなかった)という点がリアルだ。人によってはヤワな男だと見るだろうが、そこでもし男が実力を行使したところで、その実力が「愛」だの「勇気」だのと正当化されていいとは思えない。極めて現代的な描き方をしているこのシーンにより、十分、私は本作を支持できる。

 そもそも序盤には、息子の不慮の事故死さえ、大人が何人もいる自宅、つまり「大人たちがちゃんと注意していれば防げたはず」と言われがちな状況で起きてしまう。『ドライブ・マイ・カー』の「早く帰っていれば」どころではない。

 どんな映画にもトリッキーな設定や出来事はある。濱口作品が、観客もそれがあり得ないトリッキーであると分かっているのになぜか納得してしまうつくりになっているのに対し、『LOVE LIFE』はこういうこともあり得るかもしれないという地平にトリッキーさを配置することに成功させている作品といえよう。

 その他、韓国手話の取り扱いも『ドライブ・マイ・カー』ではほぼ常に家福(西島秀俊)のために訳される言語だったが、『LOVE LIFE』ではあくまでも当事者間が生活上普通に使う言語として登場している。

 遠く上方からのショットの長回しが写したのも、『寝ても覚めても』では2人の追いつ追われつだったのが、『LOVE LIFE』では距離を取りながら歩く姿だった。そういう“間違い探し”的な見方は、邪道だが楽しい。

 ところで『LOVE LIFE』も『寝ても覚めても』も、製作委員会の幹事はメ~テレ(名古屋テレビ放送)である。恐るべし。

(2022年10月15日、TOHOシネマズなんば別館で鑑賞)


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